Text by ライター
1993年のJリーグ開幕以降、日本のサッカー界は目覚ましい形で進化を遂げており、2022年のW杯では2年連続のベスト16入りを果たした。
後にプロ化に至った競技のロールモデルとしても用いられるなど、Jリーグは日本スポーツ界の発展に多大な貢献を及ぼしてきた。
一方で近年は試合中継のあり方や、新規ファンの獲得などの面で課題も指摘されている。
今回は、かつてFC東京を運営する(株)ミクシィのスポーツ事業部長やザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)の代表取締役を務めた石井宏司氏に、サッカー界の現状についての思いを伺った。
「日本人選手の活躍はサッカー界の追い風になる」
――まず初めに、石井さんのスポーツ界におけるキャリアについて聞かせてください。
僕はリクルートでキャリアをスタートしました。その後、野村総合研究所を経てスポーツ業界に転身し、女子プロ野球リーグの事業再生などに携わってきました。
そして、2019年からはFC東京のグローバル推進事業部に籍を置き、ベトナムのクラブと連携を結ぶなどの形で東アジア地域でのネットワーク強化に努めた後に2022年から2023年までは当時J2に属していたザスパクサツ群馬の代表として、クラブの経営を任されておりました。
現在はスポーツ業界からは少し離れたところにおりますが、今でも個人として日本サッカー界の発展を願っている一人です。
――Jリーグの誕生から今年で32年目を迎えますが、日本サッカー界の現状について石井さんをどのように捉えていますか?
日本で人気の高い野球は、世界的に見るとそこまで競技人口の多いスポーツではありません。
世界のさまざまな国で愛されているサッカーは、世界的に見ても凄まじい人気を誇るスポーツですし、近年は日本人選手も力をつけてきて、欧州のトップチームで活躍することも珍しくなくなってきました。
日本人選手の皆さんが各国で躍進を遂げてくれている現状は、きっと今後の日本サッカー界を発展させていく上で大きな追い風になるのではないかと思います。
――これから訪れる明るい未来に期待も高まりますが…。現在の日本サッカー界の課題についてはどのように感じられていますでしょうか?
1993年に10チームで開幕したJリーグが、今では3カテゴリ、全60クラブにまで拡大し、多くの方々にサッカーを楽しんでいただけるようになりました。
2015年に設立されたスポーツ庁は、当初から「魅力的なアリーナやスタジアムを作る」という方針を掲げていましたが、近年はさまざまな競技の魅力的なスポーツ施設が各地に誕生していて、スポーツの魅力に触れていただけるような環境が整いつつあります。
そしてこの10年間で多くの新興企業がスポーツ業界に参入することとなり、活性化につながっているように思います。
サッカー界でもクラブ数の増加に伴い競技の裾野が広がり、スポーツ界における存在感を示すこともできたと思いますし、さまざまなものが徐々に整備されつつあるように感じています。
しかし私自身が現状の課題を感じているのは、魅力的なクラブを作り上げていく人材と資金面に関する部分です。
今の日本サッカー界を見渡すと、残念ながら全てのクラブに優れた経営やマーケティング、魅力的なグッズ制作を得意とする人材が揃っているわけではありません。
もちろん素晴らしい感性や実力を持った皆さんが日本のサッカー界を支えてくださっていますが、その人材が各地に分散してしまっていて、時に他の競技との取り合いになってしまっている状況も見られる。
おそらく、一般の企業やスポーツ業界全体を見渡しても足りていない状況があるでしょうし、素晴らしい人材を育んでいくのは時間を要しますから、長期的な視野で解決を目指していく必要があると思うのですが…。まだまだ改善の余地はあると感じています。
――アスリートや他業界の人材が入りにくい状況もあるのでしょうか?
以前は、他業界の人材が入りにくいような雰囲気も多少見られたかもしれませんが、最近はさまざまなバックグラウンドを持つ人材を積極的に受け入れ、多くの皆さんがスポーツ業界の発展に尽力してくださっているように感じます。
そして選手の皆さんも、選手として活躍している時から、その先のセカンドキャリアのことを視野に入れている方が年々増えている印象を抱いています。
――何か変化を及ぼすきっかけはあったのでしょうか?
