引っ越し後に新天地でのごみのルールについて戸惑う人は少なくないだろう。自治体が変わると分別方法が変わり、分別にとまどうことも多々ある。生活史研究家の阿古真理さんは「わからないから捨て方を間違えてしまい、トラブルや事故の原因を作ってしまう」という――。
水銀体温計が可燃ごみに捨てられて復旧に3億円かかった
4月になり、新天地で生活を始めた人も多いだろう。住む地域が変わるとルールも違う場合があるのが、ごみの出し方。それまで住んでいた地域と分別方法が違うので、戸惑った覚えがある人は多いのではないか。また、ストッキングや使い捨てカイロ、プラスチックと金属など複数の素材で構成された道具類といった、出し方に迷うものもある。そこで今回は、分別を中心にごみとの付き合い方について考えてみたい。
ごみは適切な方法で出さないと、行政の清掃職員や清掃工場に負担がかかるだけでなく、場合によっては事故の原因にもなってしまう。ごみ収集車の同行調査を続ける立教大学の藤井誠一郎准教授の『ごみ収集の知られざる世界』(ちくま新書)には、「近年、清掃工場に不適正廃棄物が搬入され、焼却炉の緊急停止を余儀なくされるケースが多発している」とある。例えば東京・足立清掃工場では2010年、清掃工場に搬入された可燃ごみに水銀(水銀体温計などに含まれる)が混入し、焼却炉が操業停止となった。復旧コストは、約3カ月で約3億円もかかったそうだ。スプレー缶やカセットボンベ、ライター、マッチ、電池、モバイルバッテリーなどが可燃ごみに紛れていると、収集時に火災が発生する恐れもある。
飲み残しのペットボトルはリサイクルどころではない
よくある例は、飲み残しが入ったペットボトルがリサイクルボックスに入れられること。飲んだ人以外はその液体が飲み残しかどうか判断できないため、ペットボトルを再生できなくなる。ペットボトルや空き缶に「インスリン注射器、ライター、電子タバコのリチウム電池、大工仕事で使う工具等」を入れた例もある。異物が入っていればリサイクルできないうえ、手作業で取り除かなければならない。私たちが間違った扱い方をした結果、問題が生じてしまうのだ。そこで、ごみをどのように出せばよいのか、「プラごみを分別しなくていいから、住人にとって管理がラク」、と評判の世田谷区清掃・リサイクル部の荒木義昭事業課長(取材当時)に聞いた。
世田谷区がプラごみを分別しなくていい理由
ごみの分別方法や収集後のプロセスは自治体によって異なる場合があるので、聞いた話は基本的に世田谷区の例である。東京都では、2000年に清掃事業が都から23区へ移管された結果、現在は家庭ごみの収集業務は区が責任を持つ。また、23区は清掃工場などで行うごみの中間処理について、東京二十三区清掃一部事務組合を作り共同で実施しているので、23区共通の話もある。
まず、プラごみを可燃ごみとして出せる理由を聞いてみた。噂では、「世田谷区はお金持ちなので、プラごみを燃やす清掃工場の性能が非常に高い」。ところが実際は、まったく違った。荒木課長は、「世田谷区はプラスチックの分別収集に関しては後発組で、区内のプラスチック量を受け入れて再商品化できる工場が見つからないのです」と説明する。分別する地域ではプラごみをリサイクルしているが、世田谷区はまだそれができていないのだ。プラスチックを収集し、再商品化工場へ運搬する一連の費用は、年間20億円にものぼる試算となっており、予算の確保は容易ではないそうだ。区は、将来的に分別する目標を掲げている。
一方、金属ごみについては、リサイクルを進めている。東京二十三区清掃一部事務組合では、鉄は磁力選別機(磁選機)の磁力で吸い寄せ、アルミニウムはアルミ選別機の高速回転する磁石で飛ばし分別する。それに加え、世田谷区はレアメタルを中継施設で手作業で分別し、銅、真鍮なども専門業者に委託し再生利用する。
内蔵バッテリーは火災の原因、スプレー缶は爆発の原因に
世田谷区民に限らず、住民の私たちが気をつけるべきことは、以下の通りだ。
家電などに内蔵されたバッテリーは火災の原因になるため、ごみとして出す前に取り外し、家電とは別に自治体が定めた方法で処分する。
