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吉原の遊女が客との床入りを夜中0時まで引き延ばしたワケ…下位の女郎は屏風で区切っただけの床で客と寝た

  • 2025.4.13

吉原の遊女の一日の労働時間はどれくらいだったのか。大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)の吉原風俗考証・山田順子さんは「遊郭は夜見世がメイン。通常の終業時間である夜10時の数え方を変えてまで、遊女と客の床入りを引き延ばしていた」という――。

※本稿は、山田順子『吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

女郎の一日、朝6時に同衾した客を送り出し、再訪を約束
明け六ツ(午前6時)

女郎の一日は、同衾どうきんした客を送り出すところから始まります。客が着物を着だす頃、女郎も起き上がって、客の羽織を着せかけ、自らも寝間着の上から着物を引掛け、客を見送ります。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・卯ノ刻(うのこく)」(午前6時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

並の客には階段の上まで、中客なら見世の入口まで、上客なら通りの木戸口まで、そして特上の客には大門おおもんまで送ります。序列は決まりではありませんが、客と女郎の駆け引きというところでしょうか。

蔦屋重三郎がいたような引手茶屋ひきてぢゃやからの紹介で来た新しい客は、茶屋が朝食の粥をふるまうので、そのときは同伴して、最後まで別れを惜しみ、再訪を約束させます。

寝起きの顔をわざと見せて、より親近感を持たせるというのも、女郎のテクニックの一つでしょうか。

さて、客が帰ったあと、昨夜熟睡できなかった女郎たちは二度寝の床に入ります。

4時間だけ寝て10時に起床、朝食を食べ、風呂に入る
昼四ツ(午前10時)

女郎たちが起きる時間です。女郎屋には内風呂がある見世もありましたが、大人数が同時には入れないので、まずは風呂に入る人、朝食を食べる人とそれぞれですが、中には見世の外の湯屋に行く人もありました。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・巳(み)ノ刻」(午前10時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

朝食は、基本的には飯・味噌汁・おかずが一品・香の物ですが、おかずに魚が出るのは月に一回くらいで、ほとんどが野菜の煮物や豆腐や油揚げを使った料理でした。そこで、登場するのが昨夜の客が残した料理です。これを冬は小鍋で温めたりして食べました。

吉原の女郎屋では、原則「白い飯」つまり、精米した米を食べました。そのため田舎の農家で、精米した白い米を食べられなかった子どもに、女衒ぜげんが吉原に連れてくるとき、「吉原に行けば、白い飯が腹いっぱい食べられる」と言って誘ったのです。

正午ごろに昼営業の準備、見物の客が遊女の姿を見て回る
真昼九ツ(正午)

昼九ツ(正午)が近づくと、女郎たちは昼見世の支度を始めます。化粧や乱れている髪の直し、衣装を着て、いつでも張見世に出られるように支度をします。

喜多川歌麿「北國五色墨・おいらん」、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

ただし、昼見世の場合、呼出しの花魁は特別な予約でもない限り客の相手はしないので、しごき帯を結んだだけという気楽な姿で過ごします。

女郎たちが張見世の中に座ると、江戸に出て来たばかりの勤番侍や、田舎から江戸見物に出て来たような客が多いので、好奇の目で各見世を見て廻るばかりで、あまりいい客になってくれません。

客の付かなかった女郎を「お茶を挽ひく」とも言いますが、この時代にはそんなことはせず、せっせと客に来訪を促す手紙を書きます。電話やメールなどの連絡手段のない時代唯一の通信手段だったのです。

手紙を送って客に「俺の女」と思わせる女郎の手練手管

昨夜来た客には、昨夜の礼、話足りなかったこと、また会いたい、そして近いうちに来てほしい、などを書きます。

昨夜のぬくもりが忘れられないうちにこうした手紙が届くと、客は早く行こうという気になるのです。

馴染みになった客には、風邪など引いていないかなどの心遣いを書きます。数日会ってないのにもう長く会っていないような気がする。客が好きだという料理も用意してあるので、早く食べに来てほしい。

客の好みも把握して、女房気取りの言葉も出て、客に「俺の女」という錯覚を起こさせます。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・午(うま)ノ刻」(正午)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

