暮らしの質を高め、豊かな人生を送るにはどうしたらいいのか。経済アナリストの故・森永卓郎さんは「ブランドを信仰するのではなく、目利(めき)きの能力を高めれば、それが、あなたの暮らしの質を高めることになる」という――。
※本稿は、森永卓郎『森永卓郎流 生き抜く技術 31のラストメッセージ』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
すき焼きの名店に行ったら、頼むべきはすき焼きではない
「節約のために安いものを買うより、値段が張ってもブランド物を買って、それを長く使うのが賢い暮らし方だ」
このように語る人が多い。しかし私は、それはブランド信仰者の「言い訳」で、間違っていると思う。たしかに、格安のTシャツは洗濯をすると、襟えりが伸びてしまうことがよくある。一方、ブランド物はしっかりしている。よい素材を使って、ていねいに縫製ほうせいされているからだ。
だが、ブランド物の服につけられている価格の90%以上は、素材のよさを反映したものではなく、実は「ブランド」そのものの価値だ。その証拠に、流行を過ぎたブランド物の服を古着屋に売りにいくと、安物の服と同じ「キロ10円」といった値段になってしまう。
同様に、フリマアプリを使えば、ブランド物のユーズド服が数百円で買える。もちろん高品質の製品だ。私が尊敬する“生活者”は、そうした服を二束三文で買うことで節約ができる人だ。
服以外でも、以前、銀座のすき焼きの名店の経営者に聞いた話では、店に来た客が「牛丼」を注文すると、「こいつはできるな」と思うそうだ。すき焼きのコースと牛丼は、中身がほぼ一緒であるにもかかわらず値段が3倍以上違うからだ。
そうした行動をとるためには、よいものを見抜く「目利き」の能力が必要になる。しかも、そうした目利き力は節約を可能にするだけでなく、ビジネスにも直結する。
まだまだ背取りで稼げる商品のジャンル
10年ほど前までは、ネットオークションやフリマアプリを使った「背取り」が可能だった。とてつもない安値で出品された商品の価値を見抜いて仕入れ、それに解説と適正価格をつけて再出品するだけで、利益を得ることができたのだ。
こうしたビジネスに手を出す人が増えたので、最近では利ザヤを稼ぐことがむずかしくなっている。
しかし、目利きを仕事にすることは、リアルの世界ではまだまだ可能だと思う。たとえば書籍だ。
いま、古書店で買い取ってもらえる書籍は、発売されたばかりの人気作品だけだ。少しでも古くなると値段が暴落し、マニアックな専門書籍になると、そもそも買い取りが拒否されてしまう。店頭に置いても、いつ買い手が現れるかわからず、保管費用だけがかさんでしまうからだ。
ただし、それは都会に限った事情だ。いま田舎に行けば、空き家だらけで、家賃は限りなくゼロに近い。そこに仕入れた書籍を片っ端から並べていくのだ。
専門書はニーズは少ないが、いったん買い手が見つかれば、定価に近い価格、あるいはそれを超える値段で売れる。いまも断捨離ブームは続いているから、書籍の仕入れは、限りなくタダに近い対価で可能だ。
さらに、古書を店頭に並べて販売するだけでなく、時間ができたときに、「これは高値で売れる」と判断したものを、ネットサイトで売りに出してもいい。
こうした仕事をすれば、生活拠点を田舎に移すことが可能になるので、生活コストも大幅に引き下げられる。大都市で「ブルシット・ジョブ」に縛られるより、はるかに人間的だ。
ポケットティッシュも「カネの成る木」になる
実は、こうしたビジネスは書籍以外の分野でも十分可能だ。コロナ期、私が運営する私設博物館「B宝館」に、「コレクションを引き取ってほしい」という依頼が殺到した。
B宝館は、古物商の許可を取っていて、売店で中古のおもちゃも販売している。だが、それは来館者へのサービスとして行なっているもので、ビジネスとしてやっているわけではない。だから引き取りは、B宝館に展示のないものを寄贈してもらえる場合に限っている。原則として買い取りはしていない。
また、B宝館の展示対象ではない紙製のグッズは、そもそも引き取っていない。それでも、コロナ禍の期間だけで、段ボール300箱分は引き取った。断捨離を進めるなかで、どうしても思い入れのあるコレクションを捨てられず、その「終の棲み家」を求めた人が多かったのだ。
こうしたことを考えれば、種類や数量を限定せずに、少々の対価を支払えば、はるかに多くのおもちゃを集めることは十分可能だ。そうした仕入れができれば、あとは古本販売と同じビジネスモデルを展開することが可能になる。
さらに、ある程度のストックができたら、貸出ビジネスも可能になる。実は、B宝館の最大の収入源は入場料収入ではなくコレクションの貸出料だ。
浮世絵もかつては美術品としての価値はなかった
たとえば、いま最もニーズが大きいB宝館の収蔵品は、日本初の携帯電話「ショルダーフォン」である。
このショルダーフォンは、現在そう簡単に借りられない状況だという。どこかのイベント会社が、展示用にNTTドコモから借り受けた際に壊してしまったので、それ以来、誰も借りられなくなってしまったそうだ。
ほかにも、日本初のウォークマンやデジタルカメラ、ポケベルなどもB宝館に引き合いがある。最近では、「80年代、90年代の青春グラフィティ」という百貨店のイベント用に、大量のラジカセを貸し出した。
意外なところでは、消費者金融会社が路上で配布したポケットティッシュのコレクションも貸し出したことがある。イベント担当者によると、ずいぶん探し回ったが、大量のコレクションを保有していたのはB宝館だけだったそうだ。
どんなものにアート性が潜んでいるのかを見抜く目が重要だというのは、昔から変わっていない。
たとえば、浮世絵は大衆向けの絵画で美術品としての価値はなかった。だから、日本の陶磁器をヨーロッパに輸出する際の梱包材として使用されていた。そして、受け取った荷物を開梱したヨーロッパの人が、その美術性に気づいたことで、浮世絵のいまの地位が確立されたのだ。
また、「根付」をご存じだろうか。和装の際、巾着や印籠箱などの紐に取りつけ、帯の下から上へ挟み込むためのストラップ・マスコットのようなものだ。
これも数十年前までは、ほとんど美術性を認められていなかった。だから骨董市で、二束三文で買うことができたが、いまや高いものだと数千万円の評価がついている。
目利きの力を使うビジネスも考えておく価値がある
何がアートで、何がゴミかを判断するのは、その人の感性にかかっている。目利きを可能にする感性を持つには、少なくともその分野のことが好きだということが最低限の条件だと私は思う。好きで好きでたまらず、しっかり見てきたからこそ、そのモノが持つ美しさを感じ取ることができるのだ。
私の場合は、ミニカーやグリコのおもちゃの目利きは誰にも負けないと思っている。価値の高さだけでなく、本物かニセモノかの判断も一瞥でできる。
私は、農業もアートだと考えている。だが、周りを見ていると、残念ながら後期高齢者になると体力的に継続が難しくなる。
その点、目利きの能力を生かしたビジネスであれば、もう少し長い期間継続することが可能になる。人生における職業の選択肢のひとつとして、目利きの力を使うビジネスも考えておく価値があるだろう。
【モリタク教授のここがポイント】
●「ブランド物は長持ちする」というのはブランド信仰者の言い訳にすぎない
●ブランド物の価格の9割以上は品質ではなくブランドそのものの価値である
●高級すき焼き店では牛丼を注文せよ
●好きなものを追求すると目利きの能力も上がっていく
●目利きの力はビジネスにも結びつく
森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。