正月明け、私は一人で台湾に旅行へ行った。帰国後、自宅へ向かうタクシーの中で父から電話が来た。時刻は深夜二時。いつもだったらすでに寝ているのにこんな遅い時間にどうしたんだろう。
「落ち着いて聞いてな、さっきおばあちゃんが死んだ」あまりにも唐突だった。
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脳梗塞で十月から入院していたおばあちゃんがニ時間ほど前に急逝した。その時間私はちょうど飛行機に乗っており、連絡が取れなかったのだ。正月にお見舞いに行った際には、病院からはこれ以上悪くなることはない、回復に向かっていますよ、と言われた矢先のことだった。
それに同じ日の夕方、姉の子供がちょうど産まれたのだ。楽しかった台湾一人旅、めでたい姉の出産、そしておばあちゃんの死。気持ちが追いつかなかった。
そのあと私はなんとか自宅へ戻り、何も手につかずただベットで横になっていた。そして気付いたら次の日の昼過ぎだった。猛烈な空腹感に襲われ目が覚めたのだ。
こんな時でもお腹が空く自分の体に苛立った。明日からは仕事が始まってしまう。こんなことがあっても時間は進み、変わらず社会は動き続けることがただ悔しかった。
そして自分の空腹感にも嫌気がさした。何も考えられず、ただ時間は過ぎて行き、私はふいにおばあちゃんが作ってくれた魚の唐揚げを思い出した。
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おばあちゃんの得意料理であり私の大好物の石持の唐揚げ。イシモチとは小さいカレイのような魚だ。この魚は市内のスーパーなどには出回っていなく、港近くのお魚屋さんまで行かないと買えない魚で、私が地元に帰省するたびにおばあちゃんはおじいちゃんと一緒にお魚屋さんへ行き、イシモチの唐揚げを作って待っていてくれたのだ。
高校生の頃、私は母と喧嘩して家出した。そして連絡もなく突然おばあちゃんちを訪ねた時も急いで買いに行き、その夜ご飯に作って出してくれたのだ。高校に受かった報告をしに行った時も、東京に引っ越す挨拶に行く時もどんな時も作ってくれた。
イシモチはおばあちゃんとの思い出の味。母曰く、ただ唐揚げにすればいいだけではなく、形が崩れないように、そしてしっかり火が通るように綺麗に上げるのは至難の業だといっていた。
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十月におばあちゃんが倒れてからは毎月病院へお見舞いに行っていたが、おばあちゃんは「またイシモチ用意しておくからね」と少し小さくなった体と白く細くなった手で私の手を握り何度も言ってくれていた。
おばあちゃんが退院したらまた作ってね、その時は私がお魚屋さんに買いに行ってくるからねと約束していた。なのにどうしておばあちゃん。なんでこんなに早く逝ってしまったの。またイシモチ作ってくれるって言ったのに。
それから葬儀までの数日間を私はどうやって過ごしていたのかあまり覚えていない。福島へ帰り、最後にお化粧してもらった綺麗なおばあちゃんを見て、本当に逝ってしまったんだとやっと実感することができた。
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まだおばあちゃんの死を引きずっている。受け入れたくない。どれだけ悲しくても死んだ人は帰ってこないことはわかっている。残された人はどんなに辛くても生きていくしかない。
無情だなと思う。だが、今の私を見たら天国のおばあちゃんはきっと心配するだろう。
だからなんとか自分の生活リズムを取り戻して、ご飯を食べて今日も会社に行く。
私はまだこっちの世界でなんとかやっていくよ、だから心配しないで。いつか、まだまだ先だと思うけれど私がそっちに行った時にはとっておきのイシモチの唐揚げを食べさせてね。それをご褒美にまだこの世で頑張るからね。
■兎川えりかのプロフィール
本と映画に取り憑かれています。幼少期からのらりくらりと過ごし、特にこれといった挫折を味わっていない為、そろそろ味わいそうでビクビクする日々を過ごしています。唯一の弱点はお腹が弱いことなので今年は腸活を頑張ろうと思います。