引っ越しをスムーズにするためには、どんなことに気を付ければいいのか。これまで7回の引っ越しを経験したフリーライターの大宮冬洋さんが、「たかくら引越センター」代表の髙倉弘樹さんに、引っ越しのコツを聞いた――。(後編/全2回)
よい引っ越しは「人」で選ぶべし
引っ越し業界歴25年の髙倉弘樹こうきさんは引っ越し専門会社「たかくら引越センター(以下、TMC)」の代表であり、社名をそのまま芸名として名乗る、お笑い芸人でもある(吉本興業所属)。TMCが掲げるモットーは「引っ越しはおもしろい」。億劫な作業になりがちな引っ越しを笑いと喜びに満ちたものにして、気分良く新生活をスタートできたら最高だ。できるだけリーズナブルに引っ越しするための準備と交渉術は前編/節約編の記事をご覧いただきたい。後編/気分高揚編の今回は、感動するほど楽しい引っ越しを体験するためのノウハウを教えてほしい。
「引っ越し業者を社名ではなく人で選ぶことが最大のポイントです。大手であっても中小であっても、良い作業員もいればイマイチな作業員もいます。誰が作業するかによって引っ越しの質はまったく変わってくるのです」
いい人の見つけ方は昔も今も「紹介」に限る。最近引っ越しをしたという友人知人に「作業員さんは親切だった?」などと聞いてみればいいのだ。
「作業員の名前を覚えていたり、渡された名刺を保管してあれば、電話をしてその人を指名するのが一番です。指名された作業員は当然嬉しくて頑張りますし、会社としても『また使ってくれてありがとう』という意味を込めて値引きするかもしれません。大手でも指名はできるのでぜひやってみてください」
着ていたパーカーを脱ぎながら髙倉さんが熱弁するのには理由がある。引っ越し業は単なる「荷物運び」ではなく接客業だという信念があるのだ。
引っ越しは運送業ではなく「接客業」である
「一程度以上の体力があることは前提ですが、重い荷物を持つのは練習すれば誰にでもできます。僕は『すべての荷物の秘孔を知っている。グランドピアノ以外は一人で持てる』なんて公言していますが、実際の引っ越し作業には一人で運ぶことの意味はあまりありません(笑)。そんなことよりも、小さなお子さんがいるご家庭などにも細やかな気遣いができるほうがはるかに大事だと思っています」
例えば、引っ越し先での家具の設置場所や向きに迷ったとき。小心者の筆者は、早く判断しないと引っ越し業者の人たちに悪いような気がして適当に決めがちだった。引っ越し作業が終わってから間違いに気づき、重い家具を一人で引きずって床を傷つけてしまったこともある。髙倉さんは「1回、ここに置きますけど、もし違ったら言ってくださいね。直しますから。全然、問題ありません」と笑顔で伝えるという。それならば、こちらの気分も楽になる。
「今までの経験を生かして置き場所を提案することもあります。玄関を入ってすぐのところにベッドがあったりすると圧迫感があるので、『奥のほうに置いたほうがスッキリ見えますよ』なんてお伝えしたり。もちろん、最終的にはお客さんの好み次第です」
言われてみれば、多種多様な個人宅の内部を隅々まで見ている引っ越し業者は、「狭い部屋でも上手に家具を配置して快適に使う」ことの知見を持っている可能性が高い。家具や家電の配置に迷ったら、積極的に相談すれば思いがけないアイデアをもらえて楽しくなるかもしれない。
プロに任せて「素人が手伝わない」
引っ越し作業で気が重くなる要素の一つが荷造りだ。押し入れなどから次から次へとモノが出てきてうんざりする。焦って作業すると、「こんな汚いの捨てろよ」「私の大事なぬいぐるみなのに!」と夫婦喧嘩の種にもなりかねない。髙倉さんのおすすめは、慌てずに1日1カ所ずつ作業を進めること。
「『今日は自分の仕事部屋だけ荷造りする』と決めれば、余計なものは冷静な判断で捨てられます。どんどん身軽になることが楽しくなるかもしれません」
そんな計画性があれば世話はないよ、たいていは引っ越し前日から徹夜で荷造りして疲れ果てるのに、という人。思い切って「荷造り&荷解き」オプションを活用しよう。当然、追加料金はかかるが、精神的にはすごく楽になるらしい。的確で迅速なプロの梱包作業を間近で見るのもちょっとしたエンターテインメントだ。ただし、プロに任せるのであれば「下手に手伝わない」ことが肝要だ。髙倉さんは、引っ越し作業に素人が交じると効率が落ちて危険なときもある、と指摘する。
「現場のお荷物」になった依頼主の父親
「例えば芸人あるあるなのですが、引っ越しとなると後輩芸人がゾロゾロやって来るんです。はっきり言って邪魔でしかありません(笑)。あと、一人暮らしの娘さんの引っ越しに田舎のお父さんが張り切って参加することも多いです。僕たちは段ボールを3つ同時ぐらいに運ぶのが普通ですが、お父さんは1つだとリズムが狂います。お父さんが床に段ボールを落として中身が壊れてしまい、『誰が弁償するんだよ』と微妙な空気になることも。怪我をされたりするともっと困ります」
