民主主義とは、多数派の意見を尊重する一方で、少数派の権利も守り、権力をコントロールすることで成り立つ制度です。
ところが近年、世界各地で「民主主義の後退」が深刻な問題として取り沙汰されるようになりました。
軍事クーデターや露骨な権力奪取ではなく、選挙で選ばれたはずのリーダーが司法やメディアの独立を少しずつ損なうことで、気づかないうちに民主主義の柱が揺らいでしまう――この現象は、政治学では「民主主義の後退」と呼ばれています。
スイスのフリブール大学(UNIFR)で行われた研究によって「有権者が抱く民主主義観の違い」がどうして権威主義的なリーダーの台頭を許してしまうのかを解明しようとしています。
多くの人は「民主主義を支持する」と答えますが、その内容は実はさまざまです。
実際、多くの人が民主主義を支持すると答えていても、その内訳を細かく見れば「リベラル民主主義」の理念を重視する人もいれば、「多数決による正統性」を絶対視する人、さらには「秩序や強いリーダー」にこそ民主主義の要件を感じる人もいるのです。
こうした認識のばらつきが、結果的に選挙の場でどのような意思決定をもたらすのか。
ポーランドを事例とした本研究は、まさにそのメカニズムに焦点を当てています。
いったい、私たちはどこまで“民主主義の後退”を見過ごしてしまうのでしょうか?
研究内容の詳細は『British Journal of Political Science』にて発表されました。
目次
- 権威主義が静かに迫る――世界で起きる“民主主義の後退”
- 天才的で強力なリーダーは劇薬にもなる
- 民主主義を守るために必要なこと
権威主義が静かに迫る――世界で起きる“民主主義の後退”
近年、世界各地で「民主主義が少しずつ侵食されていく」現象が深刻な議論を呼んでいます。
たとえば、軍事クーデターのような明白な武力行使ではなく、選挙で選ばれた指導者がメディアや司法などの抑制装置を段階的に弱体化させることで、気づかぬうちに民主主義の根幹が揺らいでしまう――こうした事態は、政治学の分野で「民主主義の後退」と呼ばれ、多くの研究がその実態やメカニズムを指摘してきました。
しかし、不思議なのは「民主主義を支持する」と答える人が多数派であるにもかかわらず、なぜ有権者自身がこうしたリーダーに投票し続けてしまうのかという点です。
これまでは「政党への忠誠心」や「社会の二極化」によって投票行動が左右されると考えられてきましたが、最近の研究によれば、この説明だけではすべてをカバーできないことがわかってきました。
なかには、候補者が明らかに民主主義の原則を侵害しているように見えても、その行為を“支持政党ならば許容できる”とみなす有権者も少なくありません。
さらに興味深いのは、そもそも「民主主義」という言葉に対する理解が人々の間でばらついている可能性です。
多数決を至上の原則と考える人もいれば、社会秩序や強力なリーダーの存在こそが民主主義を機能させる鍵だと思う人もいます。
歴史をひもといてみると、1930年代のドイツでヒトラーが政権を獲得した過程も、当時の人々が極度の経済不安や政治的混乱から「頼れる強い指導者」を求めた結果でした。
議会制民主主義にかげりが見えはじめた状況下では、「リーダーが強力な権限を持つことがむしろ国を救う」と考える層が一定数存在し、その心理的土壌が後の独裁体制を許容してしまったのです。
こうした例は極端なケースかもしれませんが、民主主義を守るために不可欠とされるメディアの独立や司法の中立を、「多数が選んだ政府の正当な権限」と見なしてしまえば、徐々に権力集中が進んでも重大な問題とは認識されにくくなります。
実際、「独裁的なやり方」に思えても選挙で選ばれている以上“これも民主主義のあり方の一つ”と捉える人々がいれば、それがリーダーの権限強化に拍車をかける一因になるというわけです。
そこで今回の研究チームは、「有権者が抱く民主主義観の違い」が具体的にどの程度、投票行動やリーダー選好に影響を与えるのかを解明するため、大規模なアンケート調査と「候補者選択実験」を組み合わせた方法に踏み切りました。
ポーランドでの事例を通じて、司法やメディアへの姿勢を異にする候補者に対して人々がどのような反応を示すのかを丹念に分析し、「民主主義を守る力」と「強いリーダーを許容する力」のせめぎ合いを浮き彫りにしようとしています。
天才的で強力なリーダーは劇薬にもなる
研究チームが行った候補者選択実験は、複数回にわたり架空の候補者AとBを提示し、「司法の独立をどこまで尊重するか」「公共メディアをどのように運用するか」といった民主主義の鍵となる要素を組み合わせて見せました。
あからさまな独裁ではなく、「判事は政府が任命すべき」「公共放送は与党の方針を批判すべきでない」など“ややグレーな強権的”なパターンも取り入れ、「どれくらいなら容認されるか」を探ったのです。
さらに、その候補者が有権者の支持政党にどの程度近いかも併せて提示し、“党への忠誠”と“民主主義へのこだわり”のどちらが投票行動を左右するのか、より現実的な形で検証できるようにしました。
