第97回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計8部門でノミネートされ、脚色賞を受賞した『教皇選挙』が3月20日より、TOHO シネマズ シャンテほか全国の映画館で公開中です。
漢字のタイトルや物々しい雰囲気から、硬い印象や敷居の高さを感じるかもしれませんが、そうした心配はほぼ不要です。本作は後述する通り、「限定的な空間で繰り広げられるサスペンス」という「エンタメ性」が存分にある内容だったのですから。
さらに、「アート性」と「社会性」とも見事に融合しています。面白い上に、美しくもスリリングなシーンの数々に見惚れて没入でき、現代社会の問題も鋭く抉っているため、見終えた後には考えさせられるものがあるでしょう。
とはいえ、日本人にはあまりなじみのない題材でもあり、事前に知っておいた方がいい情報があるのも事実です。大きく5つに分けて紹介しましょう。
1:中間管理職な立場の主人公を、心から同情し応援したくなる
本作のあらすじは「ローマ教皇が急逝したため、新たな教皇の選挙のために奔走する」というもの。
その資質がある有能な人物を慎重に選ぶ必要があるのは言うまでもないですし、選挙の準備そのものも慌ただしく、さらには「スキャンダル」や「謀略」も明るみになり、見ているこちらもいい意味で胃がキリキリと痛くなりそうなプレッシャーとストレスでいっぱいになっていくのです。
主人公・ローレンスを演じるレイフ・ファインズの熱演も相まって、彼がとても生真面目で誠実な男であることも伝わるため、心から同情と応援をしたくなります。問題が山積みの中で、それでも目的のために必死になるしかない「中間管理職」的な立場は、日本人にとっても感情移入がしやすいでしょう。
世知辛い事情を感じさせつつ、後述するキャラクターそれぞれの「野心」や「疑惑」の数々、それらにより「パワーバランスが大きく変わっていく」様こそがエンタメになっています。「イイやつ」だと思っていた人物にも裏の顔が見えてきたり、あるいは単純な善悪の判断がつきにくかったりと、翻弄(ほんろう)される面白さを堪能できるはずです。
しかも、劇中の選挙における3日間は外部の介入が徹底的に遮断され、スマートフォンやタブレットは没収、ほぼ全編が室内の会話劇という設定であるため、「密室サスペンス」のような面白みがあります。後述する女性の境遇の問題も相まって、現在公開中のアニメ映画『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』にもかなり通じている内容ともいえます。
2:有力候補は4人! 誰が教皇にふさわしいのか?
このように主人公の境遇と中心にあるエンタメ性はシンプルで分かりやすいものの、周りのキャラクターそれぞれの立場はやや複雑なため、公式Xが示している人物相関図を軽く頭に入れておくといいでしょう。
中でも、新しい教皇の有力候補となるのは以下の4人です。
「・ベリーニ(スタンリー・トゥッチ)……アメリカ人。主人公ローレンスの親友で、教会内ではリベラル派
・アデイエミ(ルシアン・ムサマティ)……ナイジェリア人。もし選出されれば史上初のアフリカ系教皇となる
・テデスコ(セルジオ・カステリット)……イタリア人。リベラル派を嫌悪する強硬な伝統主義者
・トランブレ(ジョン・リスゴー)……カナダ人。穏健な保守派だが、疑念を抱かれている。理由は不確かだが、前教皇が死の直前にトランブレと会い、解任を宣告していたという情報がある」
「疑惑は本当なのか?」「謀略をしているのは誰なのか?」「新教皇にふさわしいのは誰なのか?」と、観客もローレンスと共に推理……というよりも、疑心暗鬼になっていく過程こそ面白く感じるはずです。
ちなみに、衣装デザイナーのリジー・クリストルによると、大半の登場人物が同じ祭服を着ているため、十字架、指輪、靴、外套といったディテールでキャラクターの違いを表現したそうです。例えば、テデスコは派手な振る舞いをする人物であるために豪華な装飾品を身に着けており、背景に溶け込んでしまいそうなほど謙虚なローレンスとは対照的になっているのだとか。そうしたところから、キャラクターの背景を考えてみるのも面白いかもしれません。
