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「主人は会社に殺されたんです」出張・休日出勤を重ね、職場で突然命を落とした40代課長の"本当の死因"

  • 2025.4.11

過重労働によって命を落とす人が後を絶たない。元東京都監察医務院長の上野正彦さんは、「過労死」が広く認知されていない時代に労働基準監督署に掛け合い、労災として認められるよう奮闘したという。著書『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)より、一部を紹介する――。

※写真はイメージです
突然、職場で倒れて帰らぬ人に

40代前半のまさに働き盛りの男性がいた。会社では課長になり、与えられる責任も大きく日々残業に明け暮れる毎日だった。全国にある取引先にも毎週出張し、企画書作りや書類処理などのデスクワークで休日出勤も当たり前だった。とにかく、休みがなかった。

心身がヘトヘトになっていた。しかし働かなければいけない。そんな夫の姿を見て、妻も中学生の娘も心配していた矢先だった。

男性は職場で椅子から立ち上がった瞬間、突然後ろに倒れ意識を失った。すぐに救急車で運ばれたが、そのまま意識は戻らず亡くなった。

検死、解剖をすると脳出血による病死であった。

しかし、残された妻は、夫の死はただの病死ではない、会社のために毎日クタクタになるまで休みもなく働き続けたことによる過労死であると主張した。大切な夫を失い、その働きぶりを見てきた家族なら当然の主張である。

検死しても「過労死」とは判断できない

勤務中の災害事故死の場合、殉職となり労災保険が適用される。そうなると補償金が支払われる。労災かどうかの判断は監察医が行うものではない。警察官の判断でもない。経営者の判断をもとに労働基準監督署の同意を得て最終判断が下されるのである。

過労死とはいえ、解剖して脳出血の事実を確認しても、疲労は機能上の変化であるからこの眼には見えない。ホルモンバランスが崩れ、体の機能がコントロールできなくなって死亡する「機能死」と同じである。

この場合、機能死であるから検死、解剖しただけでは疲労の有無が分からず、過労死と判断することができない。脳出血は病的疾病であるから、病死であって労災にはあたらないというのが労働基準監督署の判断であった。

そう言うと妻は「先生、なんとかしてください。主人は会社に殺されたんです。この一年間休みなく身を粉にして働いていました。会社のために働いて死んだんです。私たちは明日からどうやって生きていけばいいんでしょうか」と泣き崩れた。

労基署は「病気」として認めなかったが…

その妻の姿に胸を打たれた。毎日身を粉にして働いて、寝るためだけに家に帰る日々。休日も働き、無論週末に家族で出かけることもない。その末に突然死。残された家族の悲しみは計り知れないものがある。

「そういうことでしたら、意見書を書き、労働基準監督署に掛け合って、労災と認められるようにできる限りのことはしますので」と私は答えた。そして、会社から勤務表を取り寄せ、過労状態にあったことを立証した。

その結果、本人にはもともと脳出血を起こす要因があったが、このような勤務状態の過労が脳出血の発病を早める要因になった。過労は発病を誘発した重要な引き金になっている、という意見書を書いて提出した。

しかし、脳出血は病気であり、災害事故死には該当しないとして認められず、残された妻子と共に涙を流した。このような意見書を現役時代に何通も何通も書いた。ちょうど、その頃は高度経済成長期で、会社もどんどん大きくなっている時代だった。いくらでも仕事があった。だからこの男性のように、休みなく働き続け、会社の犠牲になって亡くなる人が多かったはずだ。

私が監察医を辞めて2年ほど経った頃だった。ある日、新聞を開くと「過労死を労災として認める」という記事が目に飛び込んだ。自分の過去の努力が認められたと目頭が熱くなった。小さなアピールの積み重ねが実った。弱者の喜びが聞こえてくる。

少数であっても、労災認定されるように

1989年、私は東京都監察医務院を退職した。1988年に設置された「過労死110番」により、「過労死」という言葉が広く認知されるようになっていたが、引退から1年、1990年3月に東京では初めてとなる「過労死110番」による労災認定が出たという記事を目にした。

それを見て、私は、感慨深い思いを抱いた。自分が今まで書いてきたたくさんの意見書が労働基準監督署を動かす要因になったのかもしれないと思ったからである。とはいえ、当時は全国的に見ても認定されるのは少数であった。

過労死の労災認定は、「脳・心臓疾患の認定基準」によって行われる。あまりにも長い労働時間や仕事上の著しい負荷がたまって発症した脳や心臓の疾患(脳血管疾患や虚血性心疾患)などで命を落とした場合も労災として認められるようになったのである。

「目に見えない死因」を訴えてきた

厚生労働省は、時間外労働時間がおおむね「発症前1カ月間で100時間超」「発症前2〜6カ月間で1カ月当たり平均80時間超」を「過労死ライン」としている。

また、2001年には、これらの長時間労働や著しい負荷から発症した慢性疲労症候群も、認定の要素として盛り込まれるようになった。今日では長時間労働以外にも、「労働時間以外の負荷要因」として次のような認定基準が設けられている。

・拘束時間の長い勤務
・休日のない連続勤務
・勤務間インターバルが短い勤務
・不規則な勤務、交替制勤務、深夜勤務
・出張の多い業務
・その他事業場外における移動を伴う業務
・心理的負荷を伴う業務
・身体的負荷を伴う業務
・作業環境(温度環境・騒音)

