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だから13坪の「まちの本屋さん」は生き残れた…女性店主が25年前から続けている"超アナログ"な手法

  • 2025.3.26

大阪市中央区に「売り上げ冊数・日本一」の記録をいくつも持つ小さな書店がある。隆祥館書店は1949年創業、「まちの本屋さん」として親しまれている。本が売れなくなり、書店が減っていく時代に、どうやって本を売っているのか。2代目店主・二村知子さんにフリーライターの川内イオさんが取材した――。

隆祥館書店の店主・二村知子さん
一冊の小説を1300冊売る書店

大阪市の長堀通り沿い、地下鉄の谷町六丁目駅前にある隆祥館書店は、わずか13坪の小さな町の本屋さんだ。この店の店主、二村知子さんは、この店だけで小説『満天のゴール』(藤岡陽子著)を約1300冊売った。全国の書店で、この小説の売り上げ冊数は日本一。

それだけではない。ノンフィクション作家、佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』は600冊超、同じくノンフィクションの『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫著)は約800冊を販売した。もちろん、どちらも日本一の冊数だ。二村さんが日本で一番売った本は、ほかに何冊もある。

「感動した本に出会うとね、体のなかからマグマが湧いてくるみたいにぶわーってなって。これは伝えなあかんって思うんですよ」

小柄な身体の内側で渦巻くマグマに衝き動かされてきた二村さん。彼女が「死にたい」と願うほど人生のどん底にあった時、救ってくれたのが本と隆祥館書店のお客さんだった。

隆祥館書店の外観
日本シンクロ界のレジェンドのもとで

二村さんは1960年、隆祥館書店を営む父母の長女として生まれた。1949年に隆祥館書店を創業した父の善明さんは争いを好まない穏やかな人で、お客さんが来れば閉店の間際でも招き入れ、1時間でも、2時間でも話し込んだ。

二村家と隆祥館書店を描いた書籍『13坪の本屋の奇跡 「闘い、そしてつながる」隆祥館書店の70年』(木村元彦著)によると、善明さんは「河出書房の全集を大阪で最も売った書店員」。善明さんは「本を読むことで地域の人たちのリテラシーが高まる」「本を商業主義の餌食にするな」という志を持って書店を創業したと同書に書かれている。

母の尚子さんは「商才があるタイプ」(二村さん)で、書店の経理など経営面を担った。店を法人化した時の代表に就いたのも、尚子さんだ。

お客さんへの対応や本にかける愛情、商売として本を売る実力を見ると、両親の遺伝子が二村さんにしっかりと受け継がれたことがわかるだろう。しかし、その遺伝子が覚醒するのはもう少し後のこと。

本に囲まれて育った二村さんだが、夢中になったのは中学校1年生の時に水泳教室「浜寺水練学校」で始めたシンクロナイズドスイミングだった(現在のアーティスティックスイミング。ここではシンクロと記す)。

「友だちのお姉さんが、シンクロしてはって。その友だちから一緒にやろうって言われて始めました」

浜寺水練学校のシンクロチームはAからEチームまであり、新人はEチームからスタートする。Bチームに上がった中学3年生の時のコーチが、選手を引退したばかりの井村雅代さん。指導者として1984年のロサンゼルス五輪から6大会連続で日本代表にメダルをもたらし、さらに中国代表監督としても2008年の北京五輪と次のロンドン五輪でメダルを獲得した日本シンクロ界のレジェンドである。

「うちの母って、すっごい怖かったんですよ。『100点を取ろうと思ったら、120点を取るつもりで勉強しないとあかん、99点やったらあかん』というタイプだったんですけど、井村先生はその母よりも厳しくて、最初はもう、その怖さにびっくりしたんです。でも、井村先生はほんまに公平なんですよ。一生懸命練習する人間を、ちゃんと見てくれる。だから、頑張ろうって思えるんです」

中学3年生の時のコーチが、選手を引退したばかりの井村雅代さんだった
16歳で日本代表へ

しかし、高校1年生でAチームに進級してから間もなく、二村さんは引退を考えた。

シンクロでは、高身長でスタイルの良い選手が重宝される。そのほうが、見栄えがするからだ。ひとつ下には、その条件を兼ね揃え、後にロス五輪でメダルを獲得する元好三和子選手が入ってきた。158センチで身長が止まり、それをハンデに感じていた二村さんは、後輩たちから追い抜かれる前に辞めたいと思うようになった。ある日、意を決して井村コーチに告げる。