結果、リベラルな民主主義観が強い(少数派保護や権力分立を重視する)層は、候補者がほんの少しでも強権的な発言をすると「受け入れられない」と回答する割合が顕著に高いことがわかりました。
一方、「多数決が正義」「強いリーダーこそ必要」という考えを持つ層は、同じような強権的姿勢に対してあまり抵抗を示しません。
さらに興味深いのは、自分の支持政党の候補者が権威的な政策を打ち出した場合でも、リベラルな価値を強く持つ人たちは、「それならもう支持しない」と他の候補に乗り換える可能性が高かったことです。
つまり、「民主主義の侵害をどこまで許せるか」は“党派対立”だけでなく、その人が抱く“民主主義の中身”次第で大きく変わるのです。
今回の研究が革新的なのは、単に「民主主義が大事ですか?」と問うのではなく、「具体的にどんな権威主義的手段をどこまで容認するのか」を詳細に測定した点にあります。
多くの人が「民主主義を守りたい」という思いを持っていますが、“どこからが問題か”という一線が人によって大きく違うことを、データとして可視化したのです。
この一線の違いが積み重なると、社会全体として気づかないうちに権力集中を許容する“土壌”ができあがる可能性があります。
世界各国でポピュリストリーダーや極端な政治の動きが増えるなか、この研究は“民主主義を支える意識の共有”こそが、徐々に権力が集中する事態を食い止めるカギだと強く示唆しています。
民主主義を守るために必要なこと
こうした結果から見えてくるのは、選挙で選ばれたリーダーが少しずつ権力を集中させていくような場合でも、「それは民主主義に反する」とすぐに察知して行動できる人たちがいる一方で、「多数決で選ばれたなら、ある程度強権的でも問題ない」と感じる人も確かに存在しているという現実です。
多くの人が「民主主義は大切」と答えていても、具体的に“どのレベルまでのリーダーの強硬策を容認するか”となると、びっくりするほど多様な意見が出てくるわけです。
こうした意識のズレが蓄積されると、社会全体ではリベラルなチェック機能――たとえば司法やメディアの独立――の弱体化が徐々に進んでも、大半の有権者が「これも民主主義の一形態だろう」と受け止めてしまう恐れがあります。
言い換えれば、「民主主義はいいものだ」と思っていても、自分のなかで“許せるライン”が低いと、結果的に強権的なリーダーが長期政権を築く土壌を作ってしまうのです。
これは、歴史をふり返るとヒトラー政権などの例にも重なって見える部分でしょう。
一方で、今回の研究は“決して絶望的な結末ばかりではない”とも示唆します。
リベラルな民主主義観を持つ人は、自らが支持する政党の候補者であっても権威主義的な行動にはノーを突きつける傾向がありました。
つまり、多数決で当選した権力者が少しずつ民主主義を侵害しようとするとき、それを阻止できるかどうかは「どれだけ多くの有権者がリベラルな価値を共有できているか」にかかっているともいえます
。逆にいえば、教育や公共的な議論を通じて、少数派保護や三権分立の大切さを認識する人が増えれば、選挙による民主主義の“自己崩壊”を防ぐ力が強まる可能性も十分あるわけです。
今後の課題としては、こうした「民主主義の中身」の違いがどのように形成され、変化していくのかをより深く調べる必要があります。
若い世代の教育環境やメディアの情報発信、さらに国や地域によって違う歴史的・文化的背景なども大きく影響すると考えられるからです。
また、今回の研究で浮き彫りになったように、党派対立だけでは説明できない要因が投票行動や政治の動向に影響するのだとすれば、単に「二極化を解消すれば民主主義が安定する」という単純な話でもないでしょう。
とはいえ、この研究が明らかにした「民主主義観のばらつき」が、いかに社会の将来を左右し得るかを理解することは、今の世界情勢において非常に重要です。
国民ひとりひとりのなかにある“民主主義を守るための基準”がばらばらならば、権威的なリーダーが少しずつ制度を変えていくことを止めにくくなってしまいます。
一方で、“守るべき一線”についての理解を共有できれば、仮に強引なリーダーが登場しても有権者は「さすがにこれは行きすぎだ」と声を上げ、投票行動でも明確にNOを示す可能性が高まります。
要するに、同じ言葉で「民主主義」と言っていても、その中身が違えば選挙結果や政治の行方にも大きな影響が生じてしまうということです。
この点を意識するだけでも、民主主義が“いつの間にか”崩れかけている場面で早めに気づけるかもしれません。
今回の研究は、民主主義をどう守るかを考えるうえで、「民主主義って何だろう?」とあらためて問い直す大切さを教えてくれるといえるでしょう。
元論文
The Demand Side of Democratic Backsliding: How Divergent Understandings of Democracy Shape Political Choice
https://doi.org/10.1017/S0007123424000711
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部