芸人、俳優、怪談師、YouTuberなど、多彩な顔を持つ好井まさおさんが、自身のYouTubeチャンネルと同名の著書『好井まさおの怪談を浴びる会』(KADOKAWA)を上梓した。
面白いのは、単に配信した怪談を書き起こしているのではく、芸人・好井まさおの類まれなる話芸をもって新たに“語り起こされて”いるところだ。
今回は特別に、好井まさおさん本人が体験した中でも「最も恐怖を感じた」という“人怖(ヒトコワ)”をご紹介しましょう。
黄色いパーカーの男
これは間違いなく人生で一番恐怖を感じた体験です。
僕が24歳の冬、当時芸歴3年目で、仕事といえば月数回のライブのみ、それ以外はネタ作りとバイトに明け暮れていました。
その日は、渋谷にあったシアターDという劇場で22時くらいまでライブがありました。
ライブ終わりに、先輩の「打ち上げ行こうぜ」という号令の下、先輩4人を含めた6人で打ち上げに行くことになりました。
ですが、先輩といってもまだ売れない若手芸人。当然お金はありません。
むしろ、本来奢(おご)る立場の先輩より、後輩の方がバイトを多めにしている分、ややお金があったりする地獄の状況です。
打ち上げ行くとは言ったもののどうしよか……。
そんな空気の中、1人の先輩が言います。
「とりあえず、みんないくら持ってる?」
その言葉で、みんな鞄や後ろポケットをガサゴソし始めます。
「1200円ちょっと」
「180円」
「1万4000円なんですけど今日中に電気代と携帯代をコンビニで支払わないとだめで、それ抜くと2000円くらいです」
渋谷の寒空の下みんなの所持金をチェックした結果、合計6000円ちょっと。
現金を握りしめる汚い若者たちの横を、高級バッグを持った若い女性が横切ります。
「……」
一同沈黙。
そこで、ある先輩が言いました。
「じゃあ、このお金で材料買って誰かの家で鍋しようか」
名案すぎる。
いや、今考えると最初からこれを狙ってたんやろうと思います。
「うちやったらいけますよ」
と僕の同期の芸人が言うので、そいつの家にみんなで行くことになりました。
途中でスーパーに寄ります。
「白菜と豚肉の鍋でいいよな」
「ちゃんこ鍋の素も買おう」
「あとはポン酢でいこう」
「おい、好井! 旭ポンズは贅沢やろ」
聞こえへんフリしました。好井はポン酢にこだわりがあります。
ワイワイ言いながら買い物をし、両手にスーパーの袋を下げて電車に乗り込みました。
僕は電車の中でふと気になり同期に聞きました。
「ちなみにお前んちって、この人数入れんの?」
「あ、大丈夫。ぎゅうぎゅうだけど」
「ふーん。どこ住んでんの?」
同期の芸人は、都内でも有名な商店街が近くにある駅の名前を答えました。
当時、事務所の養成所がそのあたりにあったので、なんとなく土地勘がある場所です。その有名商店街から脇道にちょっと入ったところにあるアパートに住んでいると言います。
「めっちゃ立地ええやん、家賃高いやろ?」
「2万8000円(ドヤ顔)」
この会話を聞いていた先輩たちが会話に割り入ります。
「いや、いわくつきだろ」
「どうすんねん、これ」
「いわくつきの部屋で鍋すんの?」
当然のようにみんな騒ぎ出したんですが、同期はドヤ顔継続。
「いやいや大丈夫です(笑)。来てもらったらわかります」
引き返すこともできず、全員で同期の家に向かいました。
家賃2万8000円の部屋で起きたこと
着いたらまあ、家賃2万8000円で納得の家。長い平屋で、ガラガラと開ける引き戸の共同玄関、その脇に共同トイレ。同期の部屋は廊下の一番奥。湿気がひどく、入り口が引き戸になっている部屋でした。
引き戸を開けて入ると、畳がありません。床にはプラスチックでできた網目状の、よくわからない何かが敷き詰められていました。思わず「きったないなああ……」と誰かが言います。部屋の隅にあるコンロや流しも汚い。
「逆に、これでよう2万8000円を払うな?」
家に招き入れてもらってる立場の人間たちが口々に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせていました。
そんな中、先輩の1人が、フォローに回り、
「まあ……みんなで楽しく飯食えたら場所はどこでもええやん」
と気を遣って言います。
いやこの言葉、一番失礼やろ。
とはいえ、鍋が始まると先輩が言った通りで、呑み食いしながら芸の相談をしたり、
「どうやったら売れるんですかね?」
なんて語り合ったり、今思えば、若い芸人たちが熱い青春をしていた楽しい夜でした。