Jリーグが行なっているキャリア教育の影響もあると思いますし、毎年60クラブでデビューを飾るルーキーの姿を重ね合わせて、「自分の選手生命はあまり長くないだろう」という気持ちで、プロの世界に飛び込んでくる選手が多くなった印象を受けています。
――元選手の中には、スタッフとしてスポーツ業界で働く方もいらっしゃると思いますが、人材の育て方や接し方に違いはあるのでしょうか?
個人的には、選手経験のあるスタッフも、ビジネス経験の浅い若手社員でも、マネジメントや育て方の本質が変わることはないと思っています。
僕もクラブで働いていた時に、専門学校を卒業したての新人女性社員にMD(グッズ)責任者をお願いしたことがあるのですが、少し教えただけでメキメキと頭角を現していきまして…。当時19歳だった彼女の開発したグッズが、クラブ史上最高の売り上げを記録したことがありました。
僕は、もし的確にビジネスの方法やノウハウを教えることができたら、彼女のような活躍ができる可能性を秘めている業界だと思っていますが、その方法を伝えたり、こまめに指導できるような環境が整っているかといったら、正直にいってまだまだ課題はある。
元選手であろうが、未経験であろうが、経験を積んでもらいながらクラブも数字を伸ばしていく。そのような土壌をもっと整えていくことが今後のスポーツ業界に求められるのではないかと感じています。
「目の前で人が熱狂して喜ぶ仕事はなかなかない」
――現在の石井さんは人材業界でお仕事をされているそうですが、どのような点がスポーツビジネスの魅力だったと思いますか?
目の前で人が熱狂して喜ぶ仕事はなかなかありませんから、それはスポーツビジネスの魅力であり、醍醐味だと思います。
僕が社長を務めたザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬 )も、一時は1引き分けを挟んで10連敗を経験しましたし、降格の危機を感じながらの日々を過ごしていましたから。
最終戦は「勝てば残留。負ければ降格の可能性がある」という中で迎えましたが、その時は見事に大勝して、残留を決めることができて…。サポーターのみなさんも、スポンサーさんも、スタッフも、みな抱き合って喜び合う光景は今でも忘れられませんし、そういった熱狂を生み出せることは、スポーツビジネスの醍醐味だと思っています。
――少しお伺いしにくいことですが…。連敗している時にはどのような日々を過ごされていましたか?
アウェイ戦に敗れた後のホテルで、強化本部長と監督の三人で深夜遅くまで話し合ったこともありました。
試合後のスタジアムでサポーターに囲まれて、「社長はどうするつもりなんだ?」と4時間ぐらい問い詰められたり、ゴール裏に「石井社長のビジョンが見えない」という横断幕を出されたりもしました。
大変なことを数えるとキリがありませんが、それらの困難も別の業界では決して経験ができないようなものだと思いますし、今となっては良い思い出ですね。
――その中で特に落ち込んだことがあれば、その時のエピソードを聞かせてください。
主力選手の故障や欠場など、当初は想定していなかったような局面に出くわすことも多くありました。
印象に残っているのは、シーズン中に必死な思いで補強したストライカーとしての活躍を期待していた選手が、出場1試合目で怪我をしてしまったことがあって……。
その時はとてつもなく落ち込みましたよ(苦笑)。 でも、スポーツの現場にいるとさまざまな困難に直面するので、「自分の実力を試してみたい」と言う人には向いているんじゃないかなと思います。
前述のような苦しい場面もたくさんありますし、成功を掴むためには頭も身体もフル回転させる必要もある。でも険しい山だからこそ登りがいもありますし、僕個人としては、人生でそのような苦しい状況に身を置いてみるのも良い経験ではないかなと思います。
(後編へ続く)
石井宏司氏プロフィール
1997年にリクルート入社、デジタル関連やエンタメ関連の新規事業、人材関連のビジネスプロデュースに関わる。その後野村総合研究所にて経営コンサルティング、事業再生、次世代経営者育成コンサルに従事。その後スポーツ業界に転身し、プロクラブのM&Aやアリーナ建設プロジェクトに関わる。Bリーグ千葉ジェッツふなばし、FC東京、ザスパ群馬の経営に関わった。