「先生、下からどんどん上手な選手も出てきてるし、私もう限界かなって思うんです」

この時の井村コーチからの返答は、今も二村さんの胸に刻まれている。

「あんたの限界はな、あんたが決めるもんちゃうねん。あんたの限界はな、私が決める」

この言葉を聞いて、「先生がそんなふうに言ってくれるんだったら、ついていくしかない」と気持ちを改めた二村さんは、シンクロに没頭。その数カ月後、日本代表に選出される。

日本代表時代の思い出の写真

16歳で日本代表になった二村さんは、名古屋とメキシコで開催されたパンパシフィック水泳選手権に出場。2大会連続で3位に入った後、「もう思い残すことはない」と競技の世界から離れることを決めた。

「先生、本当にありがとうございました」と挨拶に行ったとき、井村コーチは2年前と打って変わり、穏やかに受け入れてくれた。

大学に進学すると、「シンクロに恩返しをしよう」と、小中学生のジュニアチームのコーチを始めた。さらに20歳になる頃には、シニアの指導も手掛けるようになる。

当時から「私にはシンクロしかない。ずっとシンクロに携わっていきたい」と考えていた二村さんに、大きな転機が訪れる。8歳年上の男性と恋に落ち、20歳の時に学生結婚。「白馬に乗った王子様が来たと思った」というバラ色の結婚生活はしかし、23歳の時に長女を出産した頃から少しずつ色褪せ始めた。

死を考える日々

きっかけは、感覚のズレ。例えば、男女平等は当たり前で、女性にも教育や子育てをしながら仕事ができる環境が必要だと考える二村さんに対して、「なんで働きたいの?」「女の子はいい人と結婚するのが一番の幸せ」という夫。

こうした価値観の違いによって徐々に大きくなっていたひずみが決定的な断絶になったのが、結婚13年目。夫の裏切りが発覚してショックを受けた二村さんは、心を患う。

「私はシンクロしかしてなくて恋愛経験もなかったから、自分にそんなことが起こると思ってなかったんです。そのストレスが原因で、パニック障害になってしまって」

1994年、娘を連れて家を出た二村さんは、12歳の娘とふたり、小さなマンションで怯えるように小さくなって暮らし始めた。ふとした瞬間に「なんでこんなことになったんかな……」とつらい記憶が蘇り、涙が溢れる。ご飯を食べても消化不良になってしまい、体重は30キロ台にまで減った。

地下鉄に乗ると、動悸が激しくなり、冷や汗が出てきて気が遠くなる。美容院に行くのも、銀行に入るのも怖くなった。ご飯の時間は実家で家族と過ごしたが、頭のなかでは「死にたい」という言葉がこだましていた。二村さんは、当時の心境について、自身のnoteにこう記す。

「信号待ちの時に、今、飛び込めば死ねる。と思ったことも何度もあった。恥ずかしながら、自傷行為に及んだ時もあった」。

げっそりとやつれた二村さんが唯一、心身の不調を感じることなく過ごせたのが隆祥館書店だった。娘の小学校卒業を区切りに大阪市内に戻り、1995年から父母のもとで働き始めた。

隆祥館書店は、二村さんが安らげる唯一の場所だった
一冊の本に救われて

日常的に読書はするものの、そこまで本に強い思い入れを持っていなかった二村さんだが、この時期、小説からノンフィクションまで読み漁った。本を読んでいる時間は、現実から目をそらすことができたのだ。

この頃に出会ったのが、星野富弘さんの『愛、深き淵より。』。中学校の体育の教師だった星野さんは、鉄棒で模範演技をした際、着地に失敗して頸椎を損傷。首から下が動かなくなるという重度の障害を負う。絶望の淵に追いやられた星野さんは、自分を鼓舞するように口に筆を加えて絵を描き始めた。その苦境と奮闘が描かれた『愛、深き淵より。』を読んだ二村さんの胸の内に、微かな火が灯る。

