「ピンク」といえば思い出されるのは小学校低学年の頃だ。
私たちが1年生になる頃、赤・黒以外にもピンクなどのランドセルが出始めた。それでも基本的には赤・黒のランドセルが多くて、ピンクのランドセルはクラスに1人、2人いるかの少数派。ピンクのランドセルの子は「イケてる女子」か「イキってる女子」かであった。
ピンクのランドセルを持つには勇気がいる。それでも、憧れの目で見ていた女子は多かったように思う。
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さて、そんな憧れの「ピンク」であったが、年齢が上がるにつれてその憧れは減退していった。「子どもっぽい」とか、「ぶりっ子」とか、そういうイメージを持つようになる子が増えていった。私自身もピンクは身につけなくなった。
そうやって遠ざかっていったピンクが急に身近になったのは中学2年の時だ。クラス替えがあり、担任も替わった。その先生が大のピンク好きだったのだ。
持ち物全てがショッキングピンク。本人はピンクが好きだとは言葉にしなかったけれど、あれだけ持ち物で主張されれば、誰もが「好きなんだろうな」と思わずにはいられない。
学期末に手渡される「成績表」は、クリアポケットがついたファイルに挟まれて配布される。そのファイルは担任がそれぞれ用意するのだが、私のクラスのファイルは見事に全員ショッキングピンクだった。
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ピンクの圧がすごい。目がチカチカする。でも、不思議と嫌ではなかった。それはきっと、担任のことがすごく好きだったからだと思う。
「ピンク」から想像される「キュート」や「プリティ」みたいなイメージとは程遠い人だった。ショッキングピンクからイメージされるギャルのようなギラギラした強い感じもなく、どちらかというと優しい、ナチュラル系の服を好んで着ていた。
どっしりとした体格で、現在の世の中で言えば「暴言」と言われても仕方ないような荒々しい言葉遣いをする女性の先生だった。それでも、その言葉ひとつひとつには愛が感じられたし、生徒ひとりひとりに寄り添っていた。やんちゃな生徒にも、捻くれて投げやりな態度ばかりとる生徒にも全力で向き合い、誰一人として見捨てなかった。
持病があり休みがちだった私にもよく声をかけてくれた。「待ってるから、来れそうならいつでもおいで」先生のその言葉があったから、どうにか学校にいけたのだと今も思っている。
大いに救われたし、人としてかっこいいなとずっと思っていた。
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中学を卒業するとともに、また「ピンク」と触れ合う機会は激減した。自分自身は相変わらずピンクの物は身に付けないし、周りの人もそういう人が多い。
しかし、不意にショッキングピンクを見るとあの先生を思い出し、励まされる思いがする。「ふざけんなよ。ちゃんとやってんのか?」と、当時の先生の口癖だった言葉が聞こえるような気がして背筋が伸びる。
先生は今もショッキングピンクに囲まれて過ごしているのだろうか。先生にとっての「ピンク」はどんな存在だったのだろう。いつかまた会えたら聞いてみたいと思っている。
■シオヤキのプロフィール
難病と生きる20代前半女性。