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【ネタバレ】映画『ミッキー17』ラストの意味は?格差社会、AI、独裁者というテーマから映画を徹底考察

  • 2025.3.29

『パラサイト 半地下の家族』(2019年)で、外国語映画史上初となるアカデミー作品賞を受賞したポン・ジュノ監督の最新作『ミッキー17』(2025年)が、3月28日より全国で劇場公開中だ。

本作は、何度も死んでは甦る男・ミッキーの過酷すぎるミッションを描く、SFエンタテインメント。いかにもポン・ジュノらしい、強烈なブラックユーモアが効いた作品に仕上がっている。ミッキー役のロバート・パティンソンをはじめ、ナオミ・アッキー、スティーヴン・ユァン、トニ・コレット、マーク・ラファロら豪華キャストが集結した。

という訳で今回は、超話題作『ミッキー17』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ミッキー17』(2025)あらすじ

主人公は、 人生失敗だらけの男”ミッキー” (ロバート・パティンソン)。一発逆転のため申し込んだのは何度でも生まれ変われる”夢の仕事” のはずが……。よく読まずにサインした契約書は、過酷な任務で命を落としては何度も生き返る、 まさにどん底の“死にゲー”への入口だった!

現代からひとつの進化も無く、 労働が搾取される近未来の社会。だが使い捨てワーカー・ミッキーの前にある日、手違いで自分のコピーが同時に現れ、事態は一変—予想を超えたミッキーの反撃がはじまる!(公式サイトより抜粋)

※以下、映画『ミッキー17』のネタバレを含みます。

『ミッキー7』から『ミッキー17』へ 強調される格差社会

原作は、エドワード・アシュトンが発表した小説『ミッキー7』。アシュトンはかねてからSF映画に登場する転送システムに関心を抱いており、「これは瞬間移動しているのではなく、転送するたびにオリジナルが溶解して、コピーが生成されているに違いない」と感じていたという。その構想を元に『バックアップ』という短編小説を執筆し、そのアイディアをさらに押し進めて『ミッキー7』を書き上げる。

タイトル通り、小説ではミッキーが7回人生をやり直す設定になっていたが、ポン・ジュノ監督は映画化にあたってさらに10回の生死をプラスして、『ミッキー17』にバージョンアップ。主人公の使い捨てっぷりが、より強調されることとなった。支配/被支配、体制/反体制、富裕層/貧困層という格差社会を明確にビジュアライズしてきたポン・ジュノにとって、この改変は必然だったのだろう。

『オクジャ/okja』(17)では、大企業と動物愛護団のテロリストとの対立。『スノーピアサー』(13)では、列車の前方車両に陣取る富裕層と、後方車両に追いやられた貧困層との戦い。『パラサイト 半地下の家族』(19)では、高台の大豪邸に暮らす家族と、半地下住宅に暮らす家族との対比。肥大化した資本主義に警鐘を鳴らす映画を、彼はエンターテインメントとして昇華してきたのである。

今回の『ミッキー17』では、「①死ぬたびにリプリントされるエクスペンダブル(使い捨て)のミッキー vs. 彼をモルモットにして人体実験を続ける科学者」という図式のみならず、「②氷の惑星ニヴルヘイムに生息する生物クリーパー vs. 植民地化を目指すプロジェクト・リーダーのマーシャル(マーク・ラファロ)」という、2つの対立軸が示されている。

さらに興味深いのは、搾取される者同士の対立も描かれていること。氷の亀裂に落ちてしまったミッキー17は、クリーパーに助けられて奇跡的に生き延びるが、科学者たちは彼がてっきり死亡したものと思い込み、ミッキー18をリプリントしていた。コピーは2人以上存在してはいけないというルールがあるため、二人のミッキーは生存権をかけて戦う。二重、三重の支配/被支配構造になっていることが、本作の特色といえる。

デジタルレプリカへの警鐘

ナーシャ(ナオミ・アッキー)は心優しいミッキー17を“マイルド・ミッキー”、攻撃的・反抗的な性格のミッキー18を“ハバネロ・ミッキー”と命名した。本来リプリントとは、オリジナルの性格・記憶を正確にコピーすることなのだから、キャラクターの差異は生まれないはず。明らかにミッキー18は突然変異体だ。おそらく彼自身も、そのことには気づいていたはず。だからこそ、マザー・クリーパーとの「殺された子供の代償として人間を1人殺す」という約束を守るため、マーシャルを道連れに自爆したのだろう。

