筆者のファイナンシャルプランナー・浜田裕也さんは、社会保険労務士の資格を持ち、病気や障害で就労が困難なひきこもりの人などを対象に、障害年金の請求を支援する活動も行っています。
浜田さんによると、ひきこもりが長期化している人の中には、不規則な生活が原因でうつ病のような精神疾患を発症してしまうケースがあるということです。中には、精神疾患の疑いがあっても、本人や親がその事実をなかなか認めず、精神科や心療内科をまったく受診してこなかったケースも見受けられるといいます。
このようなとき、ひきこもりの人の兄弟姉妹の説得により、家族がようやく重い腰を上げるケースもあるとのことです。今回は、抑うつ症状に苦しむひきこもりの兄を救った妹の事例について、浜田さんが解説します。
40歳ごろから抑うつ症状が出始めた兄
「50歳を過ぎたひきこもりの兄の障害年金の請求を検討しています」
そのような内容で相談に訪れた妹(48)から、私は事情を伺いました。
妹によると、兄の大森明さん(51、仮名)は10代後半からひきこもり始め、現在も実家で80代の両親と一緒に住んでいるということです。明さんの妹は結婚をして家庭を持っており、明さん家族とは別居しています。
長年続いたひきこもり生活のためか、明さんは40歳ごろから抑うつ症状が出始め、50歳を過ぎた現在では、妹も心配してしまうくらい症状が悪化しているそうです。
そこまで話を聞いた私は、妹に質問をしました。
「お兄さまは、今まで精神科や心療内科を受診したことはないのでしょうか」
「はい、一度もありません」
明さんの過去に何があったのか。私はさらに妹から事情を伺いました。
明さんは小学生の頃、宿題で出された作文や計算ドリルを1人でやり遂げることができなかったそうです。そこで母がつきっきりで横から指示を出し、それを明さんが嫌々書いていました。学校の授業は静かに聞いていたようですが、その内容がまったく頭に入りません。テストで点数が取れないので、通知表には1や2ばかりが並んでいたといいます。
級友からからかわれてしまうことが多く、明さんが友達と呼んでいた子にジュースやお菓子をおごらされていたことが後に分かったそうです。
それでも何とか中学校を卒業した明さんは、高校受験で全日制の高校に合格することができなかったので、通信制の高校に進学。しかし、母親が勉強を手伝うことが難しくなったため、明さんは授業についていけなくなり、数カ月で退学してしまいました。その後はアルバイトをすることもなく、ひきこもりのような生活に陥っていったそうです。
そこまで話した妹から、意外な言葉が発せられました。
「兄には軽度の知的障害があるのではないかと思っています。それが原因で社会にうまく適応できず、ひきこもってしまったのではないかと考えています」
「そうなのですね。お兄さまは今まで知的障害の判定検査を受けることはなかったのでしょうか」
「それはありません。両親が快く思っていなかったからです。学校から指摘を受けることもありましたが、父は『こいつは病気なんかじゃない。病院に連れていく必要はない』と言って譲りませんでしたし、母は兄を世間の目にさらしたくないと思っていた節があります」
妹は続けてこのように話しました。
「そのようなことで何も進展がないまま両親は80代になり、兄は50歳を超えてしまいました。ここまできたら、もう私が主導していくしかありません。こんな私たちに何か良いアドバイスはありますか」
妹はすがるような目でそう言いました。
妹の熱意が家族を動かす
障害年金は、原則その障害で初めて病院を受診した日、いわゆる初診日から1年6カ月を経過した日以降に請求することになっています。しかし、これはあくまでも原則であって例外もあります。
そこで、私は妹に次のような説明をしました。
「もしお兄さまが知的障害を証明する療育手帳が取得できれば、うつ病の初診日は出生日(誕生日)となります。すると明さんは障害基礎年金を請求することになります。初診日が出生日となるので、これから精神科や心療内科を初めて受診しても1年6カ月を経過するまで待つ必要はありません」
私は説明を続けました。
「診断書を入手し、その他の必要書類がそろえば、すぐにでも障害基礎年金の請求ができます。とはいえ、1回目の受診でいきなり診断書を書いてもらうことは難しいので、何度か受診をした後に医師に事情を説明し、診断書の作成を依頼することになるでしょう」
すると、妹は驚きを隠せない様子で言いました。
「本当にそのようなことが可能なのですか。軽度の知的障害とうつ病は別の病気なのではないでしょうか。うつ病でこれから初めて精神科を受診したら、そこが初診日になるのではないのでしょうか」
「確かにそう思われてしまうのも仕方がありません。ですが、知的障害が原因でうつ病を発症したという考え方が一般的であることから、これら2つは『同一疾病』とみなされています。ざっくり言うと、知的障害という道とうつ病という道が別々にあるわけではなく『1本の道でつながっている』といったイメージです。なお、お兄さまは知的障害では障害基礎年金の受給の可能性が低いかもしれないので、うつ病で請求することになるでしょう」
「私の理解が追い付いていないので混乱していますが、とにかく『兄は療育手帳を取得できた方が望ましい』ということだけは分かりました。私たち家族は一体これからどうすればよいのでしょうか」
「そうですね。大体、次のような流れで行動を起こすことになります」
私は必要な手順を説明しました。
(1)妹が家族に事情を説明。療育手帳の取得に向けて動き出す。
(2)同時並行で明さんが精神科または心療内科を受診する。
(3)障害基礎年金の請求に必要な書類をそろえ、請求を完了させる。
なお、障害基礎年金の請求時期は次のように場合分けをします。
■療育手帳が取得できた場合診断書が入手でき次第、速やかに請求する。
■療育手帳が取得できなかった場合精神科または心療内科を初めて受診した日から1年6カ月を経過した日以降に請求する。
面談の最後に私は言いました。
「障害基礎年金の請求までやるべきことが多いので、その都度情報共有するようにしましょう。場合によっては、私がご家族と面談して事情を説明することも可能です。また、障害基礎年金に必要な書類をそろえていくお手伝いもできます。ご安心ください」
「そう言っていただけると本当に助かります。頼りにしています。ここまできたら、もうやるしかありませんから」
妹は覚悟を決めた表情で力強く言いました。
私との面談後、妹は明さんや両親と話し合いをしました。最初、家族の反応は「何もそこまでやらなくても…」といった消極的なものだったそうです。
しかし、それでも妹は諦めませんでした。何度も家族に事情を説明し、説得を繰り返したところ、やっと明さんは療育手帳の取得のための判定を受けることになりました。その結果、明さんは軽度の知的障害と判定され、療育手帳を取得しました。
また、明さんは同時並行で精神科も受診。私が手続きをサポートし、うつ病で障害基礎年金の2級を受給することができました。
家族とはいえ、人を動かすのは容易ではありません。ひきこもり当事者の兄弟姉妹が何とかしようと動き出しても、途中で断念してしまうケースを私は数多く見てきました。
諦めることなく結果を出した明さんの妹の熱意と行動力に、私は感心せざるを得ませんでした。
社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー 浜田裕也