脳出血や心筋梗塞を誘発するような過労やストレスというものは、解剖しても目に見えない。私が現役の頃には、目に見えない死因は認められなかったのである。

現在でも、どれだけの過労があっても、勤務表にそれが表れていなければ認められることは難しい。だから、勤務表の提出は重要である。また、立ち入り調査で過度な残業が日常化している実態がバレるのをおそれて、労災を申請しない会社もあるという。

しかし昭和の時代から、遺族の方々は苦労して訴えてきたのである。過労という見えない要因が認められるようになったのは、彼らが闘い続けた結果である。

※写真はイメージです
1950年代に相次いだ「ポックリ病」の正体

30代ぐらいの若い人が、寝ているうちに「ううー」と唸って急死してしまうという事例が、相次いだことがあった。1950年代のことである。

東京都監察医務院に取材にきた新聞記者にコメントを求められた。

「元気な人の突然死があったとき、解剖しても体にはどこにも疾患はないし死因がわからない。ポックリ死んじゃうんだよ」と私が言ったのがきっかけで、「ポックリ病」という言葉が使われるようになった。

しかし、ポックリ病は状態、症状を表す用語で死因にはならないので、急性心機能不全という診断名をつけたのである。女性よりも男性が多い。しかも、痩せた男性よりも屈強な男性に多く見られた。

「過労死」だと証明することのハードル

解剖しても疾患が見当たらないというのは、ポックリ病は、組織の器質的な変化による死ではなく、ホルモンのような内分泌系が原因の死なのかもしれない。当時はそのような検査が徹底されていなかったので、本当のところはわからないままであった。ホルモンバランス、あるいは交感神経と副交感神経の機能障害などは、解剖しても目には見えない。こういう死に方を「機能死」と言う。

過労も同じで、解剖しても見えない。化学的な成分を調べれば出てくるかもしれないが、そういう意味では過労死は機能死である。今後、ホルモン数値や血糖値などを細かく分析していけば、過労している状態というのが科学的に明らかになるかもしれない。

現状では、過労の状況証拠としては勤務表などをつけるしかないのである。もし、過労やストレスの状態を血液検査などで測定できるようになり、職場健診に活かせるようになれば、過労死する前にドクターストップをかけ、健康に働ける仕組みが作れるようになるかもしれない。

死んだ段階で、その人の体は生きていた頃とまったく違ってしまう。酵素の働きも止まり、体を動かしていた有機成分は、死んだ瞬間からどんどん変化し無機成分になっていく。

だから、死んでしまっては、死ぬ直前にその人がどういう状態だったか分からない。もし、過労で死ぬ1日前の血液を採取し、検査したら、健康な人との違いが明らかになるかもしれない。

しかし、死ぬ1日前など、分かるはずがない。現実的には難しいことである。

仕事中、丸太が頭に当たって死亡?

こうした一方で、労災認定をなんとか受けようと、事実をごまかす人も中にはいる。

仕事で丸太を運んでいた男性が、「仕事中に丸太が崩れてきて頭に当たり、首の骨が折れて死亡した」という事例だった。

もちろん本来であれば労災の対象となる。

しかし、私は彼の死体を解剖した際、おかしな点に気付いた。丸太が当たったのであれば、頭部に丸太の当たった傷跡があるはずである。しかし、解剖してもそれがない。おかしい。もう一度調べるよう警察に伝えた。

遺族のために会社がついた悲しいウソ

再捜査の結果、ウソは暴かれた。実はその男性は昼休みに階段から転げ落ちたのであった。階段から転落した際に首をひねったことによる頸椎骨折、頸髄損傷によって死亡したのであった。業務中ではなかったし、自分の過失で階段から落ちたのだから、もちろんこれは労災の適用にはならない。

そもそも、丸太が頭に当たったなら、当たった瞬間、頭だけでなく体ごと横に倒れるはずである。体も一緒に倒れるのだから、首だけが折れるはずはない。

上野正彦『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)

私は、死体を見ることで真実を見つけ出したのである。しかし、これは後味の悪い事件であった。労災が適用されれば、遺族年金や遺族一時金などパターンはさまざまだが、遺族にお金が支払われることになる。たとえば、日当の千日分が遺族に支払われることもあり、1日1万円なら、残された家族は1千万円もらえる。会社は家族のために何かしてあげたくて、ウソの申請を行ったのである。残された家族たちが今後食べていくために……。

会社の温かい気持ちは十分理解できるのだが、これを見逃してしまえば社会の秩序は保たれない。ジレンマを抱えつつ、私も事実を明らかにしたのである。

監察医をやっていると、悲しいほどに人間模様、そして人間の性さがが見えてくる。

上野 正彦(うえの・まさひこ)
元東京都監察医務院長
1929年、茨城県生まれ。法医学者。1954年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年、東京都監察医務院に入り監察医となり、1984年に同医務院長となる。1989年に退官。退官後に執筆した、初めての著書『死体は語る』は65万部を超えるベストセラーとなる。その後も数多くの著作を重ね、鋭い観察眼と洞察力で読者を強く惹きつける。また、法医学評論家としてテレビや新聞・雑誌などでも幅広く活躍し、犯罪に関するコメンテーターの第一人者として広く知られている。これまで解剖した死体は5千体、検死数は2万体を超える。主な著書に、『死体は語る』(文藝春秋)、『死体鑑定医の告白』(東京書籍)、『人は、こんなことで死んでしまうのか!』(三笠書房)など多数。

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