可燃ごみとして出すシーツや梱包用紙といった大物のごみは、約30センチ角で、厚さがないものは50センチまでに裁断することが望ましい。「清掃工場に入れられるサイズが、約30センチ角、または1辺当たりの長さが約50センチまでなんです」と荒木課長は言う。
スプレー缶やカセットボンベは以前、私が住んだ都区内では底に穴を開け、残りの気体を出し切ってから金属ごみとして捨てるよう指示されていた。しかし今住んでいる区では、穴を開けず「スプレー缶」と袋に書くなど中身がわかるようにし、金属ごみとして出すよう指定されている。世田谷区も同様で、「穴を開けて発火性があるガスを出すのは、危険でもあります。区で真空処理できる機械をレンタルし、処理しています」と荒木課長は説明する。
東京23区のおもな分別処理方法
そもそも、収集したごみはどのようなプロセスで処分されるのだろうか。東京23区の場合、区ごとに可燃ごみ、不燃ごみ、粗大ごみ、資源などに分け、それぞれ収集の曜日や収集方法が指定されている。
可燃ごみは清掃工場で焼却され、その後一部は民間業者がセメント原料・液体スラグ・焼成砂にして建築や土木の資材として活用する。焼却時に発生する熱エネルギーは、清掃工場内で使う電力にし、余れば売却するなど有効活用する。残りは東京二十三区清掃一部事務組合が都に委託し、最終処分場で埋め立てる。
不燃ごみは中継施設を経由し、不燃ごみ処理センターで破砕・選別する。例えば木の柄がついたアルミ製の道具があれば、粉砕後に木製部分は清掃工場で燃やし、アルミはリサイクルする。残りは最終処分場へ送る。粗大ごみも粗大ごみ破砕処理施設で破砕・選別をし、同様に処理する。資源は、メーカーのリサイクルセンターや民間のリサイクル業者に再資源化または再製品化してもらう。
東京都のごみの量が減っているのはなぜか
ごみ処理のシステムは、進化し続けている。高度経済成長期には急激にごみが増えて清掃工場の処理能力を超え、生ごみを袋ごと処分場に埋め立てた結果、ハエなどが大量発生してしまった。東京都は1973年にプラスチックを不燃ごみとする分別収集を開始し、1979年に粗大ごみ破砕処理施設、1986年に不燃ごみ処理センターをつくる、1991年に粗大ごみの収集手数料を全面有料化、など分別を進めてきた。その結果、埋め立てるごみの量はずいぶん減った。23区のごみは昭和50年代に減少し、その後バブル期にいったん増えたものの、平成以降は減り続けている。全国でもごみの量は2007年頃から減少傾向にある。
減った要因は特定できないが、「分別を徹底したことや、容器のビンが薄くなり、ペットボトルが軽くなった、詰め替え容器を作るといったメーカーの企業努力もあります。食品ロスについての行政などの啓発、メルカリやヤフオクといったリサイクル事業者も増えました」と荒木課長は話す。確かに、中古品の流通は格段に増えた。好景気のたびにごみが増えたことを考えれば、不況も減少した要因かもしれない。
一方で、まだ使えるのに捨てられてしまうごみもある。2022年に世田谷区でごみとして出されたうち、食品ロスが9%、紙類は14%、衣類や布類も6%あった。また、2023年度に23区で最も多かった粗大ごみは布団、2位がタンスなどの箱もの家具、3位が椅子、4位が衣装箱、5位が敷物だった。最終処分場は、いずれ満杯になる。マイクロプラスチック問題など、環境問題の原因になるごみもある。長持ちしない製品を買わないようにするなど、私たちがごみを減らすためにできることはまだたくさんある。世田谷区の「令和7年(2025年)版資源とごみの収集カレンダー」では、生ごみは約80%が水分で、野菜は皮を濡らさずにむく、ティーバッグなどは乾かして捨てる、生ごみを捨てる前に絞るなどの減量方法をすすめている。
処分の方法がわからないものについては、個別に自治体へ問い合わせよう。わからないから捨て方を間違えてしまい、トラブルや事故の原因を作ってしまうのだ。問い合わせれば、「捨て方がわからない」と放置していた不用品も処分できる。こうして知識をつけたうえで適切に処分することも、快適な暮らしに必要なことである。
阿古 真理(あこ・まり)
生活史研究家
1968年生まれ。兵庫県出身。くらし文化研究所主宰。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。