私は幼少期、やりたいと言ったことは全てやらせてもらえる家庭で育ちました。
そして現在私は大学生になり心理学部に進学しました。この時期は将来について考えることが増えますし、学部の特性も相まって自分の「やりたいこと」について考えることが多くなりました。
自分には「やりたくないことはやりたくない」という考えが強く存在することに気づいたのと同時に、小学校の頃の自分を思い出しました。当時の私は週6で習い事に通う、「バイト戦士」ならぬ「習い事戦士」だったんです。
なぜそんなに沢山通っていたのか。それは習い事に関するお母さんの提案に全てイエスと答えていたからです。母は習い事にしても受験にしても、必ず「やりたいか」と私に尋ねてくれたし、その質問に私は必ず「やりたい」と答えていました。
その結果、小学校高学年になると習い事の数は、塾、そろばん、水泳、絵画教室、書道教室、ピアノ教室と週6日を習い事に費やす生活になっていました。
◎ ◎
お母さんが私にやってみたいかと聞いてくるということは、私にやってほしいんだろうと幼い私は考えていました。私がやりたい!と答えるとお母さんは、がんばれ!と嬉しそうに笑ってくれたから何を提案されてもイエスと答えていました。
楽しく通っていた習い事ももちろんありましたよ。水泳教室や書道教室、絵画教室はウキウキで出かけていたし実際すごく楽しかったです。ですがピアノ教室やそろばん、特に塾に関してはやめたいなぁと思いながら通っていました。
でもそんな心の内をお母さんに話したことはありませんでした。私のやる気のない態度に母親から「やめたいならやめればいい」と言われたことも何度もありました。やめるという選択肢もあったんじゃないと言われると思いますが、当時の私にとってその言葉は「途中で挫折する弱い人間なのね」という母親からの失望の意として捉えていたんです。
練習や勉強を全くせずに毎週毎週習い事に通うので何度も叱られました。でもやめたいとは言えず、反対にやめたくない、頑張りたいと口にしていました。
本当の心の声を伝えられず弱い自分だったなと思いますが、自分のやりたくない、よりも母親からの失望を恐れていた私にとってやめるという選択肢はなかったんです。
◎ ◎
今過去を振り返ってもやりたくないことに意欲が湧かずそれを怒られるというのは良い経験だったとは言えませんが、何かを始める時は考えなしにイエスと言うことも大事だと思います。まずやってみなさいといった名言は世の中に沢山ありますしね。
ただ、小学生の私は新しいことをまず始めてみるというところまではよかったのですが、自分に合わないと思ってもやめたいと言えなかったのが良くないところだったなと思います。
実際ピアノの練習を家でやるのがすごく面倒で先週と同じところをまた次の週に習うといった調子でしたし、そろばんもフラッシュ暗算練習を上手くこなせず教室で泣き出したこともありました。
極め付きは学習塾です。中学受験というものについて全く意欲がなかった私はただ言われるがまま学校が終わったら塾に行き机に座るという少しも楽しくない経験でした。ピアノやそろばんは楽しい瞬間もあったのに対して塾の勉強が楽しいと感じたことは一度もありませんでした。
◎ ◎
それでも自分のやりたくないという意思に目を向けるということをしなかった私は、そろばんもピアノも学習塾もやめたいと自分から言うことはありませんでした。親に押さえつけられていたというよりは自分自身の主体性の重要性に気づけていなかったんです。
意欲もやる気もないので、ピアノは全く上達しないし、塾の成績も一向に上がりません。その度に母親に叱られるという負のループでした……。
でも今はそういう過去があったからこそ、これからの私の人生は目一杯自分の声を聞いてあげようと思えていますし、時を経て自分の内なる声に耳を傾けることの重要性を学べた経験だったとも思えています。
大人になった今だから気付けた、「今だから言えること」です。
■りたんのプロフィール
都内の大学に通う女子大生です。文章を書くこと、言語化することが好きで自分の文章スキルをアップさせていきたいなと考えています!