「自分の甘えに気づかされてね。死にたいと思ってるけど、そんなこと考えたらあかんな、やっぱり生きなあかんって思ったんです」

「一冊の本に救われた」。その実感は、二村さんをさらに読書に駆り立てた。読めば読むほど、「すごくいい!」と心動かされる本に出会い、本の魅力を再発見する日々だった。

その静かな興奮が伝わるのか、お店の店頭に立っていると、お客さんから「なにかお勧めの本、ない?」と聞かれるようになった。最初は、私のお勧めでいいの? と戸惑っていたものの、自分が読んだ本の感動や面白さを共有したいという思いが勝り、熱心に本を紹介するようになった。その様子は、接客している書店員というより、「推し本」を熱く語るひとりの読書好きだった。

にこやかに接客する二村さん

すると後日、あるお客さんが「この前読んだ本、すごくよかったよ」と感想をくれた。その言葉を聞いた時、フッと風が吹き、目の前を分厚く覆っていた霧が晴れた気がした。

「夫に裏切られたことによって自信をなくしていたし、人を信じることができなくなっていました。でも、私が読んだ本の感想を言うだけでお客さんがその本を買ってくださったり、『あの本、良かったよ』と言ってくれはることで、こんな自分でも人の役に立ててるのかなって思えたんです。今、臨床心理士として仕事をしている娘からは、『パニック障害から鬱病になるケースが多いけど、本屋という環境とお客さんとのコミュニケーションがお母さんを少しずつ立ち直らせたんだね』と言われました」

恩師からの手紙

この頃はまだ夫との関係がこじれたままで、気分がふさぎ込む日も少なくなかった。しかし、恩師の言葉が二村さんを奮い立たせる。

ある日、自宅の郵便受けを開けると、一通の手紙が入っていた。差出人を確かめると、「井村雅代」と書かれていた。シンクロを辞めてからも井村コーチとはなにかとやり取りが続いていたが、手紙をもらうのは初めて。二村さんは緊張しながら、封を切った。白い便せんには、井村コーチの佇まいを思わせる凛とした字で、励ましの言葉が記されていた。

胸いっぱいになり、すぐにお礼の電話をかけると、井村コーチはこういった。

「私も浜寺水練学校辞めて独立するとき、ものすごいバッシングを受けたし、これまでもいろんなバッシング受けたけど、自分のことをわかってくれる人が誰かひとりでもいたら、私はそれでいいと思うねん。私はトモちゃんのことを応援してるし、負けたらあかん」

シンクロをしていた時は、「あんたの限界はな、あんたが決めるもんちゃうねん」と檄を飛ばし、日本代表に導いてくれた。引退してから15年以上も経ち、人生に追い詰められた時、再び現れて「負けたらあかん」と寄り添ってくれた。何物にも代えがたい恩師の言葉は、その後も二村さんの支えになる。

アマゾン上陸、利便性に対抗する「対面の選書」

隆祥館書店では、二村さんに本を勧めてほしいというお客さんが少しずつ増えていた。それが「楽しくて、楽しくて」、もっともっとお客さんに本を勧めたいと思うようになり、寸暇を惜しんで本を読むようになった。

このお客さん(右)は、二村さんの接客に惹かれて常連になったという

意外にも、父の善明さんはこの取り組みに批判的だった。

「お客さんの方が、その分野に精通している人がいる。そんな人に本をお勧めするなんて、無知ほど怖いものはない」

二村さんも「それはそうかもしれないけど……」と感じつつ、もはや生きがいとなっていた活動を手放そうとは思わなかった。そのため、ふたりは何度もケンカしたが、善明さんも売り上げへの貢献を認めていたのだろう。2000年、二村さんは店長に就任する。

奇しくも同じ年、アマゾンが日本でサービスを開始した。当時、隆祥館書店の来客数は1日平均300人、ひと月の売り上げは、外売と合わせて約1000万円。アマゾンの登場は全国の書店に影響を及ぼしたが、二村さんの「対面での選書」は、アマゾンの利便性に対抗する手段になった。

1500人の趣向を把握する書店員

「対面での選書」が広がるターニングポイントになったのは、ディアゴスティーニが展開する「パートワーク」。ひとつのテーマを数冊に分けて紹介する冊子で、当時は毎週発売されていた。隆祥館書店には50人ほどの予約客がいて、毎週受け取りに来る。顔なじみになったお客さんに声をかけると、そこには売り上げを伸ばすヒントが溢れていた。

