「男性はなぜ女性より腕が長いのか?」と聞くと、ただの体格差や生活習慣の違いと考えがちですが、実はそう単純ではないかもしれません。
オーストラリアのクイーンズランド大学で行われた研究によって男性の上肢の長さが“闘争における優位性”に関わっているらしいことが示唆されました。
殴り合いで強力な一撃を放つ、あるいは関節技で相手を逃さず捕らえる――そんな場面で「腕のリーチ」が重要になる可能性があるというのです。
しかも研究では、これは単なる筋肉や骨格の偶然ではなく、進化の過程で「オス同士の争い」が大きく影響している可能性も示唆されました。
私たちの腕はいったいどのように進化の戦いをくぐり抜けてきたのでしょうか?
研究内容の詳細は『American Journal of Human Biology』にて発表されました。
目次
- なぜ男性は長い腕を獲得したのか、その謎への挑戦
- 統計が語る“長い腕”の破壊力――KOとサブミッションの関連
なぜ男性は長い腕を獲得したのか、その謎への挑戦
進化の世界では、オス同士の闘争が新たな「武器」を生み出してきたことがよく知られています。
シカの角やカブトムシのツノなど、派手に発達した体の部位には、資源を巡る激しい競争の痕跡が色濃く刻まれています。
ヒトの男性にも、骨格や筋肉量で女性と異なる特徴が多数見られますが、腕の長さについてはこれまで深く議論されてこなかったようです。
確かに、ヒト同士の闘争(特に素手の殴り合いや組み技)の歴史は相当に古く、かつては武器を持つことが当たり前になる前から私たちは腕を駆使して争ってきたはずです。
そう考えると、「腕が長い」ことが男性間の闘争でどれほど有利だったのか、またそれが進化の流れにどう影響したのかという疑問が浮かび上がります。
さらに、男性同士の争いがもたらす“腕の長さ”の利点は、単に大きな打撃やテイクダウンを狙うだけではありません。
関節技を極めたり、相手と距離をとって攻撃をかわしやすくしたりと、格闘における多彩なシーンでリーチの差が関与している可能性があります。
こうした想定は昔から語られてきましたが、実際に「腕の長さが戦いにおいてどの程度の優位性を生み出すのか」は、データに基づいて検証されていませんでした。
そこで今回、研究者たちは総合格闘技(UFC)のプロ選手たちから得られる詳細な試合成績と身体測定情報をもとに、腕の長さと勝率やKO勝利数などを関連づけて解析することにしました。
さらに、クロアチアの青少年やシンガポールの高齢者、アメリカ陸軍の大規模データなど、さまざまな集団の男女差も比較し、男性の腕が本当に「闘争に有利な進化の跡を残しているのか」を探るアプローチをとったのです。
統計が語る“長い腕”の破壊力――KOとサブミッションの関連
研究チームがまず注目したのは、総合格闘技(UFC)のプロ選手から得られる豊富なデータでした。
715名もの男女ファイターについて、単なる身長や体重だけでなく、「腕の長さ(肩幅から先の“純粋な腕のリーチ”を導き出す手法)」や「脚の長さ」、「試合での勝敗データ」「KO勝ち・サブミッション勝ちの数」などを細かく記録・解析したのです。
とくに興味深いのは、選手の肩幅を正面写真から計測する“ランドマーク”手法を取り入れ、腕全体のリーチをより正確に算出した点でした。
これにより、“腕の長さ自体”が試合結果にどの程度影響するのかを検証できるように工夫されています。
次に、年齢や文化背景、体格の違いを反映するため、クロアチアの思春期世代、シンガポールの高齢者、そしてアメリカ陸軍の大規模調査データなどにも範囲を広げました。
これら複数の集団から計約7000名の男女の上肢長や身長、脚の長さなどを比較することで、「男性の腕は女性と比べてどれほど長いのか」をより包括的に調べています。
そして得られた結果は、想定以上に明確な傾向を示しました。
UFCの選手に限らず、どの集団でも「男性は女性よりも純粋な腕の長さが長い」ことがはっきりと確認されました。
さらに、UFC選手のデータを詳しく見ると、腕が長いファイターほどKOやサブミッション(関節技など)の勝率が高いという相関が示唆されたのです。
ただし、打撃防御力やテイクダウン防御力への影響は限定的で、どうやら“攻撃面でのアドバンテージ”に特化している可能性が高いこともわかりました。
なぜこの研究が革新的と言えるのでしょうか。
大きな理由は、実戦さながらの格闘データを使い、生身の人間が戦う「本番の勝敗」にフォーカスした進化研究は非常にまれだからです。
しかも世界中の多様なサンプルと組み合わせることで、単に「格闘家が特別」という話に留まらず、ヒト全体の性差として腕が長いことが示されました。
これにより、男性の長い腕が“進化上の闘争”と結びついてきたという新たなシナリオに、より一層の説得力を与えているのです。
一方で、腕の長さが“投擲”にも有利に働く可能性は否定できません。
棒や石を投げる場面、さらには狩猟や道具の使用にもつながるため、腕長が闘争と狩猟の両面で有益だったシナリオも考えられます。
いずれにせよ「腕が長い男性」の特徴が残った背景には、何らかの競争上のアドバンテージが大きかったのではないか、という見方が有力になりました。
とはいえ、現代社会においては武器や戦術が高度化し、必ずしも腕の長さが勝敗を左右するとは限りません。
人間の歴史を見ても、より強力な武器の登場は“腕力”の価値を下げる方向に働いてきた節があります。
それでも今回のデータは、そうした変化が起きる前の長い時間軸の中で、男性の腕が闘争に適応した形で進化してきたかもしれない、という視点を強く支持しています。
今後は、たとえば武器の使用や他の身体的特徴との関連性を調べる、あるいは狩猟・採集社会でのフィールドワークを行うなど、さらに多角的なアプローチが必要となるでしょう。
腕の長さが“闘争の武器”になり得たかどうかを突き詰めることで、人類のオス同士の競争がどのように形態や行動を作り変えてきたのか、その答えがもう一歩鮮明になるかもしれません。
こうした研究が積み重なれば、「ヒトの身体のどこに、どれほど“闘争の痕跡”が刻まれているのか」という新たな視点がますます広がっていくことになりそうです。
元論文
Intrasexual Selection for Upper Limb Length in Homo sapiens
https://doi.org/10.1002/ajhb.70010
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部