私には刺青が入っている。生まれた時から入っているのだから仕方がない。
嘘です、好きで入れました。
社会は一昔前に比べたら、刺青に、そして刺青が入っている人に対して随分寛容になっているように感じている。しかしやはりアウトローの象徴っぽさは拭いきれないので、不便に感じることも多々。しかしながらそれについてどうこう言うつもりは微塵もない。例えば、良しとされていたものが、徐々に良くないものとされ、行動が制限されるようなことがあれば意見の一つも言っていたと思う。しかし、そもそも良くはない印象を持たれていたものだ。初めて刺青を入れた時にももちろん、そのことはわかっていた。不便に感じること、制限される場所、人があることを承認した上で入れたのだ。だから「もはや文化なんだし刺青が入っている人に対して寛容な社会に!」なんて自分からは絶対に言わない。社会が変わっていくんだとしたら、お、ラッキーくらいのもんなのです。海外では、とかあんま関係ないよね。ここ日本ですし。はい。
と言いつつも、取り立てて困ったなアなんてことはそんなにない。元水泳部としては、いまだに全力で平泳ぎをしたくなる時があるので、その私の身体の衝動に応えてあげられないことは残念ではあるが、それは生きていく上でそこまで重要なことではない。玄関からリビングまで、両の手をスイスイさせながら歩くことで、どうにか欲求は抑圧できている。
だから、本格的に困ったぞ、と頭を抱えてしまったのは、若い時分にスーパー銭湯に入れなかった時くらいかもしれない。それだって、生きていく上で、というカテゴリーには入らんでしょうが、と多くの人は感じると思う。しかしバンドマンにはのっぴきならない事情ってものがあるのよぅ。
ざっくり言うと金銭面。ご存知の通りバンドマンという生き物はお金がないくせして全国を飛び回り、衣食住で勝手に苦しむ度し難い生き物なのだが、例に漏れず、私もかつてその一人でした(かつて、という言葉を使えてこれほどまで嬉しいことがあったでしょうか!)。
初めて刺青を入れたのが23歳。メジャー落ちした風来坊、貧困の絶頂期。そんな時分に刺青なんか入れてんじゃねエよ、と思われる方もいるでしょうが、そこら辺冷静に判断できる頭があったらもっと早く売れてるっつうの。泣かせないで。
兎にも角にも、出費を抑えたい。無駄な経費は削りたい。しかし最低限の人間の生活は守りたい。そう思った時、三千円でお釣りのくる、風呂に入れて、仮眠ができて、電源を確保することもできるスーパー銭湯という場所は私にとってなくてはならない場所であったのだ。だから刺青を入れた直後の地方、入り口の「刺青の入っている方お断り」と書かれたポスターを見た時、やっべ、と地面に膝を着いたのだった。ずっと在ったはずなのに当事者になってみて初めて見えるものってあるよね。やっちまったア、としばらく打ちひしがれた後、私は誰しもが思いつくであろうことを思いつく。
隠したら、いけんじゃね? と。
実は刺青からは強い毒が出ててそれがお湯に溶けて害が出たり、刺青から空気中に散布されたウイルスが、それを吸い込んだ人間の身体に同じ模様を浮き出させてしまうとか、そういうことだったら言語道断。しかし、このお断りの意味は、とある団体の方の入浴を未然に防ぐということもあるのだろうし、刺青を見て嫌な気持ちになってしまう人のことを考慮してのものだと思う。だとすれば、隠しさえすれば誰にも迷惑はかからないはずだ、と浅はかだった当時の私は思ってしまったのだ。
刺青は手のひら二つ分くらいの大きさではあったが、幸いにも箇所はお腹だった。入浴の際、タオルを巻き付けさえすれば間違いなく隠すことが出来る。なので私は完璧に隠し通すことを天に誓い、入り口へと歩みを進めた。
無事に受付を済ませて、自分のロッカーに荷物をしまいこんだ。さア、入浴の時。刺青が隠れるようにお腹にしっかりとハンドタオルを巻き付けて、お風呂に続く扉をガラガラっと開けた。
浴槽に数人、洗い場にも数人。そりゃもちろん人はいる。この方々に決して迷惑をかけぬよう、細心の注意を払って慎重に歩みを進める。だるまさんが転んだの時の歩き方。しかし、それが悪目立ちをしたのか、幾人かの視線が私に刺さる。バレたか? と確認するが、タオルは一切ズレることなくそこにあった。それもそのはず、取れてしまうことのないようにタオルは、身体が砂時計の形になるくらいまで強く巻いておいたからだ。
顔のついた二本足の砂時計が歩いてりゃ、そら見るか、とも思ったのだが、どうも理由は他にありそうだった。私に目を向ける方達の表情は、押し並べて困惑している時のものに見えた。そして眉をひっそりと寄せ頭の上に「?」を浮かべている。一体どうしてだろうか、と思って歩みをコソコソと進めた私であったが、大きめの鏡に私の全身がしっかりと映し出されたとき、一瞬でその答えが明らかになった。
鏡に映った私の隠蔽工作に抜かりはなかった。入れたばかりの刺青は完全にタオルの下にあり、おそらくどの角度から見ても見えることはない。ただ悔しいことに、抜かりがなかったのは隠蔽工作だけであった。
私は刺青を隠すことに夢中になるあまり、ハンドタオルの幅をまるで考慮できていなかった。すなわち、お腹は見事に隠せているが、本来隠さなければならないところが何も隠れていなかった。
単刀直入に書く。私のち〇ちんとお尻は、完全に丸出しであった。
そもそも何も隠さない人もいる。そして隠すことを選ぶ方もいる。もちろんどちらでも構わない。ただ隠すことを選んだ人間は、下腹部を覆うよう、大事なところが見えないようにタオルを巻くわけである。だから今の私は、側から見たら一体何を隠したいんだかまるでわからない奇天烈な男に見えているというわけだ。本来より全然高い位置に巻きつけたタオルを神経質そうに押さえ、あたりの様子をキョロキョロと伺う下半身丸出しの男。「ねエ、隠せてないよ」と声を掛けたくなる佇まいだった。
ち〇ちんとお尻を見られたとて、ちっとも恥ずかしくない。ただ隠したいのに隠せてない風に見られているであろう、ち〇ちんとお尻は、すごくすごく恥ずかしかった。
教訓は一つ。
刺青はよく考えてから入れましょう。
あ、隠せるならいいですよってとこもあるけど、駄目だった場合、ルールは絶対に守りましょうね。定めた意図を読み解いて、そこに自分が該当しないであろうことがはっきりとわかっていても、駄目なもんは駄目なんだからね。ルールがあるところではルールを、ルールがないところではモラルを。どの口が言ってんだって話だけど。