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16人産んだって…凄すぎない? 出産育児しながら国を守ったマリア・テレジア【夫婦・子育ていまむかし Vol.32】

  • 2025.4.6

ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。

ここ何回か世界史に名を残した女性たちを見てきて『強い女性』への興味が俄然湧いてきました。腕力ではなく、強力なリーダーシップと政治的な手腕の見事さで、時に強かに、時にしなやかに数々の困難を切り抜けるという『強さ』。

特に女王や女帝は権力闘争という男社会の中で、男性の何倍ものハンデを追っているはずなのに、偉業を成し遂げるって凄すぎますよね。

というわけで、今回は女性統治者といえば必ず名前が筆頭に出てくるオーストリアの女帝マリア・テレジアのことを調べてみました。

以前取り上げたフランス王妃、マリー・アントワネットの実母でもあるマリア・テレジア。男系相続が伝統のハプスブルク家出身の彼女は、正確にはオーストリア女王ではなく、オーストリア女大公、正確な肩書きは神聖ローマ皇后なのです。

ですが、皇后として国王を支えたというより、ガンガン前に出て国を統治していた「王」としての印象が強くないですか? 私が持っていたイメージは

・政治手腕のすごい人

・子だくさんなビッグマザー

・マリー・アントワネットを愛情深く心配する母

といったところでした。

さて、実態はどうなのでしょう?

権力も!プライベートの愛も!両方を手にした強運の女王

マリア・テレジアは、この時代の神聖ローマ皇帝の長女という立場としてはかなり珍しい、奇跡のような幸せをつかんだ人です。

それは正式な夫になる人との『恋愛結婚』を許されたこと。

マリアと比べると格下の立場だった9歳年上のフランツに、彼女はなんと6歳の時に恋をするのです! 男系相続を習わしとしているハプスブルク家において、後継に恵まれなかったところに長女マリアの結婚は政治的にもかなり重要な位置付けになっていて、フランツとの結婚をめぐっては周りからも反対がありました。ですが、父親であるカール6世がフランツを気に入ったこと、そしてまだ男子誕生に期待をしていたことなどから2人の結婚はやや強引に実現したのです。

権力者の家庭に生まれた女子といえば、本人の意志など関係なく政治で結婚が決められる時代。そんな中、マリア・テレジアはもうこの時点で超強運の持ち主なんです!

普通ならありえない王族の恋愛結婚。ゆえに?夫婦円満からの子だくさんの人生を送ることになりました。

子ども16人!って…凄すぎない?

なんと、マリア・テレジアが夫フランツとの間にもうけた子女は5男11女。合計なんと16人!!ハプスブルク家が元々多産家系で、かつマリア本人も安産体質だったのでしょうが16人って…凄くないですか?

育てるのは乳母たちがやってくれるとしても、人生の半分は妊娠出産してるってことですよね…?!

(少子化対策って、やっぱり育てるリソースと経済的安定に尽きるんだな…ってことでいいでしょうか…?)

そしてこの夫婦は、格差婚による相続問題認識の甘さから周辺各国に侵略を狙われたり、国内からも揶揄されることがあっても、生涯を通じて良きパートナーだったようです。

でも、驚くのはまだ早いんですよ!

マリアは働き盛りのほとんどの期間を妊娠と出産をしていたにもかかわらず!

さらには、あくまで男系相続を守りたい父カール6世は、マリアに一切政治教育を施さなかったにもかかわらず!なんと…!

出産&育児しながら 国を救う!

政治にあまり関心がなく家族との時間を大切にする夫のサポートを得て、マリアは2つの大きな侵略戦争に負けず、国家を守ったのです!

しかもなんと20代でこれをやってのけたんです…!

マリアの父であるカール6世の死後、彼女が23歳で第4子妊娠中の時にオーストリア継承戦争が始まってしまいます。女性であるマリアの実質的継承に反対する周辺諸国からの侵略戦争で、一時期オーストリアの立場は非常に危うくなるのですが…!

