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だから徳川家康は「平均寿命の2倍」も長生きした…陣中で「インスタント食品」にしていたスーパーフードの名前

  • 2025.4.10

徳川家康は、平均寿命が37、38歳の時代に、73歳まで生きたことで知られる。長寿の秘訣は何だったのか。「日本発酵文化協会」上席講師の藤本倫子さんは「食生活へのこだわりが長生きした理由のひとつだろう。家康の食生活は、科学的に理にかなっている」という。ライターの笹間聖子さんが聞いた――。

徳川家康像(画像=狩野探幽/大阪城天守閣所蔵/ラッチキング/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
「北海道から沖縄まで」地域ごとの味噌がある

味噌のルーツは、紀元前の中国・周にあるといわれている。冷蔵庫のない時代、肉や魚を保存するために塩を混ぜた「肉醤ししびしお」「魚醤うおびしお」などの発酵食品が生まれ、農耕が広まるにつれ、穀物と塩を混ぜた「穀醤こくびしお」が誕生。その製法が奈良時代、仏教とともに日本に伝わったのが日本の味噌のはじまりだ。

現代では日本の味噌は、米味噌、豆味噌、麦味噌、これらを合わせた調合味噌の4つに分類される。だが、発酵食品の正しい知識や楽しみ方を普及している「日本発酵文化協会」上席講師の藤本倫子先生によると、細かく見れば各都道府県に1つ以上の種類があるという。

地域ごとに特性もあり、「米味噌」は北海道から沖縄まで全国で作られているが、「麦味噌」は九州、四国、沖縄に多い。なぜなら、稲作は日本全国で行われていたが、麦は基本、稲の裏作に使われる作物。温暖な地域でなければ作れないからだ。

「日本発酵文化協会」上席講師の藤本倫子さん
じつは作り方の「正式なルール」がなかった

味噌の作り方にもそれぞれこだわりがある。たとえば、山梨県の甲府市などで作られる「甲州味噌」には、「米麹と麦麹を一緒に入れないといけない」というルールがある。一方、長野県を中心に作られる「信州味噌」の製法では、一番先に大豆と塩を混ぜる。そして、そこまで明確でなくとも、米麹と塩の割合や温度に少しずつ違いがあり、たとえ隣の県で同じように作っていても、できあがる味噌は異なるそうだ。

このように日本で味噌の食文化が多彩になった背景には、現代に至るまで、正式な味噌づくりのルールがなかったことが大きく関係している。しかし2022年3月、海外産の粗悪な味噌の増加から国産味噌を守るために、JAS規格が設けられた。それまで認められていた自由な作り方に一定の規制がかかったため、何百年も歴史がある味噌蔵の味噌が規格に当てはまらず、「味噌」と名乗れないような弊害も起きている。

天下人が愛した味噌に起こった「騒動」

数多い味噌のなかで、今回ご紹介するのは「徳川家康が愛した」といわれる「八丁味噌」だ。八丁味噌は豆味噌の一種。豆味噌はほかの味噌と違い、米麹、麦麹を使わず豆麹を使うのが最大の特徴である。大豆と食塩、水だけで長期間発酵・熟成しており、おもに愛知県で作られている。というか元々は、「八丁味噌」と名乗れるのは、岡崎城から「八丁(約870m)」離れた場所で作られる味噌蔵の味噌だけだったそうだ。

現在も残る、まるや八丁味噌(通称まるや)と、八丁味噌(通称カクキュー)の2軒の味噌を指した名称だったのだ。この2軒の味噌づくりには400年以上続く、「2年以上天然醸造」「低水分木桶仕込み」などの厳然たるルールがある。

八丁味噌

ところが2015年、「八丁味噌騒動」といわれる事件が起きた。八丁味噌への世間的な認知度が高いため、愛知県で豆味噌を作っている味噌蔵数軒が加盟する「愛知県味噌溜たまり醤油工業協同組合」が、「自分たちも八丁味噌を名乗りたい」と政府に申し出たのだ。これが認められ、同組合が2017年にGI(地理的表示)産品の生産者として「八丁味噌」の名称を取得する。

しかしながら、組合には八丁味噌の元祖である「まるや」と「カクキュー」が入っておらず、彼らが八丁味噌と名乗れなくなる危機に瀕したのだ。組合に参加する味噌蔵のなかには、「2年以上天然醸造をしていない」ところもあるなど、八丁味噌の在り方自体が変わってしまうというのではという議論もあった。

「味噌煮込みうどん」は理にかなっている

そこで「まるや」と「カクキュー」は「八丁味噌協同組合」を起ち上げ、2018年に不服審査を請求する。2021年には、「まるや」による行政訴訟も行われた。この訴訟は、一度は敗訴するが、2度めの訴訟を受けて2025年1月、元祖2軒が八丁味噌のGI産品生産者に追加登録された。この判決を受けて、「新しい八丁味噌」と「昔ながらの八丁味噌」が林立することとなったのだ。

同じ名称なので、消費者は「昔ながらの八丁味噌を食べたい」と思ったら、「まるや」と「カクキュー」から購入するしかない。新旧の八丁味噌の最も大きな違いは、「2年以上天然醸造をしているか否か」である。歳月の違いで大きく変わるのは、乳酸菌含有量と使用方法だ。