「野鳥のパートワークだとしたら、もちろん鳥の話もしてくれはるんですけど、僕はカメラが好きやねんとかね、ほかの話をしてくれはったりするんですよ。それから、このお客さんはなにが好きなんかなって興味を持つようになって、どんどん、お客さんの趣味、趣向に合った本を勧めるようになりました」

お客さんのリアクションに確かな手ごたえを感じた二村さんは、書棚を眺めているお客さんにも「なにかお探しですか?」と自ら声をかける積極的なスタイルに。

お客さんの顔と仕事、趣味、本の好みなど、二村さんの脳内データは日々更新され、気づけば「1500人の趣向を把握する書店員」としてメディアに報じられる存在になった。ほかの書店と比べて距離が圧倒的に近い接客によって顧客も増え、当時、坪数の割合では大阪で一番の売り上げを記録する。

店内に提示されている紙面。「1500人の趣向を把握する書店員」と報じられた
「作家と読者の集い」がスタート

それでも、来客数の減少は止まらない。店長に就いてからおよそ10年後の2011年、1日の平均来客数は190人になっていた。アメリカではアマゾンの電子書籍「キンドル」が脚光を浴び、日本上陸も間近と報じられ、「黒船来襲」に二村さんも「地に足が着かないぐらい」不安に感じていたという。

その頃、たまたまテレビを見ていたら、大好きな松任谷由美さんが出ていた。ユーミンはその番組で次のようなことを言っていた。「CDが売れない。けれども、コンサートには沢山の方々がお越し下さる。みんな体験したいんだ、だから体験型のコンサートを増やしている。貨幣価値ではなく、精神的価値を高めることを追及する」。

二村さんは、その言葉に鳥肌が立った。そして、電撃的に閃いた。

書店も書き手を招いて、本に書き切れなかったことを話してもらったり、作家と読者をつなぐことはできないのか? 体験型の集いで、精神的価値を高めることはできないのか?

このアイデアをもとに始めたのが、「作家と読者の集い」。2011年の夏、「8月15日終戦 今、私達が読むべき本」として店頭でフェアをして推薦した本を読んだお客さんから、「作者の話を聞いてみたい」と言われたことがきっかけだった。10月に開催した初回が想像以上に好感触だったことから、二村さんは「作家と読者の集い」をシリーズ化する。

作家と読者の集いは、現在300回を超える

2回目は、2012年1月21日。ゲストは藤岡陽子さん。そう、冒頭で紹介した『満天のゴール』の作者だ。2023年にNHKでドラマ化されたこの小説をはじめ、藤岡さんはこれまで複数の作品が映画化、ドラマ化されている売れっ子ながら、2012年の時点ではまだそこまで名前を知られる存在ではなかった。

初回と違い、二村さんがデビュー作の『いつまでも白い羽根』に惚れ込み、新作の発売時期に合わせて企画したのだ。この回が、二村さんの「マグマ」の源泉となる。

惚れた本を、責任をもって売り切る

「イベント後に、年配の女性の方から『なにかが足らん』とか『山崎豊子さんみたいな作品を書く人がいい』と言われたんです。でも藤岡さんは本当にステキな方だし、作品もすごく面白い。だから私は、いやいや、この人はこれからいろんなことを吸収して、素晴らしい作家になるはずやって思ったんです」

この回以降、「作家と読者の集い」は、二村さんが「たくさんの人に伝えたい!」と感じた本の著者を呼ぶ会になった。今風に言えば、「本」の推し活だが、その熱量は凄まじい。

「100冊仕入れて、売れませんでしたと100冊返す本屋さんもあります。でも、私は本をそういう風に扱いたくないんです。自分が惚れ込んだ本は、自分が責任を持って仕入れて売り切る、それが約束やと思うんですよ」

伝播する「マグマ」の熱

隆祥館書店で600冊超を売った佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』。2020年2月に出版されたこの本を読み終えた瞬間、二村さんはすぐ本人に連絡した。

数えきれないほどの付箋が貼られた二村さんの『エンド・オブ・ライフ』

「もう泣きながら読んで、うわ、これは多くの人に伝えなあかんと。佐々さんとはTwitter(現X)でつながってたから、読むやいなや、ぜひイベントをやらせてくださいってメッセージを送りました」

