腰まで伸ばした髪を、母にねだって、私は三歳にして人生初のパーマをかけていた。
三歳の幼女だった私は、既に世間に浸透しきっていた「女性」=「ピンク」という紐づけ通り(当時大多数がそうであったように)、ピンクという色が大好きで、夢は、ピンク色のドレスのお姫様だった。
それは、パーマをかけてドレスを着れば自分のなりたかったお姫様になれると思えた幼女らしい可愛い想像力によく似あっていたと思う。幼い女の子は、ピンク色と距離が近い。心理的にも物理的にも。
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しかし問題はここからだ。
幼女は、成長とともに、世界にピンク色のドレスを着たおとぎ話のお姫様はいないと知り、どこにもなんのルールもないのに、ピンク色は女の子...…それも特に幼い女の子の色だと認識し始めた。
その認識は、大好きでピンク色のドレスのお姫様になるためにパーマまでかけたのに、なんと、ピンク色は可愛くて好きなんだけれども、苦手な色にまでさせてしまったのだ。少なくとも友人たちの前ではピンク色の服は絶対に着たくなくなった。
ピンク色にも桜のようなやわらかな色から京都のしば漬けのような濃い色まであるが、色が薄ければ薄いほど、かよわく、かわいらしいイメージがあるのは、私だけだろうか?そして世間でピンク色を探してみると、やはりかわいらしい幼い女の子の服や持ち物に多用されている気がするのだ。
これが既に世間に浸透しきっている「女性」=「ピンク」という意識であると改めてとらえると、どうりで大人はピンクと絶妙な距離ができてしまうはずだと思った。
ここには、現代の日本特有の人の目を気にしすぎてしまう文化も一噛みしているのかもしれない。
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絶妙な距離というのは具体的な例を出すと、丸の内を颯爽と歩くいかにも!といった雰囲気のバリキャリOLが、好きな人とのデートで可愛らしいバラのようなピンク色のふんわりとしたワンピースを着てバリキャリ感ゼロだったら。
それはとてもすてきなんだけれども、バリキャリ姿を知っている人が見たら、三度見...…いや、五度見したくなるような、その感じ。また本人も感じるであろう着なれなさから来る恥じらいを含んだその達和感こそが、ピンク色との距離感ではないかと思う。
そして、それをセクシーだと感じるのか、その類のものをピンク色で表現されているのには納得がいっていない。これは、人とピンク色との距離をさらに複雑化させかねないと言えるだろう。
こうして今回ピンク色を題材にした文章を書いているが、私は今後、ピンクがその他多くの色……例えば白や黒のように題材にも上がらない色になることを期待している。
私が紫色が嫌いなように、ピンク色を嫌いな人がいてそれが男女どちらでも構わないと思うし、五十代の女性が桜でんぶのようなピンク色を好きだからという理由で、ファッションに取り入れた時、誰かが心から「素敵だね」と褒め、それをさらに素直に受け止められる。
そんな世界になれば老若男女、誰しもがピンクとの距離感を変えられるのではないかと思う。
■薇兎のプロフィール
1997年生まれ。縦ロールの幼稚園児から、マンモス校唯一のピンクランドセル小学生へ。中学は不登校だったものの指定のバッグには十センチ以上のピンクのリボンを付けていた。 今はピンクとそこそこの距離を保つ社会人。