久しく遠のいている客には、体調への気遣いなど、客を心配している言葉を並べたうえで、自分がどれだけ会いたく思っているかをつづり、最後に、今度一緒に桜が見たいとか、玉菊灯籠が見たいなど、イベントがらみで誘います。

吉原や女郎本人に飽きてきた客には、吉原のイベントは有効だったようで、久しぶりに行ってみようかという気を起こさせたようです。

吉原の女郎は警動けいどう(町奉行が行った手入れ)などで、外部の岡場所から連れて来られた女郎以外は、原則読み書きができました。そのため、呼び出しや座敷持についている禿や振袖新造は、昼見世の間に、読み書きを先輩女郎から教わりました。中には将来花魁と呼ばれる地位についても困らないように和歌や俳句を習う者もいたのです。

吸付け煙草で客と間接キスをし、動けなくして店へ入れる
夕七ツ(午後4時)頃

昼見世が終了して、女郎たちはひと休みです。

台所に行って、夕飯を食べる者や、おやつの甘い物を禿に買いに行かせて楽しむ女郎もいました。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・申(さる)ノ刻」(午後4時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム
暮れ六ツ(午後6時)頃

いよいよ夜見世が始まります。女郎にとってここが主戦場なので、トップの呼出しから、最下位の女郎まで、気合を入れて準備します。

さて、「清搔すががき」という三味線の演奏が始まると、座敷持以下の女郎たちが張り見世の中に並んで座ります。席順は原則上位の女郎が奥のほうで、格子に近いほうが下位の女郎です。

女郎の前には煙草盆が置かれています。煙草は女郎の嗜好として吸われますが、それ以上に張り見世で、重要なのは女郎が客に吸付け煙草のサービスをすることです。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・酉(とり)ノ刻」(午後6)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

女郎独特の長い煙管に煙草の葉を詰めて、火をつけた煙管をひと口女郎が吸い、それを格子越しに見つめている客に渡すのです。現代風に言えば、間接キスかな。客にしてみれば、指名しようかどうか迷っている女郎が口にした煙管を渡してくるのですから、「俺に気があるのかな」と勝手に誤解して、指名してくれるのを狙った作戦です。

さらに、いい客になりそうだと思う客が格子に手をついて覗いてきたら、客の袖口に煙管の雁首を引っかけて、格子の内側に引っ張るのです。すると客は動けなくなります。そこで、甘い言葉を吐きかけます。その様子を見ていた若衆が寄ってきて、「旦那、さあ中へ」と招き入れるのです。

「呼出し」オンリーの花魁が客を迎えに行くときの花魁道中
暮れ六ツ(午後6時)頃の続き

張見世に並ばない呼出しの花魁は、引手茶屋から指名が入ったという知らせがきたら、支度をして、引手茶屋に客を迎えに行きます。このときに行うのが「花魁道中」です。

「花魁道中」で来るのは花魁の中でも呼出しだけですから、その女郎を指名した客にとっても誉れのときで、わくわくして待っていたことでしょう。なのに、客を焦らすように外八文字で優雅に進むのも花魁の腕(足)の見せどころです。ちなみに、この外八文字は京の島原で「内八文字」という歩き方があったのを、吉原でも真似をしたのですが、元吉原末期に男勝りで有名だった勝山という太夫が外八文字を始めたのが評判となって江戸では外八文字になったと伝えられています。かなり練習が必要で、上達するのに3年かかるといわれています。

引手茶屋に着くと、二階の座敷で宴会をすることもありますが、客がすでに待ちくたびれている場合には、再び女郎屋まで、客を同伴して、道中をしながら帰ります。

花魁道中の並び順、最後尾にいるのは誰なのか?

