私が出会った美しい人
【第35回】声優・女優・エッセイスト 大山のぶ代さん
最近は、声優さんがものすごく人気があるんですってね。日本のアニメーションが世界で人気ということも大きいんでしょうし、「将来声優になりたい!」なんて夢を抱くお子さんも多いと聞きます。なので今回は、私のお友達で、日本で最も有名な声の持ち主のお話をしたいと思います。大山のぶ代さん。言わずと知れた国民的アニメ「ドラえもん」の声を担当した方で、私とは、お互いまだ20代だった頃に、NHKの「ブーフーウー」という人形劇でご一緒して以来の長ーいお付き合いです。
「ブーフーウー」の脚本は、私の恩師でもある飯沢匡先生。私がNHK放送劇団の五期生として養成を受けたり、ガヤガヤ(エキストラ)として出演した番組なんかで、「その個性、引っ込めて!」って言われて落ち込んでいたときに、「ヤン坊ニン坊トン坊」のオーディションでお会いしました。先生は「そのままでいいんです」とおっしゃって、社会人になって初めて私の個性を受け入れてくださった恩人です。
「ヤン坊〜」に続いて今度はテレビの人形劇として制作された「ブーフーウー」に声の出演をすることになりました。3匹の子ぶたが主人公で、大山さんはブツブツ文句ばかり言う長兄のブー、私はしっかり者の三男ウーの声を担当しました。放送が始まるとたちまち人気番組になりましたが、私たち大人が声を担当していることは、しばらく伏せられていました。それは、飯沢先生の「子どもたちの夢を壊しては可哀想」というお考えを尊重したからです。
でも、大山さんといえばなんといっても「ドラえもん」。番組が始まった1979年は、テレビがいろんな新しいことに挑戦していた時期でした。私が司会を務めた「ザ・ベストテン」も前年の1978年に始まりました。この頃の紅白歌合戦の視聴率は70%を超えていたみたいだから、まさにテレビが娯楽の中心だった時期に、アニメの「ドラえもん」は始まったのです。
大山さんは、ドラえもんのことを最初は「アイツ」と呼んでいて、それが途中から「あの子」に変わりました。声の仕事のオファーがあって、そこから漫画を読んだら「こんな可愛い子がいるんだ」と、漫画の中の世界なのに、まるで自分の相棒とか親友とか家族なんかに思えてきたみたい。だから声優チームの人たちとも、「出てくるキャラクターが十分面白いんだから、余計なことをしないで素直に生き生きと演じましょう」と、気持ちを合わせてやれたことが、長く続いた理由かもしれないと言っていました。
大山さんの声について、私がとくに印象的だったエピソードがあります。大山さんは、ドラえもんの声をやるまでは、「人を傷つけるようなアニメは嫌だな」ということで、少し声優の仕事から遠ざかっていたようなんです。でも、「ドラえもん」の漫画を読んで、そのキャラクターに惚れ込んで、ワクワクしながら声を担当したのですが、「これで大丈夫かな?」と心配になることもあったみたい。それで、完成試写のときに初めてお会いした原作者の藤子・F・不二雄先生に「ドラえもんの声は、あんな具合でどうですか?」と聞いたら、「ドラえもんの声ってこういう声だったんですね」とお答えになって、「役者冥利に尽きる褒め言葉だ」と感激したそうです。
考えてみると、大山さんと私には共通点が多いんです。一つは、「大人なのに子どもの声が出せること」で、もう一つは「子どもが大好きなこと」。後で知ったことには、大山さんは声にコンプレックスを感じていた時期もあったみたい。それも、私が自分の録音された声を最初に聞いたときに「こんなの私の声じゃない!」と泣きじゃくった記憶と重なります(笑)。あとは食べることが大好きなのも一緒。いつも、美味しいお菓子や珍しい食べ物を持ってきて、私がお芝居をやる時は、毎回大勢の友達にチケットを販売してくださいました。ドラえもんみたいに面倒見がよくて、とっても優しい方でした。
何より大切にしていたのは、旦那様の砂川啓介さん。尽くすタイプで、とても仲の良いご夫婦でした。でも、大山さんが認知症を発症すると、旦那様のことが分からなくなってしまい、砂川さんは私に「僕が癌になったこともわからないんだ」と、とても悲しそうでした。砂川さんも亡くなって、「大山さんはどうしてるのかなぁ?」と思っていました。今頃は天国でいろんな話をしているんでしょうね。
声優・女優・エッセイスト
大山のぶ代さん
1933年生まれ。東京都出身。俳優座養成所を経て、1956年女優デビュー。声優としても活躍し、79年スタートのアニメ「ドラえもん」の声で人気を博す。歌手としても「ドラえもん音頭」がミリオンヒットを記録。脚本家としては、石原裕次郎主演の人気ドラマ「太陽にほえろ!」なども担当。料理研究家としても知られ、「大山のぶ代のおもしろ酒肴」は136万部のベストセラーになった。2005年、26年続けた「ドラえもん」を勇退。音響芸術専門学校の学校長なども務めた。2024年9月29日、老衰のため逝去。享年90。
─ 今月の審美言 ─
大山さんと私には共通点が多いの。大人なのに子どもの声が出せて、子どもが大好きなこととか。
取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト