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過酷な借金取り立てで資産200億円を蓄えたとも…五代目瀬川を不幸のどん底に突き落とした鳥山検校の「汚い金」

  • 2025.3.30

五代目瀬川を落籍した鳥山検校とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「法外な高利貸により財をため込み、江戸随一の大富豪となった。ただ、あまりに過酷な取り立てを行っていたため、幕府に指弾されることになった」という――。

決して円満では終わらなかった瀬川と検校の関係

吉原を代表する3つのイベントのひとつ「俄にわか」。毎年8月の1カ月、車のついた舞台に乗って、即興芝居を演じながら大通りの「仲の町」を練り歩いた俄の模様が、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第12回「俄なる『明月余情』」(3月23日放送)でリアルに描写された。

だが、祭りが終わると綾瀬はるかのナレーションはこう告げた。「われと人との隔てない幸せな時。けれど、それは俄のこと。目覚めれば終わるかりそめのひと時。その裏側で、世の仕組みは軋きしみはじめておりました」。

場面は松葉屋の看板の花魁、五代目瀬川(小芝風花)を1400両(1億4000万円程度)で身請けした盲目の富豪、鳥山検校(市原隼人)の邸宅に変わった。そこでは三味線を弾く検校から離れた位置に、物憂げに座る瀬川(名を「瀬以」と改めている)の姿があった。

2022年オスカープロモーション新春晴れ着撮影会での小芝風花(=2021年12月9日、東京都港区の明治記念館)
2022年オスカープロモーション新春晴れ着撮影会での小芝風花(=2021年12月9日、東京都港区の明治記念館)

第12回がその場面で終わると、第13回「お江戸揺るがす座頭金」(3月30日放送)の予告が流れた。田沼意次(渡辺謙)が「もはや弱き者にあらず」と激しい剣幕で述べたが、その言葉は、鳥山検校ら盲目の富豪のことを指すと思われる。勘定奉行の松本秀持(吉沢悠)が「座頭金だよ」といい、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)も「座頭金」とつぶやいた。

そして、瀬川が泣きながら検校に「重三(蔦重のこと)はわっちにとって光でありんした」と訴える場面で予告は終わった。

幕府の保護政策としての高利貸し

この予告からわかるのは、吉原で豪遊した挙句、江戸中で話題になるほど法外な身代金を支払って瀬川を身請けした鳥山検校の「悪行」が、ついに暴かれそうだということ。それから、検校と瀬川との関係が、のっぴきならぬ状況になりそうだ、ということである。

状況を理解するためには、「座頭金」とはなにかを明らかにすることだろう。

座頭金とは、盲人による無担保の消費者金融のことで、江戸時代の高利貸しの代表が座頭金だった。その年利は6割が平均とされ、なかには10割などというべらぼうなケースもあった。盲人が高利貸しに勤しむことができたのは、幕府から手厚い保護を受けていたからだった。

目が見えないために、職業といえば三味線や箏こと、琵琶などの演奏のほか、按摩あんまや鍼灸程度しかなかった盲人に、高利で金を貸して利殖することを幕府は認めたのである。このため盲人たちは、三味線弾きや按摩などで一定程度稼いだのちに、高利貸しに転身するケースが多かった。そのほうが容易に、いや、安易に利殖ができたからなのは、いうまでもない。

[蒔絵師源三郎] [ほか画]『[人倫訓蒙図彙] 7巻』[2],平楽寺 [ほか2名],元禄3 [1690]. 国立国会図書館デジタルコレクション
「人倫訓蒙図彙」に描かれた検校の姿[蒔絵師源三郎] [ほか画]『[人倫訓蒙図彙] 7巻』[2],平楽寺 [ほか2名],元禄3 [1690]. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年3月27日)
幕臣や大名までも苦しめた

「座頭」とは、盲人にあたえられていた官位の一つを指す。盲人の官位には大きく分けて、上から検校、別当、勾当、座頭の4つがあり、座頭は最下位だった。まず驚くのが、これらの官位は公家の久我家こがけが取りあつかっていたということだ。すなわち、盲人たちは朝廷および公家から官位をいただいていたのである。

では、なぜ「検校金」や「別当金」ではなく「座頭金」だったのか。剃髪して三味線などを弾いて歌を歌い、金貸しなどに勤しんだ者を総称するのにも「座頭」という語を使ったため、盲人による高利貸しも総じて「座頭金」と呼ばれたというわけだ。

ところで、検校、別当、勾当、座頭の4官は金で買うことができた。盲人たちは稼いだ金を、官位を買うために注ぎ込んだが、昇進すると多額の配当が得られたので、十分に元が取れた。そのうえで余剰金を、高利でどんどん貸し付けた。しかも、この貸付金は官金あつかいで、ほかの債務に対する取り立ての優先権が保証されていた。

つまり、貸し付けた金額を取り立てやすく、貸す側にとって安全で確実な金融だと評価されており、このため、金に余裕がある個人も積極的に座頭金に投資。それを元手に、盲人たちはさらなる貸し付けを行った。その結果、盲人による過酷な取り立てが、庶民ばかりか財政的に困窮した幕臣や大名までも苦しめることになった。

だから身請け金1億4000万円をポンと支払えた

こうした盲人たちの組織として、幕府から保護されていたのが当道座とうどうざで、鳥山検校はそのトップの1人だった。蓄えた資産は1万5000両(15億円程度)とも20万両(200億円程度)ともいわれる。瀬川を身請けした安永4年(1775)には30歳そこそこだったので、いかに短期間に莫大な材をこしらえたかである。

安永年間(1772~81)には、大金持ちの盲人たちが次々と吉原に押し寄せては、高級遊女を買い上げ、豪遊するようになったが、その原資はいうまでもなく、貧しい人に高利で貸し付け、回収した金だった。

ところで、盲人はそれ以前から吉原に出入りしていたが、どちらかというと、女郎から好かれてはいなかったようだ。目が見えないため、女郎の顔や身体を手でべたべたと触ることが、とくに嫌がられたという。

また、ほかの客からも、盲人は嫌悪されがちだったようだ。安永8年(1779)刊の洒落本『廓中美人集』には、金払いがいいからと盲人を受け入れる花魁たちと、花魁がいかに美しいか見ることができない盲人が、金に飽かせて豪遊していることへの、一般の客の不満などが書かれている。

陰湿で執拗で強圧的な取り立て

さて、座頭金の貸付期間は通常半年で、前述のように幕府から優先権まで認められた取り立ては苛烈をきわめた。幕府から公認されていることを笠に、かなり強引なこともしたようだ。ここでは井上ひさしが戯曲『藪原検校』で描いた取り立てを紹介しておこう。

最初に「居催促いざいそく」。これは盲人が数人で債務者のもとに行き、家に入り込んで返すまで待つというものだ。穏やかな取り立てに思われるかもしれないが、暗闇を苦としない盲人が昼夜を問わず居続けるのは、かなりのプレッシャーになったようだ。

それでも返してもらえないと、「泣き催促」に転じた。周囲に響き渡る声で自分の悲惨な境遇を訴えながら泣き喚くというもので、世間体を気にした武士階級に対しては、かなりの効果があったようだ。それでもダメだと「強催促」に転じた。すなわち、債務者の周囲で罵詈雑言のかぎりを尽くして返済を迫った。

こうして、債務者を自死寸前にまで追い立てることが珍しくなかった。繰り返すが、彼らはそうして得た金を吉原での豪遊に投じ、瀬川のような花魁を身請けしたりしていたのである。

松葉屋の遊女・黄瀬川が縁側にいて、若い侍女(禿)が菖蒲の花束と柄杓を持っている。
松葉屋の遊女・黄瀬川が縁側にいて、若い侍女(禿)が菖蒲の花束と柄杓を持っている。喜多川歌麿による浮世絵「松葉屋瀬川」(写真=©大英博物館理事会/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

しかし、安永7年(1778)、綾瀬はるかの言葉どおりに「世の仕組みは軋みはじめ」ることになる。この年、知行600石の旗本、森忠右衛門ちゅうえもんが妻とともに逐電するが、原因は座頭金による多額の負債をかかえていたことだった。

忠右衛門もまた、いったんは自死を図ろうとしたが止められ、逃れている。そして逃れた先で剃髪すると、その後、ほかの事件への関与を疑われることを恐れて出頭。町奉行所の取り調べの結果、座頭金による法外な高利貸しの実態が、明るみに出ることとなった。幕府にとっても、さすがに直臣たる旗本が夜逃げするような事態を招いているとあっては、もはや放置できない。

その後の瀬川が気になる

こうして、江戸随一の富豪になっていた鳥山検校以下、8人の検校が、幕府の優遇策を逆手にとった法外な高利貸しの罪を問われることになった。全財産没収のうえ、江戸そのほかから追放され、さらには検校職も奪われ、当道座も除名となった。文字通りにすべてを失うことになってしまった。

江戸後期の随筆集『譚海たんかい』には、検校たちが高利貸しによって処分されたという記述に続いて、「鳥山検校と云もの、遊女瀬川といふを受出し、家宅等の侈りも過分至極せるより事破れたりといへり」と記されている。吉原での豪遊や瀬川の身請けについても、幕府から指弾されたのである。

その後、鳥山検校はほかの元検校らとともに赦免され、12年後の寛政3年(1791)に復官したという。若くして莫大な財産を築き上げるくらいだから、なかなかしぶとかったようだ。一方、多くの人を苦しめた金で身請けされた、というイメージがついてしまった瀬川のその後が、はたして幸福なものとなったのかどうか、気になるところである。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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