幼稚園生の頃、「りこちゃんは何色が好き?」と先生や友人らに訊ねられると、私は決まって「ピンク!」と答えていた。白い砂浜で埋もれた桜貝や、バービー人形が着ているショッキングピンクのワンピースの色まで、「ピンク」と名がつくものが大好きだった。
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そのため、自分の身の回りのものはピンク色で揃えていたように記憶している。レースのついたスカートに、つるつるとしたピンク色のランドセル、桃色の香りがする鉛筆、薄桃色の衣装を身にまとったバレリーナがくるくると回る、ピンク色のオルゴール。
それに加えて、ピンク色だからという理由で、キャラクターシール付きの、ふわふわのいちご味の蒸しパンや、いちご味のチューイングキャンディーなど、食べるものもいちご味を好んでいた。幼児が観る魔法少女のアニメも、ピンク色の髪をなびかせる主人公がとても魅力的に思われて、わくわく、一生懸命に応援していた。
その主人公の性格が好きだったわけではない。「ピンク色」だから、その主人公が好きになったのである。
このように、身につけるものや、食べ物まで私の生活はピンク色に溢れていた。
そんな生活をしていたから、自然と母が買ってくるものもピンク色になるし、母に二つ結びや三つ編みをしてもらっていた私は、「お嬢様みたい」「女の子らしいね」と言われることが多くなった。女の子らしい格好が好きだった私はそれに違和感を抱くことなく、むしろ頬ずりしたくなるような居心地の良さを感じていたように思う。
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そんな私がピンク色と離れるようになったのは、小学校低学年の頃だった。当時、男の子の間で女の子のスカートをめくることが流行し、私はそのターゲットになったのだ。
普段から大人しい子どもで、「女の子らしかった」私は、当時の小学校男子からすると、興味深いターゲットだったのであろう。
お気に入りのスカートを履いていくと、決まってスカートをめくられるようになった。「やめて!」と私がお願いすると、数人の男子はニヤニヤしてその手をとめる。しかし、時には、一回だけのお願いをしてもやめてくれず、そのお願いを何度も続けなければならないときもあった。そうしていると、他のクラスメイトも、「なんだ」「どうしたのか」と、無邪気な目を向けてくる。「りこちゃんって、スカートめくりされているんでしょう」と、クラスで話題になることもあった。
そうして、最初はあまり気にしていなかった私も、次第にスカートめくりされることが嫌になり、しいんと雪が降り積もるように、恐怖心がゆっくりと育っていった。何より公然の場にて、スカートをめくられることが恥ずかしくてたまらなくなったのだ。それは、皆の前で下着になり、身体検査されている感覚に近かった。
幼い少女のほのかな暗い気持ちの結晶は、飴玉のように溶けていった。
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だから、私はある日からスカートやワンピースを一切着なくなった。母や友人に理由を問われても、恥ずかしがり屋な私は、「スカートめくりをされているから」なんて理由を言えず、曖昧にごまかした。
そういうわけで、私は女の子らしさから一旦距離を置くことにした。女の子らしかったから、スカートめくりをされるのなら、そこから離れた方が賢明だ、そう判断したのだ。代わりに、細身のジーンズやパーカーなど、男の子らしい格好を好むようになった。
好きな色もピンク色から、グリーン系に変化して、いちご味の食べ物も食べなくなり、それからというもの、スカートは十年間履かなかった。否、恐ろしくて履けなくなった、というのが正しいかもしれない。
私がスカートやワンピースを身につけられるようになったのは、大学生に入ってからなので、つい最近のことである。上京したこともあり、小学校からの友人との交流も減り、新しい舞台が心地よく感じられて、恐怖心が薄れたからだろう、と予測している。
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今では、ピンクの小物をチョイスすることもあるし、素直に「かわいいな」と思って、ほのかに嬉しくなることもしばしばだ。一方で、少女時代の暗い思い出も浮かんでくるのは事実である。誰しも、幼少期に絡みついた、ほろ苦い思い出があるかもしれない。でも、そんなやわらかな棘を抱えて、今日も生きてゆく必要がある。
女の子らしいことが恐ろしい。そう感じるときは、影のようにすうっと現れることはあるが、ただぎゅっと、縮こまっていた私はもういない。砂糖菓子のような思い出とほろ苦さを噛み締めて、私はたしかに、自分の人生を着実に歩んでいく。
■Ricoのプロフィール
古本屋や雑貨屋巡り、愛犬と触れ合うことが大好きな大学生。趣味の読書に関して、読書記録をつけて3年になります。毎日が心穏やかに過ごせることに感謝です。 Instagram: https://www.instagram.com/rico_bookbook