フジテレビや日産など、2025年も大企業の社長交代劇が世間を騒がせている。経営史学者の菊地浩之さんは「両社の解任劇で注目されたのが社外取締役。フジテレビは新体制で社外取締役が過半数を占めることになり、そのチェック機能によって経営正常化が望めるかもしれない」という――。
フジテレビの人事刷新を求めたのは社外取締役だった
2024年12月、業績不振の日産自動車が本田技研工業(ホンダ)と経営統合を発表したと思ったら、2025年2月に交渉決裂。すると今度は、3月に日産自動車の社内が紛糾して社長解任。その解任劇の中心的な役割を担ったといわれているのが社外取締役だ。
2025年1月には、フジテレビジョン(フジテレビ)で不祥事が発覚。港浩一社長らが辞任したエンドレス会見で明らかになったように、フジテレビ出身の役員が内向きの発言に終始したのに比べ、変革すべきと一人気を吐いていたのは社外取締役の文化放送・齋藤清人社長だった。そして、てんやわんやの挙げ句、3月に経営陣がほぼ総退陣、総取っ替えとなったのだが、今回、注目されたことの一つは社外取締役が取締役会の過半数を占める(60%)――経営の正常化が望めるかも知れない――ということだった。
社外取締役は、いつからこんな重要な役回りを担わされてきたんだろう。そもそも、社外取締役の制度って、いつ頃から始まったんだろうか。
日本経済の黎明期、取締役といえば社外の人だけだった
明治維新後、株式会社という概念が導入されてきて、新1万円札の顔・渋沢栄一をはじめとする日本経済黎明期の実業家がバッカバッカ会社を立ち上げた。渋沢が株式会社制度を好んだのは、彼がそんなにお金持ちではなかったことだ。知人やそこそこの金持ちを総動員して資本を集め、起業するには株式会社形態が優れていた。
たとえば、地方の資産家たちがおカネを出し合って鉄道会社をつくる。その場合、取締役=株主(もしくはその代理人)である。社長=一番おカネを出した筆頭株主だ。学歴がなくても、たいした能力がなくても、筆頭株主が社長になる。これが戦前のスタンダードだ。
社長は株主サイドに立ち、実務は常務・専務に任せていた
だから、日本を代表するような大富豪は幾つもの社長を掛け持ちして、もちろん毎日出社したりしない。他の取締役だって同様である。しかも、彼らは会社を作るカネは持っているが、肝心の鉄道路線を敷設したり、列車の運行を進めていくノウハウがない。
そこで、そんなノウハウがありそうな人物を連れてきて、常務として会社を運営させる。常務たちの親分として、実質的な会社のトップくらいになると専務である。つまり、社長と取締役が株主の代表で、実質的に会社を運営していくのが専務と常務。そんな布陣の会社が少なくなかった。
鉄道会社だったら「どこそこに鉄道敷くべ」「そんなにカネがかかるんだら、複線は止めて単線にするべ」などと方針を決めるのは、株主の代表たちが集う取締役会である。その取締役会の議決事項を受けて、専務・常務以下が会社の運営を担っていたのだ。
のどかな時代が終わり、敗戦で社外取締役はいなくなった
戦前に多くの会社を作った岩崎清七という人物がいた(岩崎といっても三菱財閥とは無関係である)。かれはある時「会社を作って社長は決まったが、専務がまだ決まっていない」と困りごとを漏らした。意訳すると、「出資者は集まったが、会社を運営する人材が揃っていない」ということだ。意訳しないと分からないのが、戦前の会社事情だったのだ。
1945年、日本は敗戦を迎えた。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領が行われ、財閥解体がはじまる。財閥系企業の株式は従業員など一般庶民に売却され、一時的にせよ大株主は居なくなった。主だった企業の常務以上の役員は役職を追われ(公職追放)、独占禁止法が制定されて役員の兼任が禁止された。莫大な財産税が課せられ、資産家層は没落した。
ここで、社外取締役はいったん退場し、内部昇進型の取締役の天下となる。戦前でも、当該企業に就職して、昇進を重ねて取締役になった人物が皆無だったわけではない。ただ、企業によっては、おそろしく大変だった。
内部たたき上げの人が躍進、しかしワンマン社長問題が…
ところが、戦後は社長も取締役も専務・常務もみんな従業員から選ばれるようになった。
そうなると、社長、専務、常務、取締役は単なる序列になっていく。部長の中から取締役を選んで2年間やらせてみて、スジがいいヤツを常務に抜擢し、次は専務だ。副社長だ……てなぐあいである。取締役会は株主たちの決定会議から、社長の決めたことの承認会議みたいになっていく。
取締役会(代表取締役社長、専務取締役、常務取締役、取締役などで構成)で社長を決めるという建前だけど、その構成員(専務以下の取締役)を抜擢してくれたのは社長である。「業績が悪いから社長を辞めさせるぅ⁈」そんな恐ろしいこと、できっこない!
