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一軒家で3人がミイラ化、2人が白骨化していた…監察医が解き明かした「5人の死体」を巡るミステリー

  • 2025.4.13

人間は死んだ後、どうなるのか。元東京都監察医務院長の上野正彦さんは「四季がある日本では暑い季節は腐敗が進みやすく、最終的に白骨化する。一方、寒い季節は腐敗しにくく乾燥するから、ミイラ化していく」という。著書『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)より、一部を紹介する――。

ハウスモデルとルーペを持つスーツの男
※写真はイメージです
死んだ場所によって死体の状態は異なる

生きているとき、人体は全身にはりめぐらされた血管によって体中に血液が流れ、それにより恒常性が保たれている。しかし、死んでしまった体には血液が流れていないので、同じ人間の死体であっても頭とお腹と手足で異なる変化が見られる。

手指のような末端部分は乾燥しミイラ化しやすいし、臓器が詰まっているお腹のあたりは腐りやすいなどと、それぞれ異なる経過を辿る。

季節だけでなく、死体が置かれているのが一階か高層階か、北側の部屋か南向きの日当たりのいい部屋かなど、死んだ場所によっても死体の状態は違ってくる。

一人暮らしだけではなく、老夫婦や老いた兄弟姉妹の二人暮らし、親子同士の老々介護の家で二人の死体が発見されることもある。

どちらが先に死んだかを知るには、死体の状態を手がかりにしなければいけないのだが、太っていて皮下脂肪の多い女性と痩せた男性とでは、腐敗の速度が違ってくる。

日差しの当たる場所では腐敗しやすい

また、心中事件などでは、同時に青酸カリを飲んで死んだのに、片方は腐敗が速く進み、もう片方はほとんど腐敗していない、ということが起こり得る。

もうおわかりだろうが死んでからの体の状態は外気の温度や湿度に相当左右される。同じ部屋で心中しても、窓からの日差しが強くあたるところに横たわっていた死体は、腐敗が速く進むのである。

このように死体所見を見ただけでは、1週間ほど差があるように見えても、実際にはほぼ同時に亡くなっているということはあり得る。

ちなみに妊婦も早く腐敗する。妊娠中の体は水分量が多く、体温も高く、新陳代謝がいいからだろう。

ミイラになっても生き続けた母親

高齢者の死一つをとりあげただけでも、さまざまな親子関係のかたちが見えてくる。同居の親が家族のいざこざを苦にして自殺しても、「病気を苦にしていた」という息子がいるかと思えば、母親の死をいつまでも認めない息子だっている。

あるケースで、警察官と民生委員が家の中に入ったとき、母親の死体はすでにミイラ化していた。居間のじゅうたんの上にきれいに寝かされていたそうだ。体にはきれいな布がかけられ、すぐそばのテーブルには食事が置いてあったという。

母親が死んだとき、40代の一人息子はそれを受け入れられなかった。誰にも言わず、もちろん葬式も出さずにずっと母親の死体と暮らしてきたのである。朝晩一緒にご飯を食べ、隣に布団を敷いて寝ていたという。線香はもちろんあげない。自分の中で母は死んでいないからだ。彼の場合は脳機能障害があり、母親の死を認知できなかったのだという。

2010年に入ってから、このように親が死んでもそのまま家に置いて、ミイラや白骨死体と同居しているという例が何件も報告された。

年金の不正受給のため、親の死体と暮らす

別のケースでは、タンスの中からミイラが見つかった。大きく報道されたし、私もコメンテーターとして実際に家の前まで行った。

このケースは、親の死亡届を出さずに年金を不正に受領することが目的であったようだ。疑問に思った区役所の担当者が確認にきても、面会謝絶を盾に会わせようとせず、10年ほど年金を不正に受け取っていたという。

日本の年金手帳と現金
※写真はイメージです

彼らは、いったいどうやって死体と共に長期間生活したのであろうか。

腐敗がはじまると、人の体は腐敗ガスによってぶくぶくと膨らむ。肌は赤茶けた感じに変わり、目や舌が飛び出て鬼のような形相になる。腐敗臭も当然発生する。いろいろな種類の消臭剤を撒いたり、消毒用エタノールを使ったり、または冬でも窓を開けて扇風機をつけっぱなしにしたりしてそれを飛ばそうとしたのかもしれない。

隣近所から見たらかなり異様な光景であろう。

死体の腐敗というのは、細菌やカビなどの微生物の繁殖によって進んでいく。十分に衛生管理に注意している監察医務院ですら、死体の解剖を介する結核の感染をはじめ、雑菌やウィルスによる感染の危険がある。

それにしても、このようにして弔われることもなくミイラや白骨になり、戸籍と銀行口座だけは生き続けていたという事実を、ミイラになってしまったご本人はどのように思っているのだろう。あってはならない話である。

一軒家に同居していたミイラと白骨死体

テレビ局から電話が入った。

ほぼ密室状態の一軒家から、5人の死体が発見されたのだが、その死体が奇妙だと言うのだ。というのも、5人のうち2人は白骨化し、残り3名はミイラ化していたからだ。部屋が荒らされた形跡はない。しかし、同じ家の中で死亡したはずなのに、なぜか異なる状態になっている。

