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直木賞作家・桜木紫乃が自身の父親をモデルに描いた1冊。「親の生き方を肯定するのは、子どものたいせつな仕事かなって」《インタビュー》

  • 2025.4.9

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ラブホテルを舞台にした連作短編集『ホテルローヤル』(集英社文庫)で第149回直木賞を受賞した桜木紫乃さん。2025年3月発売の最新刊『人生劇場』(徳間書店)では、自身の父をモデルに、北海道に生きる一人の男とその家族の光と闇を描き切った。2011年に単行本が発売された『ラブレス』(新潮文庫)では母方の親族をモデルに女の人生を描いた桜木さんが、父をモデルにした男の人生を描いた心境とは。お話をうかがった。

――〈海は本当は青いものらしい。しかし猛夫がいま坂の上から見ている室蘭港の海は、日本軍か、それとも日鐵様の偉い人が染めろよと命じたのか、いつもいつも赤い色をしていた。〉という冒頭の一文がとても印象的です。この情景は、どこから生まれたのでしょう。

桜木紫乃さん(以下、桜木) 何もかもが赤かった、と室蘭に住んでいた方から聞いたことがあったんです。明治42年(1909)に日鐵の製鉄所が創業し、鉄のまちとして栄えてきた室蘭は、高炉から吐き出される鉄の粒子によって、空が赤く染まっていた。だとしたら、きっと海も赤く染まっていたのではないか、と想像したんです。昭和13年(1938)に生まれた猛夫の人生をたどるならば、その町から始めなければいけないなあ、とも。

――猛夫のモデルは、桜木さんのお父さまなんですよね。

桜木 そうです。『ラブレス』という小説で、開拓者だった母方の親族をモデルに女の生き方を描いたので、いずれ父方の話も描きたいと思っていました。ただ、『ラブレス』で私は、百合江という昭和の女性と、その姪である平成の女性を描くことで、それぞれの時代の謎を解き明かすというスタイルをとったのですが、腕が足りず、粗さが残ってしまったんですよね。次に書くときは、ひとりの視点で一気に最後まで駆け抜けたほうがよいのではないか、と思っていたところに『アサヒ芸能』で連載させていただけることになったんです。

――『ホテルローヤル』にもつながる、後半の激動の人生もおもしろかったのですが、個人的には、理不尽にさらされながらも一つひとつ人生の基盤を積み上げていく、前半の物語がとても好きでした。そこがなければ「今」にたどりつかない。まさに「人生劇場」だと。

桜木 この小説は、猛夫の幼いころから追いかけないといけないな、と思っていました。『緋の河』(新潮文庫)という小説で、主人公の6歳から30歳手前までという期間をたどったことで、どういう環境で生まれ育ち、どんな人と出会ってきたのかを描くのと描かないのとでは、物語に対する印象がまるで変わるんだということを学んだんですよね。だから、父が生まれ育った室蘭にも足を運びました。当時の人なんてもう誰もいないんだけど、八幡様(神社)の横を抜けてふり向いたら、本当にすり鉢みたいな町と湾が見えたんです。ああ、これじゃあ背中側から艦砲射撃されたら太刀打ちできないよなあ、と。

――八百数十発の砲撃で壊滅状態になった、という戦争の描写も、物語の序盤で描かれています。

桜木 ほんの少しでも気を抜いたら、おしまい。そんな町の地形もふくめて、小説的だなと思いました。だからやっぱり、物語はあの場所から始めないといけなかったんですよね。

――〈やせ我慢人生を歩いてきたすべての先人に、愛を込めて〉と刊行によせてコメントされていました。やせ我慢によって「ほんの少し」の力を抜かずに済む、だから生きられるということもあるのだな、と今お話を聞いて思いました。

桜木 たぶん好きなんですよ、やせ我慢。父も、私も。大変そうな顔をするのは簡単だけど、涼しい顔をして何かをやり遂げたとき、その時間に自分にしかわからない価値が生まれるような気がして。もちろん、命に関わるような我慢はすることないと思うけれど、今ここを踏ん張って耐えなければ次にいけない、という状況が訪れたとき、必要なことかなと思います。まあ、作中でいちばん我慢をしていたのは、猛夫以上に女たちだと思いますが。

――実家で冷遇されていた猛夫を育ててくれた、第二の母とも呼べる伯母のカツと、姉にコンプレックスを抱いて反発する実母のタミ。カツの営む旅館で仲居をしていた駒子と、やがて猛夫と結婚する里美。さまざまな女性の人生が浮かびあがってくるところにも、惹きこまれました。

桜木 このお話を書いて、つくづく感じたのは、男も女もけっきょく女から生まれて女に育てられて生きていたんだな、ということ。猛夫の視点を借りて、実はさまざまな女の生き方を描いていたのかもしれません。そういう意味でも、『ラブレス』でやり残したことをようやく消化できたような気がしています。