3:知っておいてほしい用語と選挙のルール
『教皇選挙』の原題および劇中で行われる選挙は、日本人でも聞いたことがある人が多いであろう「コンクラーベ」。750年以上も続く、ローマ教皇の死去または辞任後に執り行われる選挙のことで、ラテン語では「鍵と共に」の意味があるそうです。
それ以外にも、劇中に特に説明がなく字幕で表示される単語がいくつかあるので、プレス資料から一部引用、補足をする形で記しておきましょう。
「・カトリック教会……キリスト教最大にして最古の教派。カトリックの総本山バチカンはローマにある世界最小の独立国で、宗教機関と国家の両面を併せ持つ。世界のカトリック信徒数は13億人以上とされている
・使徒座空位(しとざくうい)……カトリック協会のトップである教皇が不在の状態
・枢機卿(すうききょう)……教皇に次ぐ高位聖職者で、教皇の最高顧問
・猊下(げいか)……高位の聖職者に対する敬称
・聖マルタの家……選挙期間中、枢機卿が宿舎として使用できるように建設された。食堂、会議室、聖堂を備えているが、各室にテレビはない」
さらに、劇中の選挙のルールも知っておくといいでしょう。
「・秘密投票の互選(関係者の中で役職に就く者を互いに選び出すこと)である。
・規定の有効得票数は投票総数の2/3以上。それを得る人物が出るまで繰り返される。
・会場は盗聴対策を万全に施したシスティーナ礼拝堂で、その煙突から白い煙が出れば選出決定、黒い煙なら未決を意味する。」
劇中の3日間において、そのルールにのっとった選挙がどのように進行していくかに注目すると、さらに面白く見られるでしょう。
4:「世界最古の家父長制」をセリフだけでなく画でも示している
本作では枢機卿の男性たちだけでなく、神と教会に献身的に仕えることを誓うシスターも登場します。カトリック教会は女性が聖職者になることを認めておらず、劇中でシスター・アグネスという人物が自らを「目に見えぬ存在」と語る場面もあります。
そのシスター・アグネスを演じたイザベラ・ロッセリーニは、エドワード・ベルガー監督がバチカンの雰囲気を、慎重に振り付けられた絵画的なショットで再現しており、そこには物語における男女の関係も象徴していると指摘しています。「あるシーンでは緋色の服装をした枢機卿たちが全員一緒に歩き、そこから離れて紺色の服を着た修道女たちが歩いている。両者が交わることは決してない」のだと。
つまりは、「世界最古の家父長制」ともいわれるカトリック教会の現実をセリフとして、さらには視覚的にも示しているというわけです。男性中心のコミュニティーの中での女性の境遇の問題は日本でもまったく他人事ではありませんし、劇中で明かされる「スキャンダル」への「言い訳」も含めて、つい最近大きく報道された問題にも通じていると思う人は多いはずです。
そもそも、この選挙でリベラル派と保守派が激しく対立し、分断が深刻化している状況は、現代社会の縮図です。さらに偏見や差別がまかり通る状況でも、「それでも」と正しい道を探そうとする主人公の行動と、どうにもならないシビアな現実を目の当たりにする様などは、『ウィキッド ふたりの魔女』にも通じていました。
5:ネタバレ厳禁の衝撃の展開も
最後に、本作において最も重要なことを告げておきましょう。この作品は二転三転するスリリングな展開こそがエンタメにもなっている作品であり、特に結末は「ネタバレ厳禁」かつ「ネタバレを踏んでしまいやすい」ため、なるべく早めに見てほしいということです。
なぜネタバレ厳禁かつ踏みやすいのかの理由を説明すると、それ自体がネタバレになってしまうのでもどかしいのですが、観客が受ける衝撃が、ローレンスの複雑な感情とも一致していること、今まさに世界で、特にアメリカで議論されていることだった、ということも告げておきましょう。
このネタバレ厳禁の衝撃も含めて、カトリック教会に限らない対立や分断の問題を描きつつ、美しい画にも「それだけでない」意図も込められたりしつつも、やはり「面白い」ということが『教皇選挙』の美点です。本作を見た後は、世界の、または身近にある社会問題に目を向けてみるのも良いでしょう。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
文:ヒナタカ