「現地では大騒ぎですよ、先生」

興奮気味に、そのテレビ局の人は話を続けた。

数名の法医学の専門家に相談したそうなのだが、白骨化するのは死体が腐敗した場合で、ミイラ化は腐敗せずに乾燥した場合に起こる現象である、という単純な説明しかしてもらえなかった。

肝心の、なぜ同じ環境、同じ部屋で、かくも異なる死体が発見されたのかについては、うやむやにされてしまい、そういうわけで私の意見を聞こうと思ったのだそうだ。

そもそも、白骨化するか、ミイラ化するかはどこで決まるのだろう。実は、とても単純な話なのだ。

四季がある日本では暑い季節は腐敗が進みやすく、軟部組織(筋肉や内臓など)は溶解し泥状化して、最終的に白骨化する。夏場に発見が遅れると、白骨死体が多くなるのはそのためである。

ところが、寒い季節は腐敗しにくいし、乾燥するから、死体の水分は少なくなり、乾燥が強い箇所からミイラ化していく。完全にミイラ化しなかった部分は、暑い季節になると当然だが腐敗する。したがって日本では半ばミイラ化、半ば腐敗した状態で発見されるケースが多い。

電車と共に疾走し、ミイラ化した

ミイラ化についての体験事例を紹介したい。ある男性が、都内を走る電車に飛び込み自殺した。しかし、検死の際、右足首だけが見当たらなかった。電車への飛び込み自殺をした死体はたいていバラバラになるので、このように、死体のどこかが欠損している場合が多い。

その数カ月後、電車の車体の床下から、ミイラ化した足が発見された。部分検案として、私が検死に出向いた。警察は、もしかしたらバラバラ殺人ではないかと考えているのだ。

足は右足で、完全にミイラ化していた。数カ月前の飛び込み自殺の検案記録を調べた結果、それは私が検死した飛び込み自殺の男性の右足と一致することが分かった。身元が確認され、バラバラ事件などではないことが分かって警察も安心した。

轢断れきだんの際、右足首が勢いよく跳ねとばされ、車底に付着した。その状態で数カ月間、電車と共に疾走していたから、乾燥して完全にミイラ化したのである。

死亡した5人は新興宗教の信者だった

自然界で全身ミイラ化するケースは大変めずらしいことだが、東京で過去に奇妙な事件があった。1956年、隅田川にかかる永代橋の電灯の配線工事の作業中、鉄骨のすき間から、全身が完全ミイラ化した死体が発見されたのである。

それは、近くに住む精神障害のある40代の男性であることが分かった。男性は十数年前の冬、寝間着姿のまま家を出たきり行方不明になっていた。狭い所にもぐり込む習癖があったという。海岸に近い橋の欄干で風通しもよく、乾燥する冬のことであったから、腐敗せずに全身がミイラ化したのではないか。

さて電話の続きに戻るが、確かにミイラ化した死体と白骨死体が、同一家屋の中から発見されたというのは、あまりにも不自然な状況である。

私はもしかすると……、と思い「その人たちは宗教団体に属していたのではないか」と問いかけた。すると記者は、「なぜそんなことまで分かるんですか?」と驚きの声をあげた。「そうです、おっしゃる通り新興宗教の信者だったのです」と言ったのである。

そこで、私の推論を伝えることにした。

寒い時期に3人、暑い季節に2人が亡くなった

ミイラ化した3名は11月頃の寒い時期に死亡したと考えられる。しかし、残された信者たちは宗教的な理由からか、死を認めなかったのだろう。死後も遺体を清拭せいしきしたり、枕元に据え膳したりして、2人で世話を続けた。

上野正彦『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)
上野正彦『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)

それから4カ月くらいは寒い期間が続くので、ミイラ化は着々と進む。世話をしていた2人も、やがて暑い季節になってから後を追うように死亡した。当然、暑いから腐敗の進行は早いので、たちまち白骨化してしまう。

このように考えれば、今回の不思議な現象にも説明はつく。あくまでも私の体験からの推定であるが、事件性はないように思われる、と解説した。「なるほど分かりやすい。納得できる説明です」と、感謝の言葉をもらい、電話は終わった。後日、警察の捜査の結論は、私の推論とほぼ同じで、事件性なしとなり一件落着したという。

死してもなお、金のために生かされ続ける死体。死んだことを認めてもらえず、手厚い介抱を受け続ける死体。彼らは何も語らないが、いったいどんな気持ちでミイラ化していったのだろう。

上野 正彦(うえの・まさひこ)
元東京都監察医務院長
1929年、茨城県生まれ。法医学者。1954年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年、東京都監察医務院に入り監察医となり、1984年に同医務院長となる。1989年に退官。退官後に執筆した、初めての著書『死体は語る』は65万部を超えるベストセラーとなる。その後も数多くの著作を重ね、鋭い観察眼と洞察力で読者を強く惹きつける。また、法医学評論家としてテレビや新聞・雑誌などでも幅広く活躍し、犯罪に関するコメンテーターの第一人者として広く知られている。これまで解剖した死体は5千体、検死数は2万体を超える。主な著書に、『死体は語る』(文藝春秋)、『死体鑑定医の告白』(東京書籍)、『人は、こんなことで死んでしまうのか!』(三笠書房)など多数。

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