――とくに、書けて良かったなと思える女性はいますか。

桜木 やはり里美……私の知らない母の姿ですね。最初から子育てに向いている人なんていない、と私は思っているのだけど、母はとくに向いていなくて、この小説に書いたとおりの人なんですよ。そんな母を、父のまなざしを通じて、職人として自立した女性として描けたのはよかった。親の生き方を肯定するのは、子どものたいせつな仕事かなって。それが、本当の意味で自分を肯定することにつながるんじゃないかな。もうすぐ60歳になろうという今、これを書けたのは、私自身が自分の人生を肯定できているからなんだなと思えて、それもまたひとつの発見でした。

――親の生き方を肯定することが、自分を肯定することにつながるという思いは、いつごろから抱いていたのでしょうか。

桜木 『家族じまい』(集英社文庫)を書いたころでしょうか。あれも、猛夫という父と、サトミという母が登場し、二人の姉妹がその老いに直面するという小説で、内容は今作同様にフィクションなのだけど、家族構成は我が家と同じで、重なる部分も多々あります。その小説を通して、自分のことも親のことも客観的に眺めることができたとき、ネガティブな思いが残っていないという、とてもラクな気持ちになったんですよね。自分の人生は自分のものなのに、今起きている出来事に対する不満を誰かのせいにするのは、非常にもったいないことだよなあ、と思います。

――私たちは親という存在を飛び越えていけるはずだ、と以前別のインタビューでもおっしゃっていました。

桜木 自分に命を授けてくれたのはたしかに両親だけど、そこから先の生き方は尊敬する他人に学ぶことができると思ってるの。

――まさに、猛夫の生き方を通じて、それを感じました。どんな家に生まれてどんな理不尽に遭遇したとしても、誰と出会い、何を学び取るかで、人生は変わっていくのだな、と。

桜木 自分を産む親は選べないけど、生き方を教えてくれる人は選ぶことができる。そして、そういう人に出会えるかどうかは、自分にかかっているんですよね。親や、自分に不都合な誰かを悪く言い続けても、どうにもならない。ひととき、気持ちはラクになるかもしれないけれど、何も改善されないでしょう。前に進みたいと思うなら、そのときこそやせ我慢が必要かも。それと、自分だけのものさしをもつことも。人のものさしで現実をはかっても、やっぱり、ずれちゃいますよ。……この、根拠のない前向きさは私も猛夫に似たのかな。他人のつくった型に押し込められると、窮屈でしかたがないんですよね(笑)。

――本作を書き終えてみて、お父さまに対する想いは、なにか変わりましたか?

桜木 濡れ場まで書きましたからねえ(笑)。そこまで客観的に、フィクションとして父を見つめたので、この人のこと嫌いじゃないなあって思えたんです。そして、重複になりますが、やっぱり私はこの人の娘なんだなあ、とも。『氷平線』(文春文庫)という初めての単行本が出たとき、父が茶化して「小説なんか書いちゃって、直木賞でもとるつもり?」と笑ったんですよ。でも私が「自分の腕がどこまで伸びるのか知りたいんだよね」と答えると、ふとまじめな顔になって「お前はいったいどこまでいくんだろうな」って。そのときの父の表情が、とても印象的で。きっと娘である私を職人として認識したと同時に理容師という職人だったことを思い出したのかなと、なんとなく思ったんです。

――そのことを彷彿とさせられる場面が、まさに作中にありました。とても、印象に残っています。

桜木 コツコツと題材を掘って、書くべきものを一つひとつ積み上げていく。そして作品として恥ずかしくないものに仕上げていきたい、という気持ちは父も職人時代に持っていたはずで。だから、職人時代の猛夫を書いているときが、最高に楽しかった。終盤は、山っ気を出して騙され大変なことになっていくという、しんどい展開になっていきますけども。その生き方は型破りと言われがちだけど、北海道にはこういう男が山ほどいるんですよ。どこにでもいる男のひとりなんです。

――そんな人生を、猛夫自身もラストで「悪くないよなあ」と笑って肯定します。〈俺たちを見て、みんな笑うんだろうなあ。俺たちも、そいつらを見て馬鹿だなあって笑うんだ。俺たちのことなんも知らないくせに、こいつら馬鹿だなあって〉というセリフが本当に、心に沁みました。

桜木 幼少期から始まり、これほどの長さを費やして人生を追わなければ、出てこなかったセリフでした。100パーセントではないけれど、私は彼の生き方を、わりといいところまで理解できたんじゃないのかな。ひとりの父親として、大事な登場人物のひとりとして、私は猛夫のことが嫌いじゃない。先ほど、生き方は他人に学ぶと話しましたけど、きっと私は死に方を彼から教わるんだろうなと、実はそんな思いもあるんです。

――生きることは滑稽だということも、刊行によせてコメントされていました。私たち読者もまた、生きることの滑稽さを本作から学んだような気がします。やせ我慢をしながら前に進む力とともに。

桜木 滑稽、というのは、私にとってここ一番で使う言葉なんですけれど、「笑われてなんぼ」という気持ちも込めているんですよね。フィクションだからこそ炙り出された猛夫の人生があり、その人生をなぞるように私も私だけの人生を歩んでいる。どうぞ笑ってください、猛夫のことも、私のことも。今はそんな気持ちなんですよ。

取材・文=立花もも 撮影=島本絵梨佳

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