23時くらいから鍋を始めて、気づいた時にはもう朝4時。
みんな次の日の仕事はあるわけもなく、
「全然泊まっていってもらってもいいですよ」
「じゃあ、もうここ泊まっていこうかな」
「俺もそうしよ」
と、みんなで泊まることになりました。
呑みすぎて膀胱パンパンの僕は、部屋を片付けて布団を敷くタイミングで、玄関横の共同トイレへ向かいました。
廊下を歩いていく途中、違和感がありました。
共同玄関の引き戸が、ちょうど人2人分ぐらい開いています。そして、そこから有名な商店街の通りが見えました。
「物騒やな、なんで開けっぱなしやねん」
と思い、玄関を閉めに行こうとしたら、その通りに人が1人立っています。
「おはようございます!!!!」
黄色い男。
黄色い、ナイロン素材のパーカーを着た若い男でした。その男がキョロキョロ、キョロキョロとあたりを見回しています。
「なんなんやろ? あの人」
となんとなく見ていたら、男とバチンと目が合い、次の瞬間、
ダダダダダダと全速力で走って近づいて来ます。
思わずビクッと体がのけぞりました。
そして、男は僕の目の前で、
「おはようございます!!!!」
と大声で挨拶。
奇行すぎてびっくりしましたが、吉本の養成所も近かったので、とっさに「後輩かな?」と思い、「あ、おはようございます」と挨拶を返しました。
もう一言くらい話しかけようとした時には、男はプイッとそっぽ向いて、どこかに行ってしまいました。
「なんや、こいつ」
呆気にとられ、そして、同時に恐怖も感じ、急いでその場から離れようとトイレを済ませ、部屋に戻りました。
僕と入れ違いでトイレに行った先輩がしばらくして帰ってきて、怪訝(けげん)な顔をしながら聞いてきます。
「おい好井、変なやついなかった?」
すぐにわかりました。
「黄色いパーカーの子ですか?」
「そうだよ。朝っぱらからむちゃくちゃ大声で挨拶されて、挨拶返したら、すぐどっか行ったんだよ」
「あ、一緒ですわ。後輩じゃないですか?」
「いや、後輩にしてもな……。俺、ライブぐらいしか出てねえけど、よく俺のこと知ってたな」
言われてみたらそうやわ……。
そんなことを思いつつも、不審者? くらいの感じで大して気にもせず、布団に入って眠りました。
黄色いパーカーの男の正体
最初は「地震かな?」と思ったんです。そのぐらいに体が揺れていました。
目を開けると、寝ていた僕の体を同期が揺すっていました。
「ちょっと見て! テレビ!」
同期の声が震えています。言われるままに眼鏡をかけて、テレビを見ました。寝ぼけまなこの焦点がゆっくり合ってくると、画面にはすぐそこの有名商店街が映っています。
「あ、すぐそこで生中継してるやん」と思いつつも、なにかがおかしい。夕方のニュース番組によくある「商店街レポート」的な、のどかな感じではなく、殺伐としています。
よく見ると、画面の右上にテロップで、
「白昼堂々通り魔出現」
「えっ」
思わず声が漏れます。
画面が切り替ると、マイクを向けられたおばちゃんが叫んでいます。
「黄色いパーカーを着た青年が、奇声を上げながら次々に人を刺していったんです!」
全身の毛穴という毛穴が開き、汗が出てくる。
詰まっていた鼻が一気に通り、口の中で血の味がする。
心臓の鼓動が速くなっていく。
画面はスタジオに戻り、ニュースキャスターがしゃべり始めました。
「……なお、逮捕された男は取り調べに対し、『挨拶を返さなかったから刺した』などと意味のわからない供述をしているとのことです」
恐怖体験をするとゾクッと寒気が走ると言います。
実際は違った。
毛穴が開き、汗が吹き出し、体中が熱い。
そして、その後、全身がかゆくなる。
その日、一日中、手が震えてました。
人生で一番の恐怖を感じた瞬間でした。
好井まさお(よしい・まさお)
1984年生まれ。大阪府出身。NSC東京校を卒業後、2007年に井下昌城(現・井下大活躍)とお笑いコンビ「井下好井」を結成。2022年12月31日に解散し、ピン芸人に。それ以前から俳優、怪談師としても活躍。YouTubeチャンネルは、ファッションに特化した『好井&カナメクト』、怖い話に特化した『好井まさおの怪談を浴びる会』などを運営。『好井まさおの怪談を浴びる会サロン』も開設。2025年2月にスタートした全国ツアー「劇場版 好井まさおの怪談を浴びる会」も盛況。
好井まさおの怪談を浴びる会 https://www.youtube.com/@yoshii-abirukai
文=好井まさお、CREA編集部