私は家族に休職していることをずっと隠していた。言えなかった。働いているフリをした。心配をかけたくなかったし、強がりでいたかったから。助けてって言いたいのをこらえた。
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仕事が止まるということは収入源がなくなるということ。いつかは家族に生活費の相談をしないといけない日が来るとはわかっていた。だから何度も一人で告白の練習をしてみた。
でも決まって涙が出た。
一人で練習して一人で想像して一人で泣いて。結論「家族には内緒にしとこう」となった。きっと「家族への告白=自分で負け(休職)を認める」ことになって悲しくなっちゃうんだと思う。休職してしまった弱さを自分で認めるようで、社会からはじき出された負けを認めるようで無理だった。
そして、過干渉な母から「もう帰ってきな」と田舎の実家に呼び戻されてしまうのも嫌だった。夢だった一人暮らし。休職に追い込まれて辛い状況になってるけど、メンタル壊してるけど、そんな状況でもどこか守りたかった。自由は手放したくなかった。
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私にはゆるぎない回答が必要だった。母に「帰ってきな」と言われても「私は〇〇したいの」と返答して「休んで何しているの」と言われても「心配しないで。〇〇してるの」と答えたかった。
休職したのが五月。告白するかしないか。決断するタイムリミットは八月のお盆の帰省まで。そんな気がした。帰省まで、両親とはLINEで日常的なやり取りをしていた。両親は私がずっと元気に働いていると思っている。隠しているような罪悪感。本当はメンタルクリニックに通いながら抜け殻みたいな生活をしているのに。
「どうしよう」と悩む日が続いていたが、カウンセラーさんを頼ったり、休職中の人と繋がれるコミュニティーと出会ったおかげで、本当にやりたいことや、興味のあることに出会えた。運良く夏までに、タイムリミットまでに自分の中でやっと整理がついた。
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今休職していること、それでもいいこと、休んでやりたいことがあること。自分で自分の置かれている状況をやっと受け入れられた。その結果、恐怖だった休職の告白は帰省の時にすんなり言うことが出来た。家族に受け入れてもらうのと自分で受け入れるのとなんだか似ている。
「今休職して自分のやりたいことを見つめてるの」
この報告をきちんとできて達成感があった。母からなんて言われるだろう……。と思ってたけど
母「あんたさ〇〇さん覚えてる?あの建物がさ……」
母「あとこれがね、●●ちゃんのところから……」
そうだった。母は機関銃みたいに話す人だった。私の話をしても過度に落ち込んだりすることもなく、私の話!聞いて聞いて!の人だったと思い出した。
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私の「両親を不安にさせたらどうしよう……」は勝手に思っているだけで、私の告白に話題性も威力もあんまりなかった。
でも帰省の最終日。「これ、家賃とかの足しにしなさい」そういってお金を握らせてくれた。
私は仕事に悩んで、一人で悩みを抱えすぎて、休職になった。人に相談できないこの性格は母譲り。母は感情をあまり表に出さない。弱音を吐かない。寂しさも不安も全部娘の前では見せない。多分これを見てきたから相談する方法を今の今まで分からずに来てしまった。
私が帰省初日、休職を告白したときもきっと心配をしてくれてたんだと思う。
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すぐに答えが出なくてもいい。自分の中で気持ちの整理をする時間を持つ。そんなことの大切さを感じた出来事だった。
時間がかかって出した答え。それをふわっと受け止めてくれる人は案外周りにいること。そんなことの再認識もできた夏だった。
■みなちゃんのプロフィール
管理栄養士 │ 口から産まれた米屋のむすめ │ 食べ物が最後は胃に収まる世界を夢見る │ ラジオ「#聴くキッチン」放送中│ instagram:@mina_jp_37