運動後に感じる筋肉の疲れ。その原因として長らく「悪者」扱いされてきた乳酸ですが、実はそれが脳にとって重要な栄養源になっているという新たな発見が話題を呼んでいます。
大阪体育大学(Osaka University of Health and Sport Sciences)の瀧本真己氏らが行った最新の研究によれば、特別なトレーニングやハードな運動をしなくても、日常生活の中で取り入れやすい「ゆっくりとした坂道ウォーキング」が脳の健康に大きく貢献する可能性が示されました。
これまで乳酸は単なる「疲労物質」と考えられてきましたが、近年の研究ではむしろ脳のエネルギー源として使われたり、神経細胞間の情報伝達を助けたりする役割が徐々に明らかになってきています。
今回の研究では、特に記憶や学習に重要なBDNF(脳由来神経栄養因子、Brain-Derived Neurotrophic Factor)という物質の発現を、乳酸がどのように促進するのかに焦点が当てられています。
この研究の詳細は、2025年2月に『Neuroscience Research』誌に掲載されています。
目次
- 疲労物質だと思っていた乳酸が、実は脳の栄養源だった?
- 毎日のちょっとした工夫が脳を若返らせる鍵になる
疲労物質だと思っていた乳酸が、実は脳の栄養源だった?
これまで多くの研究で、乳酸が筋肉で生成され、脳へも運ばれてエネルギー源になることは示唆されていました。
しかし、「どのような運動が脳に特に良い影響を与えるのか」については、詳しい検証が不足していました。
そこで今回の研究チームは、日常でも取り入れやすい「ゆっくりと坂道を歩く」という運動が、どの程度脳に影響を与えるのかについて検証を行ったのです。
研究では、ラットを使った実験が行われました。
ラットたちは平坦な道を歩むグループと、急な坂道(傾斜40%)をゆっくり(時速13m/min)歩くグループに分けられ、さらに運動時間による違いを調べるため、30分間と90分間という2つの時間設定で実験が行われました。
その結果は驚くべきものでした。
90分間の坂道ウォーキングを行ったグループでは、平坦な道を歩いたグループに比べて血液中の乳酸が有意に増加し、この乳酸の増加に伴って、脳内でも乳酸濃度が上昇することが確認されたのです。
さらに重要な発見として、脳の海馬や大脳皮質では、乳酸の上昇と共にBDNFの発現量が増加していました。
BDNFは「脳の栄養剤」とも呼ばれ、記憶力や学習能力の向上、さらには神経細胞の保護や新生に関わる重要な物質です。
また研究チームは、直接血中に乳酸を注入する実験も実施しています。
その結果でも、血中の乳酸濃度の上昇がそのまま脳内乳酸の増加に繋がることが確認され、今回の結果をさらに裏付ける形となりました。
毎日のちょっとした工夫が脳を若返らせる鍵になる
激しい運動をせずとも、ゆっくり坂道を歩くだけで脳の健康に大きなプラス効果があるというのは、興味深い発見です。
この研究成果を私たちの日常生活に取り入れれば、ちょっとした工夫で脳の働きを今より良くできるかもしれません。
例えば、学校や職場へ向かう毎日の通勤・通学路で、あえて坂道のあるルートを選んで歩くだけでも、脳の学習能力が向上する可能性があります。
体が「ちょっと頑張ったよ」というサインを出せば、脳が「さあ、記憶や学習の準備ができた!」と反応してくれるかもしれないのです。
上り坂の先にある学校に通学している人は、知らない内に脳の働きを良くして勉強しているのかもしれません。
また短時間の運動でも、習慣として毎日続けることで、乳酸が脳内でBDNFの生成を促進し、結果として記憶力や集中力の向上に繋がる可能性があります。
激しいスポーツや運動が苦手な方や高齢の人は、散歩のコースに坂道を取り入れるだけで脳トレーニングになるかもしれません。
今回の研究は、日常生活に密着した形で脳の活性化を図る新しいアプローチを提示しており、今後の健康づくりや認知機能の維持・向上に大きな貢献をする可能性を秘めています。
次にお散歩や通勤・通学をする機会があれば、少しでも坂道のあるルートを選んでみてください。
そんなちょっとした工夫が、あなたの脳に「秘密の活力」を届け、日々の生活をより充実したものにしてくれるかもしれません。
元論文
Low-speed uphill exercise increases lactate and brain-derived neurotrophic factor in brain regions for memory and learning
https://doi.org/10.1016/j.neures.2025.02.004
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部