マリアは、乳飲み子の息子を抱えて(これは後世つけられた尾鰭の可能性あり)ハンガリー議会で支援を求めます。落ち着いた美しさを持ち毅然と演説する彼女の姿に議員たちは感銘を受け、最終的にハンガリーの貴族や議会は彼女を支持する決定を下すのです。

その後も彼女はイギリスやロシアと同盟を結び、また国内では国民の支持を得るために改革を進め、軍事力も強化します。

政治教育を受けていないのに的確な判断を下し、危機に直面しても動じない彼女の強さと手腕はヨーロッパ中に広まり、偉大な統治者として評判となりました。

とはいえ、周辺諸国からの侵攻が相次ぎ対外的には困難な状況。こんなピンチに国内の不満も溢れてきそうですが…。

あまり男だから、女だからとは言いたくないんですが、やはり女性ならではの協調性をいかしたリーダーシップがあったのではないかと思うんです。

妊娠出産子育てしながら、軍事・教育・農地改革にと次々に内政にテコ入れ。その手法は才能ある若手官僚を抜擢していく一方で、古い官僚たちへの心配りも細やかだったと言われています。自ら宮廷内を歩き回ってひとりひとりへ丁寧に説明をし、派閥争いなどの内側からの崩壊を予防したというのは本当にすごい功績じゃないですか!

女性3人で 手を組む作戦!

さらに、この時代の女性3人が国家間の関係において重要な役割を果たしたとされるのが、プロイセン包囲網を組んだ通称『3枚のペチコート作戦』です。

マリアは敵対していたフランスとの交渉にあたり、その中で当時ルイ15世の寵愛を受けていたポンパドゥール夫人の立場と心情を鋭く察知し、優れた政治手腕を持つ官僚カウニッツを通じて彼女を味方につけたのです!

ルイ15世の愛人として、フランス宮廷内で強い影響力を持っていたポンパドゥール夫人。宮廷での地位維持にこだわりがあり、自分を守りたいーそんなポンパドゥール夫人の事情を見抜いて自国の政治戦略にうまく利用したマリア・テレジアの才覚には脱帽です。

さらにマリアはロシアの女帝エリザヴェータとも外交的な信頼関係を結びます。

「3枚のペチコート(女性の下着)作戦」というのは、マリア・テレジア、ポンパドゥール夫人、エリザヴェータという3人の女性が、外交的に関係を築き戦争の終結に向けて重要な役割を果たしたことの象徴です。血を流さず成功したこの手法、まさに協調性をいかしたリーダーシップですよね!

え…毒親な一面も?

そんな気配りと鋭い観察眼で難しい国政を非常にうまく治めたマリア・テレジアですが、子だくさんなこともあって子ども好きで良き母だったのかな〜なんてイメージを持ちますよね。

いやいや それが

まぁまぁな毒親というか…厳格&支配的だったようなのです…。

さらには、愛情差別もあったようで溺愛した四女のマリア・クリスティーナにだけは自分と同じ恋愛結婚を許していますが、障害を持っていた娘と自分に反抗的な娘は冷遇していたとも言われてます。国家の利益を優先しなければいけないという立場ゆえ仕方ないとも…思いますが。

ちなみにマリー・アントワネットは2番目にお気に入りの娘でしたが、彼女も他の娘たちと同じく結婚を通じて政治利用されています。自分は恋愛結婚させてもらった幸せを実感しているだろうに、そこは関係なく娘を駒として使った…?と思うような行動はちょっと衝撃でした。

夫とラブラブで いい夫婦だったのは間違いない!

あくまで夫フランツが政治に関心が薄く、マリア・テレジアをサポートするのに抵抗のない性格だったからこそ、彼女は全力で政治という仕事に取り組めたのでしょう。彼女は彼を心から信頼&愛していたようで、フランツに先立たれると非常に落ち込み、その後亡くなるまで喪服で過ごすほどでした。

そして晩年は、長男ヨーゼフ2世を後継者として立てつつも自身の崩御までは共同統治。近代化を進めたいヨーゼフ2世と、しばしば意見が合わず対立し官僚たちを困らせて政府内での決定が遅れることもあったようです。改革に対する慎重な姿勢は「老害」と言えなくもないですが、ここは難しいところですね…。

どんな完璧に見える人にも欠点はあるし、国の統治者という背負うものが大きな立場につくと、身内には配慮が欠けるように見えるというのも歴史あるあるですよね。マリア・テレジアは「国の母」として、また有能な政治家として大きな成功を収め国民に敬愛された実質的な女帝でしたが、子どもたちから見るとどんな母に見えていたのでしょうか? 尊敬と同時に、彼女の強い教育方針や政治的期待は負担に感じていたことも多かったのでしょう…。

そこで夫が家庭的だったというのも、最高の相性だったのでしょう。自分にぴったりなパートナーを6歳でみそめたのも凄い…! 偉大なる女帝の意外な生活の一部から、夫婦そして家族の在り方を考えさせられた回でした。

(tomekko)

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