加えて、「昔ながらの八丁味噌」は、乳酸菌の含有量が多く酸味が強いので、煮込んで沸騰させ、酸味を旨味に変える必要がある。古くなったキムチを炒めて酸味を和らげるのと同じ効果だ。名古屋で「味噌煮込みうどん」などが愛されているのはそういう理由からなのだ。「新しい八丁味噌」は乳酸菌含有量がそこまで多くはないので、沸騰させなくても使える。

どちらを選ぶかは好み次第だが、乳酸菌は悪玉菌の繁殖を抑制するほか、便通の改善、コレステロール値の低下、免疫力の強化、ピロリ菌の抑制などの効果も認められている。

徳川家康が戦場で八丁味噌を食べたワケ

八丁味噌を徳川家康が好んだのはなぜだったのだろうか。家康は1542年、岡崎城の生まれだ。つまり、地元の味噌が八丁味噌だったのだ。

家康は、自身で食べるのはもちろんだが、八丁味噌を戦の際の「陣中食」としても使っていたといわれている。食べ方としては、天日干しで乾燥したものを兵が携帯。そのまま食べたり、水に溶かして“インスタント味噌汁”にしたり、おにぎりの周りに味噌を塗ることで、保存性を高めたりしていたとも。

※写真はイメージです

「八丁味噌を陣中食にすることは、非常に理にかなっている」と藤本先生は指摘する。豆味噌には大豆由来のペプチドが多く含まれており、疲労回復や、傷ついた筋肉の修復などに効果的だからだ。アミノ酸の量も味噌のなかでダントツに多く、こちらも体力や筋肉の増強に効果を発揮する。

健康オタク・家康が説いた「五菜三根」とは

と、そこまで科学的に解明はされていなかっただろうが、徳川家康は「健康オタク」で、自身も「五菜三根」を入れて、毎日八丁味噌の味噌汁を食べていたという。五菜三根とは、「葉野菜5種と根菜3種」を指す。さらに、麦飯も一緒に食べていた。麦飯は、レジスタントスターチ(消化されないでんぷん)を含み、食物繊維と同様の働きをして腸内環境を整えてくれる。この食生活が、平均寿命が37、38歳の時代に73歳まで長生きした理由のひとつであることは間違いないだろう。

真似をしたいところだが、今は野菜高騰の時代。食卓に取り入れるなら、葉野菜も根菜も安いタイミングに購入して、食べるサイズにカットして5種類まぜて冷蔵しておくか、冷凍して使うのがいいそうだ。また、「現代ならきのこ類も加えると、食物繊維が腸をきれいにしてくれるので、さらに健康にいいですよ」と藤本先生。「五菜三根一茸」を新しい味噌汁のスローガンとして掲げてはいかがだろうか。

「風邪を引いたとき」にもおすすめ

陣中食として重宝されていた八丁味噌。現代では、どんなときに食べればいいのだろうか。藤本先生によると、「疲労回復や傷ついた筋肉の修復に効果を発揮するため、怪我をしたときや抜歯後、手術後、風邪を引いたときなどにおすすめ」とのこと。さらに、マラソン後や、トレイルランニング後にも八丁味噌がいいそうだ。実は走っている最中に食べるのもおすすめだそうだが、さすがに食べにくい……。

その代替品として教えてくれたのが、ほぼ同じ栄養がある「浜納豆」だ。浜納豆は、蒸し大豆に麹菌と小麦を加えて発酵させ、塩水に漬けて半年~1年寝かし、天日干ししたもの。乾燥しているので持ち歩きやすく、匂いも納豆ほどはない。しかもこちらも戦国時代、家康に献上されていたのだとか。

また、八丁味噌に含まれる乳酸菌は独自のGABAを出すため、眠りにも効果的とされている。一日一回味わうなら、夕ご飯がいいかもしれない。さらに、抗酸化性ビタミンEが多いので、老化を防ぐアンチエイジング効果もあるとされる。大豆由来のペプチドが、肌の新陳代謝の促進もあと押ししてくれる。

家康の愛した八丁味噌、長生きを目指す方はぜひ食卓に取り入れてみては。乳酸菌が強く、その風味に独特のくせがあるため、米味噌と混ぜて使うのもおすすめだ。味噌汁で味わう際は、徳川家の家訓にも記されているという「五菜三根」、いや、「五菜三根一茸」をどうぞお忘れなく。

※写真はイメージです

笹間 聖子(ささま・せいこ)
フリーライター、編集者
おもなジャンルは「ホテル」「ビジネス」「発酵」「幼児教育」。編集プロダクション2社を経て2019年に独立。ホテル業界専門誌で17年執筆を続けており、ホテルと経営者の取材経験多数。編集者としては、発酵食品メーカーの会員誌を10年以上担当し、多彩な発酵食品を取材した経験を持つ。「東洋経済オンライン」「月刊ホテレス」「ダイヤモンド・チェーンストアオンライン」「FQ Kids」などで執筆中。大阪在住。

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