よほどのことがなければ、社長の引き際を決めるのも、後継社長を誰にするか決めるのも、みんなみんな社長ご自身である。絶大な権力を持った社長を誰も止めることができない。だから、社長が暴走して問題になることが少なくなかった。
現在でも、生え抜き社員としてトップにまで上り詰め、40年以上取締役として君臨した元フジテレビ社長・日枝久は、その代表的存在と言えるだろう。
各企業はお互いの株を持ち合い、社外取締役が復活
GHQが実質的につくった独占禁止法のおかげで社外取締役は居なくなった。ところが、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌1952年に発効。日本が占領から解除されると、独占禁止法を緩和し、役員兼任が可能になる。
一方、株式所有は法人(金融機関や事業会社)に集中していく。高度経済成長期は企業が急成長した。個人では購入に追いつかなくなってしまったのだ。結局、企業の株を企業が買う。
当時はまだ外国人株主に規制があったため、日本企業の大株主は日本企業だらけになっていた。いわゆる株式持ち合いというヤツである。中でも大株主の企業は、役員を派遣したり、役員を兼任してくる。社外取締役の復活である。
ただし、社外取締役は1人居るか居ないかくらいの慎ましやかなものだった。なぜなら、株式を持ち合っているので、持株を背景に社外取締役を送り込もうとすると、相手からも社外取締役を強いられる結果になる。「そういうことは、お互いなしにしましょうや。よっぽどの大株主や歴史的に経緯がある関係のみ、社外取締役をやりましょう」というような暗黙の諒解が醸成されてきたのだ。
高度成長期を経てバブル崩壊、株式持ち合いができなくなった
ところが、その株式持ち合いが維持できなくなってくる。バブル経済崩壊で業績が悪化し、リストラでクビ切ったり、店舗や工場を閉鎖したり、不動産を売ってもカネが足りん……という時、「そうだ。ヨソの会社の株、あれも売っちゃえ」ということになった。これを「持合い崩れ」という。日本の株式持ち合いを実質的に支えていたのは金融機関、中でも銀行と生命保険会社である。この二大巨頭がそろいもそろってバブル経済で大きな疵を負い、持株を処分せざるを得ない状況に追い込まれた。
だからといって株主がいなくなったわけではない。誰かが売られた株を買っている。それが外国人投資家だった。最初は少数派だった外国人投資家の比率が高まってくると、外国人投資家からクレームが寄せられるようになった。かれらの感覚は戦前の日本に近い。
「取締役は株主の意を汲んで動くもので、取締役会で決めた通りに、役員が企業を運営していくんだよネ? どうも日本のカイシャは違うデス」
1997年にソニーが「執行役員制度」を導入し、それが普及
一時期は、外国人投資家が株を買ってくれなきゃ株価が下がるという状況にまで追い詰められ、どうにかせざるをえなくなった。そこで、1997年にソニーが導入したのが、「執行役員制度」である。
従業員出身の取締役を減らして、有名な財界人や高名な学者・有識者を社外取締役に選び、取締役会を構成する。そして、新たに執行役員という部長と役員の間のような役職を作って、取締役会で決めた通りに執行役員が企業を運営していく。そういう仕組みだ。この執行役員制度に多くの会社が飛び付いた。その後、いろいろ名前や役割が変わったりしているが、基本的にはその流れが続いている。
社外取締役は「大株主の代理人」、意見を言うべきだが…
海外の社外取締役は「大株主の代理人」ということが大前提になっているが、日本企業では単なる「社外」の取締役で終わっているケースが少なくない。日産自動車の社外取締役にはレーシング・ドライバーがいる。商品開発などのアドバイザーとしては悪くないが、企業経営という見地からそれが妥当なのかは甚だ疑問である。だから「ホントにこの人たちに企業経営を委ねていいの?」という違和感がつきまとうのだ。
その一方、社外取締役として正しい役割を担っていても批判の対象となる。ルノーから派遣されてきた日産の社外取締役は、判断が苦手で操りやすいから内田誠前社長を推挙したとの疑念があるが、社外取締役としては正しい。かれにとっては大株主(ルノー)の利益拡大が第一義で、当該企業(日産自動車)の経営は二の次だからだ。
そもそも株式公開は、家族的経営の日本企業に向いていない
よく言われているように、ルノーにとっては、日産自動車が自動車業界で生き残るよりも、株式が高値で売れることの方が大事なのだ。また、日産自動車で社長交代を主導したといわれるのが、メインバンク・みずほ銀行出身の社外取締役である。かれも社外取締役としては間違ったことはしていない。株式会社というものは株主の意思が重要で、従業員の都合など二の次、そういう仕組みだからだ。
日本人はカイシャに対して単なる職場以上の感情を抱いている。だから、カイシャが売買の対象になることが許せないのだろう。従業員もそうだし、創業者一族もまたその通りだ。だから、大正製薬やセブン‐イレブンのように、創業者一族が企業買収して非上場化し、他社から買収されないようにする動きが出てくるのだ。
とどのつまりは、株式会社制度って、日本人の考え方・感覚に実は適合していないんだと思う。
菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。