コロナ禍だったこともあり、「作家と読者の集い」は2020年8月にオンラインで開催された。それまでの間に、二村さんは店頭でこの本を300冊以上売っていた。

「あるお客さんにお勧めしたら、タイトルを見て『暗い本ちゃいますの。悲しい本は読みたくない』って言いはるんですよ。それで私は『いや、違うんです。これね』って自分も泣きそうになりながら亡くなる前に家族でディズニーランドに行くお母さんの話をしました。そうしたら、『ちょっと読んでみるわ』って言ってくれはって」

溢れ出した「マグマ」の熱は、伝播する。二村さんは2020年9月、ドキュメンタリー番組『セブンルール』に出演した。その番組のなかで『エンド・オブ・ライフ』を勧めている映像が流れると、発売から半年以上が経ち、動きが止まっていた書店の在庫が一気に売れ始め、重版がかかったそうだ。

「セブンルール」では、コロナ禍でお客さんが遠のき、激減した売り上げをカバーしようと始めた「1万円選書」の話もした。全国から希望者を募り、記入してもらったカルテをもとに二村さんが1万円分の書籍を選んで送るという取り組みだ。

番組の反響は大きく、約600人から応募があった。その際、未曽有のコロナ禍にあって「読むと生きる力をくれる本だから」と多くの人に届けたのが、藤岡陽子さんの『満天のゴール』だった。

自分が惚れ込んだ本は、責任を持って仕入れて売り切る
加速度的に減り続ける客数

現在、1日の平均客数は40人から50人。二村さんも「本当に厳しい」と眉根を寄せる落ち込みだ。それでも経営が成り立つのは、客単価が上がっているから。

「私が働き始めたばかりの1995年には、1日平均400人のお客さんが来ていました。でも、客単価は800円ぐらい。それが今は2000円ぐらいなので、なんとか持ちこたえています。だからもっと本の良さを伝えなきゃと思って、イベントを頑張っています」

コロナ禍にリモート配信を始めたこともあり、「作家と読者の集い」は多い時に会場とリモートを合わせると200人ほどが参加する。現在、300回を超えている「作家と読者の集い」が、隆祥館書店の売り上げを支える大きな柱となっているのだ。

しかし、イベントは二村さんにかかる負荷を高めている。2015年に父の善明さん、2016年に母の尚子さんを亡くす前後から、二村さんは隆祥館書店の店主として経営を担っている。その業務の合間を縫って、お客さんに本を勧めるために膨大な読書をしてきた。

そのなかから「これは!」という本を紹介するためのイベントだから、司会進行も務める二村さんは対象の本を読み込む。付箋だらけの本を見れば、その思い入れがわかるだろう。イベント後には、自らレポートも書く。

書店の経営、毎日の営業、お客さんに選書するための読書にイベントが加わることで、慢性的な睡眠不足に陥っていた。それが影響したのか、2018年には心臓の手術をしている。それだけ身を削っても書店を経営し続けるのは、理由がある。

町の書店が苦しむ「理不尽」

現在から遡ること10年前、2015年2月に善明さんが亡くなった時、妹と弟から「しんどかったら、もう本屋を辞めたら?」と言われた。その頃から経営は厳しく、赤字になる月もあった。隆祥館書店は1992年、9階建てのテナントビルに建て替えている。二村さんが「借金があと15年残ってるよ」というと、弟から「ビルごと売ったらええやん」と返された。落ち込んで眠れなくなった二村さんは、それから三日三晩、考え続けた。

「小さい本屋やから、理不尽な目にも遭うし、しんどいこともあるのに、なんで自分は本屋を続けたいのかな……」

「理不尽」とは、隆祥館書店のような個人経営の書店が長年直面してきた流通の課題を指す。例えば、大手書店が優遇される「ランク配本」。出版された本のほとんどは、「取次」と呼ばれる企業を通して町の書店に配本される。取次は書店の規模で配本する本や冊数を定めており、二村さんがどれだけ日本一の売り上げを叩き出しても配慮されない。

例えば、2015年に出版された『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(北康利著)に惚れ込んだ二村さんは2年間で400冊以上販売し、日本一になった(現在は650冊を超える)。しかし、2017年に文庫化された時、隆祥館書店への配本はゼロ。もう一度売ろうと意気込んでいた二村さんは、あまりの悔しさに涙したという。この出来事以前からずっと「実績配本にしてほしい」と訴えているが、今もランク配本が続く。

