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どうしてもしたかった一人暮らし。言葉は拙くとも、幼い私は本気だった

  • 2025.3.25

子どもの頃、私はずっと一人暮らしがしたいと思っていた。一人で部屋を自由に使えること、好きな家具の配置、自分しかいない空間にとても憧れたからだ。好きなドラマを見ているときでも、ドラマの中で主人公が暮らす部屋がとてもきらびやかに見えていた。

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子どものころの憧れは、強い思いになりやすい。私はこうなるんだ、こうするんだ、という決意に似ていて、すぐにでも実行したくなる衝動を持ち合わせている。幼い頃に一人暮らしがしたいと思い始めたので、当時から、今すぐ実行したくてたまらなかった。当然ながら親には子どもの遊びだと捉えられ、相手にされずに終わった。何度も言ってみても、何もできないでしょ、と言われるだけで話は続かない。泣いて喚いても変わるはずはない。しかし当時はとにかく、一人暮らしがしたい、という思いを必死に実現しようとしていた。

高校生の頃も思いは変わらず、どこかで一人暮らしを始められるチャンスを探していた。ところが、通った高校は、家から一番近いという理由で選んだ学校。高校生で一人暮らしをするという概念はどこかで諦めており、自宅から通うことに少しも疑問を抱かなかった自分がいた。

高校三年生のとき、青天の霹靂としか言いようのない出来事が起きた。担任だった先生が、自分は高校時代を寮生活で過ごした、とホームルームで話したときがあった。そこで私はハッとした。高校生でも一人暮らしができる環境があったとわかったからだ。もちろん、高校での寮生活も親の援護があり、何かを極めるように目指す人が入る場所だろう。家を出たいから、一人暮らしの夢を叶えたいから、と選ぶ進路ではない。それでも、私が憧れている生活に近づける方法だったのではないかと悔しさが込み上げたのは覚えている。

一方で、希望が見えたタイミングでもあった。大学進学をきっかけに一人暮らしを始められる可能性があると気づいたのだ。大学ともなれば、進学先は全国に広がる。学区の縛りもなく、学びたい場所や内容に応じて進路を決められるのだから、ここまで大きなチャンスはないと張り切った。模試では、志望校に地元から離れた学校ばかりを書き、憧れの一人暮らしに向けて想像を膨らませた。キャンパスライフと同時に叶う一人暮らし。これまでの思いがすべて叶えられる環境だと思えて、一層輝いて見えた気がした。

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希望が見えたのは一瞬で、思いは儚く散った。自宅から通える大学への進学が決まったのだ。親に引き止められ、学力も足りなかったため、選択肢はほとんど一つに決まっていた。悔しいというよりも、私がいかに一人暮らしに対して浮かれていたかことが露呈し、夢しか見ていなかったかがわかり、自業自得だと思った。しかし、これが理由で一人暮らしを諦める私ではない。大学では一人暮らしができなかった分、大人になって働くときには必ず一人暮らしをして見せると決めた。どこで働くかよりも、一人暮らしが必ずできることを条件に就職活動をしていたと言っても良いだろう。約二十年かけて実現した一人暮らし。決まったときはガッツポーズをした。

大人になれば、一人暮らしをしたいと言えばすぐに家を見つけて引っ越しできる。しかし、当時は子ども。当然自分の力だけで生活できる力はなく、どれだけあがいても結果が同じであることは目に見えている。だが、あのときは本気だった。どうしても一人暮らしがしたくて、どうしても憧れていた環境に身を置きたかった。子どもだった時間のほとんどを、一人暮らしがしたいという願望とともに過ごした私にとって、すべて、本気でやりたいと思ったことを親に伝えたまでだ。昔は言葉も伝え方も、持っている数が少なすぎて伝わらず、本気であることも理解してもらえず、悔しい思いをした。もし、当時を振り返るとすれば、もっと本気が伝わる言葉や熱意を表すと良かったかもしれない。もう少し早い時期から一人暮らしができていた可能性も秘めていたと思うと、惜しいことをしたと思う。

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そんな子どもの頃の憧れや、やけに大人びた主張も、今になれば、どんなときも本気で思っていたと言える。幼くてもちゃんと考えてたどり着いていた。大人になって、ちゃんと言葉にして伝えられて、憧れを実現できた今、当時の私を見ればきっと、何も声をかけないで見守っているだろう。大丈夫、叶えられるから、と気持ちだけ込めて見守るだけで十分だと思うから。

■kanon.のプロフィール
自分らしさ、今を楽しむためには、を考える駆け出しの社会人。 HSPの持ち主。強みに変えられる生き方を探し中。

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