花魁道中の並び順は決まっていなかったようですが、浮世絵などに描かれている道中の絵を見比べると、次のようなものが多いです。

往きの先頭は呼出しや女郎屋の家紋が入った箱提灯を持った若衆で、これに続いて禿2人、呼出し、呼出しに傘を差しかける若衆、振袖新造2人、番頭新造1人、遣手の以上9名が行列を組んで女郎屋のある通りから仲の町の通りを進みます。ただし、事情によっては、人数が減ったり並びが変わったりすることはありますが、その華やかさは格別です。

復路は引手茶屋で待っていた客が参加することもあります。その場合、客は先頭か花魁の傍かこれも決まりはありませんが、その取り巻きに男芸者(幇間ほうかん)などが賑やかに話しながらついていきます。さらに、引手茶屋の若衆、女将などが連なる場合もあり、大行列になることもありますが、これも吉原を盛り立てるイベントと考えれば、納得できます。

歌川豊国「新吉原櫻之景色」、江戸時代・19世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム
床入りの前に大賑わい、妓楼は宴会が続くよう盛り上げる
宵五ツ(午後8時)

遊女屋に戻った花魁を中心に宴会が始まります。座敷の座る位置は、広い座敷なら床の間を背に花魁と客が並んで座りますが、そのときも上座は花魁です。そして花魁の左右には禿が座りますから、客の手が花魁に届くことはありません。

芸者や幇間も入れて、大賑わいです。この宴会での金の使い方で客の懐具合もわかるため、客も奮発します。引手茶屋から事前に頼んでおいた、「きのじや」の台の物(松を飾った蓬莱ほうらい台に卓袱しっぽく料理風に盛り付けられた料理)も届き、座を盛り上げます。

この座敷の端で、すべてを見透かしたように見ているのが、遣手やりてです。座敷で何か問題があったときに、心遣いをして解決してくれるので、その名が付いたとも言われています。

十返舎一九作、喜多川歌麿画『青楼絵抄年中行事』1804年(享和4)、国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年4月8日)
夜四ツ(午後10時)

気の早い客はそろそろ床入りを望みますが、ここで最終目的を終わらせては、芸者や幇間は時間給ですし、宴会で儲けをしようという女郎屋としては売上げが上がりません。なので、客をあおって、まだまだ宴会が続くようにします。

正式には、この時間が吉原の営業時間が終わるときなのですが、どういうわけか、吉原では一時いっとき遅れの真夜九ツが終業時間という慣習になっています。

午前0時にやっと床入り、花魁は寝間着に着替え客の元へ?
真夜九ツ(午前0時)

この時間を吉原では「引け四ツ」といいます。町奉行から定められている営業時間を暗黙の了解で、伸ばしてもらって、この時間が営業終了時間です。

さすがに、この時間になると、宴会も終わり、いよいよ床入りの準備が始まります。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・子(ね)ノ刻」(午前0時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

花魁は寝間着に着替えるために、座敷を離れ、別室で着替えます。自分の部屋で宴会をしていた場合は、控えの間に下がります。自分の部屋がない女郎は、同僚たちと共同で使っている支度部屋に下がります。

山田順子『吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)

その間に、禿や振袖新造が客を便所に案内し、その間に若衆が部屋を片付けて布団を敷きます。床の準備ができたら、客は布団の上に座って、女郎の来るのを待ちます。

ここで、女郎はどうするのか。上客や将来を期待できる客なら、早々に部屋に戻りますが、馴染み客で、宴会抜きでどうしても会いたいという客が来ていたら、待たせたその客の床へ行き、その後、先ほどの客の床へ戻るという女郎もいるし、反対にまずは宴会をしてくれた客の床へ行き、客が寝入ったら、待たせた客の床へいく。まあ、よくあることのようです。

自分の専用の部屋を持っていない女郎は、空いている小部屋の廻し部屋、反対に広い部屋に屏風で区割りして布団を敷いた「割床」へそれぞれ客を案内します。

夜八ツ(午前2時)

こうして、夜は更け、「草木も眠る丑三うしみつ時」ともいわれる八ツ過ぎには、それぞれの部屋もやっと静かになり、微かに聞こえるのは夜回りの「火の用心」の声だけです。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・丑(うし)ノ刻」(午前2時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

山田 順子(やまだ・じゅんこ)
時代考証家
1953年広島県生まれ。専修大学文学部人文学科卒業。CMディレクター、放送作家を経て時代考証家となる。ドラマ「JINー仁一」「天皇の料理番」「この世界の片隅に」など、江戸時代から昭和まで、幅広い時代の時代考証や所作指導を担当。著書に『江戸グルメ誕生』(講談社)、『お江戸八百八町三百六十五日』『海賊がつくった日本史』(ともに実業之日本社)、『時代考証家のきもの指南』(徳間書店)など多数。2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)では吉原風俗考証を担当。

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