「本を通じた交流」を諦めたくない

書店が注文していない本が取次から勝手に送られてくる「見計らい配本」(隆祥館書店には2年前に発売されたムック本が届いたことがある)や、取次がアマゾンに対抗するという名目で立ち上げながら、注文すると本の料金の8%を書店から徴収する高速配本システム「ブックライナー」(書店の利益は書籍代金の約20%なので、注文するだけで12%に減る)など、ほかにも書店に不公平な仕組みが残る。

この問題は根深く、実は父・善明さんも公正取引委員会に訴えることで、流通の一部改善にこぎつけた過去がある。善明さんの姿を間近で見てきた二村さんも泣き寝入りすることなく声を上げてきたものの、立場の弱い個人書店で後に続く人は少数で、孤独な闘いを強いられてきた。だから、「しんどい」。それでも、二村さんは書店を続ける道を選んだ。

「本を通じて作家さんにも、お客さんも会える。それが自分にとってはすごく嬉しいことなんですよね。本屋を辞めてビルを売ったら楽になるかもしれないけど、この喜びを失いたくないと思ったんです。私は本を通じて人と交流したいんだってわかりました」

今も変わらずこの思いを持ち続けているから、二村さんは今日も店頭に立つのだ。

レジに立つ二村さん
リアル書店が生き残るヒントがここにある

2003年に2万880店舗あった書店は、2023年には1万918店舗に半減した(日本出版インフラセンターによる)。アマゾンの台頭、スマホの普及、電子書籍の登場などその背景にはさまざまな理由が考えられるが、隆祥館書店のお客さんの声を聞くと、「町の本屋さん」にもまだまだ可能性があると感じる。女性の常連客は、こう話す。

「大きな本屋さんは、新刊が並んでいて、そこから選ぶという感じなんですけど、隆祥館書店は、店長さんが『どんな本が好きですか?』『普段どんなことしてますか?』ってすごく親身に話を聞いてくださって。例えばその時に、『日本酒が好きです』と言ったら、『それならこの本は?』ってすぐに出てくるところがすごく楽しいんですよね。以前、自分では選ばないような本を勧めてくださって、最初は『こんな本読むかな』と思ったけど、読んでみたら面白かったんです。自分だけだったら選べなかった本と出会わせてもらってから、ここに通うようになりました」

このお客さんは、「仕事で疲れたなっていう時に寄りたくなるんです。ここで宝物を探すみたいな感じ」とほほ笑んだ。

「敵は己の妥協にあり」師の言葉を胸に

取材の日、この常連さんが友人を連れてきていた。「本を選んでもらいたい」というその友人のリクエストに応え、二村さんは丁寧に質問を重ねる。少しでも関心がありそうな話題があると、熱のこもった言葉で関連した本について解説する。その熱量に背中を押されるように、女性はこの日、『満天のゴール』を含めて数冊を購入していた。

近所に住んでいて、「この間、20年以上ぶりに来てみた」という高齢の女性は、二村さんの選書が気に入って、再訪していた。

「私ね、ほんまは人から勧められた本って嫌いですねん。自分で探すのが好きやからね。でも、読んでみたら面白かった」

さらに二村さんは近年、「ネットでニュースが消費されがちな今こそ、ノンフィクションの力が必要だ」と、環境、食、教育、ジェンダーなどさまざまな分野で大手メディアが報じないようなテーマを追求するジャーナリストや専門的な知識を持っている識者を招いてのトークイベントを次々に開催。メディアの役割も果たそうと奮闘している。

リアル書店の未来は、どうなるのか。そのヒントは、13坪の小さな書店にある。

「本当に先が見えないし、これでもか、これでもか、これでも本屋やめへんかっていう目に遭わされるんですよ、本当に。そのたびにどうしようって思うんですけどね。井村先生の本のイベントをした時に、トモちゃんにもサイン書いてあげるわ言うて、『敵は己の妥協にあり』って書いてくれはって。それからは、そうや、妥協したら負けや、なんかやれる方法があるはずやと思っています」

川内 イオ(かわうち・いお)
フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。

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