3月22日(土)夜8時から、BSフジサタデープレミアムとして「東京去る人、来る人」を放送。東京生まれ東京育ちの古舘伊知郎と、上京してきた千原ジュニアをMCに迎える。同番組は“人生の転機”という観点から東京から去る人と東京に来る人の事情に迫るもの。以前、レギュラー番組で共演しており、旧知の仲である2人に番組の感想や東京への思い、若手時代の悔しかったエピソードなどを聞いた。
久々に呑んでいる気持ちになりました
ーー本日の収録の感想を教えてください。
ーー本日の収録の感想を教えてください。
古舘:久々にジュニアに会えたんで、楽しかったんです。少し前までは、しょっちゅう呑みに行っていたのですが、ちょっとご無沙汰してたので。あの頃に戻って、お酒を呑んでるような気分でやらせてもらいました。
千原:古舘さんとは、レギュラー番組をやらせていただいてましたからね。僕もすごく楽しかったです。あとはVTRの見応えが非常にあって、よかったですね。三者三様で。
古舘:ジュニアの場合、同じ年代で小さなお子さんがいる、境遇が似ている方も出ていたからね。真に迫るような内容だったんじゃない?
千原:そうですね。
古舘:僕なんかは、そこをちょっと超えた年になっちゃったので、俯瞰に見ていたけどさ。
それぞれの着眼点に感服
ーー収録を通して気づいた、お互いのすごいところがあれば教えてください。
ーー収録を通して気づいた、お互いのすごいところがあれば教えてください。
古舘:ジュニアはね、本当に目線の置き方がすごいというか、それを超えて腹立つんですよ。今日はね、とあるご家族の密着を見ているときに、本棚に着目していて「この家庭の象徴があの本棚である」ってことを言い出すんです。別のVTRのところでは東京の小学校から下駄箱が消失しているということを話題にして。そういうポイントからワーッと奥を見るみたいな。アングルがすごいなって。非常に勉強になりました。
千原:いやいや、たまたまですけどね。
古舘:もうクセになってるというか、もともとそういうものの見方だから自分的には別に注目していないんだろうね。すごいことだよ。
千原:古舘さんは、脳内で写真を撮れる人やなって思っています。すごい前にあった時の服装を「ジュニアがグレーのジャケットで緑のネクタイをしている時に…」とかってさらっと言う。さすが実況アナだなと思います。
古舘:たしかに実況は頭の中に映像記憶を残すから、それがクセになっているのかも。前に「何カ月か前、名古屋であったときに、髪の毛がこうで、インナーは深紅で靴のソールが白で、そこにブルーのラインが入っていたじゃない?あれ、綺麗だったよね」って言ったときに「何言ってんすか!一切覚えてないわ、そんなん」って言われたことがあって。僕も僕で異常なんだなって思った。
千原ジュニア「気づいたら東京で暮らしていた」
ーー東京がテーマの本番組。おふたりにとって、東京とはどんな場所でしょう?
ーー東京がテーマの本番組。おふたりにとって、東京とはどんな場所でしょう?
ジュニア:VTRでおっしゃっていた方もいましたが、昔は東京=仕事場だと思っていました。でも、結婚して子どもができてからは、仕事場という感覚じゃなくなって。せいじ(兄)のところも東京やし、みんなで食事するのも東京だから、気づいたら住む街、東京になってしまいましたね。気づけば、10年前くらいから大阪の天気予報、見なくなりましたもん。前までは先に見てましたけど。
古舘:僕は、東京生まれ東京育ちではあるものの、もう古い家族が全員亡くなっているので、物質的な実家はもうないんですね。それに東京っていうのは、地方から出てきた人が集結して作り上げてる一大テーマパークだと思っていて。だから「もう俺は東京にいながらにして、ふるさとはない」って勝手に思い込んでいた時もあったんです。でも、70歳になって、ようやく気づいたのは、やっぱり幼かった頃にずっと幼稚園や小学校が一緒だった地元の人たちと同窓会をやっただけで「ふるさとあるじゃない」と思えるなって。人と人とのつながりをふるさとって言うんだなと、この番組を通じてもまた改めて思いました。
古舘「いじわるされたことを全部エネルギーに変換した」
ーー番組には夢を見て上京する方、夢を手放して東京を去る方が登場されました。おふたりは若い頃に苦労した経験や、悔しい思いをした経験はありますか?
ーー番組には夢を見て上京する方、夢を手放して東京を去る方が登場されました。おふたりは若い頃に苦労した経験や、悔しい思いをした経験はありますか?
千原:僕は15で京都から大阪にせいじと2人で移り住みました。そのとき、4畳半のワンルームマンションに2人で住んでいたんですけど、金銭的に1番厳しかったですね。インスタントラーメン1つをせいじと半分こして食べたり。アパートの隣の神社の賽銭箱を2人ともじっと見つめて「絶対あかんからな!」って言ったくらい。今でも鮮明に覚えています。
古舘:僕は若い頃、自信がなかったし、アナウンサーになれると思ってなかったし、なったらなったでプロレスの実況から始まって、それだけで邪道扱いだったし…。金銭的な苦しさはなくても、そういう時にいじわるされたことを全部エネルギーに変換していたなと思います。そういう意味では、いろんなつらい思いをさせてもらったことが、今につながっているというか。時代が昭和だったこともあるけど“なにくそ”って気持ちのおかげで、やってやるぞって前を向けたのかなと思っています。