依頼主がやるべきことは新居でのモノの配置を決めて伝えることぐらいだ。
また、旧居で家具の後ろなどが汚れていると申し訳ない気がしてしまうが、髙倉さんによれば掃除する必要すらない。
「洗濯機の裏に下着が落ちていたりするのは、むしろ普通のことです。僕たちは見慣れているので、すべてゴミにしか見えません。一切気にせずに作業しています」家具についたホコリなどをいちいち掃除をしていたら作業の邪魔になりかねない。すべての荷物を搬出してからまとめて掃除するのが良さそうだ。
心付けは「作業前」「一人ずつに手渡し」が鉄則
気分が高揚するほど楽しい引っ越しをするためには、「良きプロを見つけて信頼関係を築く」がポイントになることがわかってきた。魚心あれば水心。こちらの期待と気持ちをダイレクトに伝えて現場を活性化するには心付け、すなわちチップも有効だ。髙倉さんによれば、「作業前に一人ずつに手渡し」が鉄則である。
「名刺をくれるリーダーに、心付けをまとめて渡してはいけません。大手引っ越し業者の場合、たいていはリーダーが社員で、他は日雇いのアルバイト。『後でみんなで分けてね』というつもりで渡した5000円札をリーダーが独り占めしてしまうことが多いからです。1000円で十分なので、引っ越しが始まる前に作業員一人ずつに手渡ししてあげてください。作業のやる気がまったく変わってきます」
当然ながら人件費は引っ越し費用の中に含まれている。髙倉さんたちも期待しているわけではない。もらえなくてもやるべきことは淡々とやる。ただし、目の前のお客さんから心付けをもらえたら、「ちょっと頑張っちゃおうかな!」と思うのが人情というものだ。
心付けをエンターテインメントにするツワモノもいる。髙倉さんが今でも覚えているのは「500円おばちゃん」だ。
「割烹着のポケットに500円玉をたくさん入れて、僕たちの引っ越し作業を見守ってくれるんです。段ボールを3個同時に運んだら、『すごい! 力持ちね~』と500円くれる。通路をふさがないように工夫して家具を置いたら『便利ね~』とまた500円。現場はめちゃくちゃ盛り上がり、作業も大いにはかどりました」
いい引っ越しは、前向きに働く社員が不可欠
引っ越し業者は社名ではなく人名で選ぶ、荷造りは1日1部屋ずつ(作業がストレスに感じるならオプション活用)、心付けは作業前に一人ずつ手渡しする、引っ越し作業はあえて手伝わない。以上が気分を高揚させる引っ越しのコツだが、引っ越し業者のほうも前向きに働いていることが前提となる。2012年の設立以来、離職率ゼロだというTMCはどんな社員が集まっているのだろうか。
「ありきたりな言い方ですが、明るくて元気な人、一緒にいて気持ちいい人、ですね。10人の社員全員が他の引っ越し会社での勤務経験があり、リーダー業務ができるレベルの人ばかりです。その日の現場のドライバー担当もじゃんけんで決められます。うちは芸能人の引っ越しを請け負うことも多いので、秘密保持の観点からもアルバイトはほとんど使いません。手伝ってもらうとしても、社員の奥さんなど信用できる人くらい。経験者を他社から引き抜いているわけではありません。僕が一緒に働きたいな、と思う人が自然と来てくれています」
ホントかな~と思いながら髙倉さんの話を聞いていたら、TMCの事務所のチャイムが鳴った。近くに住む大家さんが和菓子を差し入れしてくれたらしい。事務スタッフの安藤さんが玄関先でおしゃべりをしながらお礼を言っているのが聞こえてくる。
「安藤も大家さんのスマホ設定などを手伝ってあげています。そのお返しですね。『ありがとう』と言われるのが大好きな僕たちは、基本的に頼まれたことは断われません(笑)。NOと言えない日本人の集団です」
会社の自慢をしつつも最後はきっちり笑わせてくれる髙倉さん。さすがは芸人にして経営者だ。TMCのような朗らかなプロたちが手伝ってくれるのであれば、引っ越しも面白くなる気がした。
大宮 冬洋(おおみや・とうよう)
フリーライター
1976年埼玉県所沢市生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職。退職後、編集プロダクションを経て、2002年よりフリーライターに。著書に『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せの見つけ方~』(講談社+α新書)などがある。2012年より愛知県蒲郡市に在住。趣味は魚さばきとご近所付き合い。