では、一方のミッキー17は正統なコピーといえるのだろうか? これはこれで厄介な問題だ。テセウスの船と呼ばれる有名なパラドックスがある。ある物体を構成するパーツが置き換えられたとき、過去と現在を比較して“同じ物体”だと言えるのかどうか、という問いだ。それはすなわち、同一性とは何かという問いでもある。人間は約60兆個の細胞のうち1〜2%(約1兆個)が入れ替わっているから、我々も日々変化している。『ミッキー17』は、オリジナルのいない、コピーだけの物語とも言えるのだ。

同じ外見・同じ声でありながら、オリジナルとは異なるもう一人の自分。それは、AIによって特定の人物を思い通りに動かすことができる技術…デジタルレプリカ(digital replica)を彷彿とさせる。一般にディープフェイクとも呼ばれるこの技術は、精巧であるがゆえに俳優の仕事を脅かすこととなった。

トム・ハンクスは「もし自分が死んだとしても、AIで自分の姿を再現して映画に出演し続けることができるだろう」と発言し、ニコラス・ケイジは「スタジオはこの技術を使って、撮影後であっても俳優たちのすべてを変えることができる」と警告を発している。

全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)は、AIの活用制限や待遇改善を訴えて2023年にストライキを実施した。技術の進歩に伴う倫理性は、常に問われてきたこと。おそらくポン・ジュノは、リプリントという設定を「自分とは何者か」というアイデンティティーの追求(『ブレードランナー』で、デッカードが自分もレプリトカントではないかと自問するような)ではなく、倫理なきテクノロジーへの警鐘として駆動させている。

「テクノロジーはとても魅力的だ。多くの利便性を提供し、それで金儲けをしている人々にとっては、非常に誘惑的なものだ。数年前、あるAIの研究者がインタビューで“AIの開発を2、3年止めて、この技術をどう使うか、何か問題が起きないようにするにはどうしたらいいか、実際の手順を考え出すことに皆で同意すべきだ”と語っていた。だけど、それはうまくいかなかった。誰もがこの不安から競争し、異常なスピードで進んでいる。そして、このすべてから何が生まれるかは誰にもわからない」
(引用元:https://www.vulture.com/article/mickey-17s-optimistic-ending-explained-by-bong-joon-ho.html)

我々は独裁者を欲しているのか?

ポン・ジュノが『ミッキー17 』の脚本を書き終えたのは、2021年9月のこと。アメリカでは、2期目の再選を目指して大統領選挙に出馬したドナルド・トランプが敗れ、バイデン政権に移行した時期だった。タイミングを考えても、2度の選挙で落選したというマーシャルというキャラクターをトランプに重ねてしまう。だがポン・ジュノは、「トランプにインスパイアされたわけではない」と主張。名前こそ明かしていないものの、ある韓国の政治家を参考にしていると語っている。

「私はすべての選挙で負け続けている、ある韓国の政治家の写真を見せた。私たちが主に話したのは、独裁者は信じられないほど恐ろしく、腹立たしいものだが、大衆を魅了するために使う愛すべき資質を持っているということだった」。
(引用元:https://www.vulture.com/article/mickey-17s-optimistic-ending-explained-by-bong-joon-ho.html)

この映画で最も背筋が凍る瞬間は、トニ・コレット演じるマーシャル夫人が、リプリントで夫を復活させる場面だろう。彼女は、マーシャルが民衆から求められている英雄だと信じている。彼こそが救世主であると確信している。彼女は、自分の行為が人類にとって有益であると本気で思っているのだ。

「“独裁を望む人々がいる。私はそういう人々を間近で見てきた”。あの悪夢のようなシークエンスで、トニ・コレットはあの場面でそう語っている。だからこそ、政治システムを利用して権力を握る独裁者がいるのだと。クーデターではなく、投票によって選ばれた独裁者がいるんだ」
(引用元:https://www.vulture.com/article/mickey-17s-optimistic-ending-explained-by-bong-joon-ho.html)

『オクジャ/okja』、『スノーピアサー』、『パラサイト 半地下の家族』、そしてこの『ミッキー17』で描かれる支配/被支配というテーマは、「民衆が支配を望み、独裁者が誕生する」という真実によって生み出されたものなのだ。

悪夢は永遠に繰り返される。リプリントはその象徴だ。破壊されても、2度とマシーンが製造されることはないとは言い切れない。『ミッキー17』は、ポン・ジュノの強烈なブラックユーモア精神がフィルムに焼き付いた、とびっきりの悪夢なのである。

※2025年3月28日時点の情報です。

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