2022年12月にディズニープラス「スター」で独占配信されるや、大反響を呼んだオリジナルシリーズ「ガンニバル」。閉ざされた山間にある供花村(くげむら)に駐在することになった警察官・阿川大悟と家族が、村に伝わる恐ろしい因習と否応なしに関わることになり、やがて村を統べる呪われし一族・後藤家の核心へと迫っていくさまを、スリリングに描いた本シリーズ。待望の続編の配信が、3月19日(水)からスタートする。
【写真を見る】「この作品を経験できて本当によかった」。「ガンニバル」を通じ強い絆で結ばれた柳楽優弥と笠松将を撮りおろし
「狂気には、狂気を」と身ひとつで支配者たる後藤家に立ち向かっていく主人公・阿川大悟役の柳楽優弥と、後藤家の当主でありながら闇の連鎖を断ち切るべきか否か葛藤する後藤恵介役の笠松将にインタビューを敢行。1話観れば誰もが沼るといっても過言ではない「ガンニバル」の撮影を振り返りながら、鬼才・片山慎三監督をはじめとする気鋭の職人集団がつくりあげるエンタテインメント性や作品の魅力、そしてテーマなどについて掘り下げてもらった。
都会から遠く離れた山間にある、美しい景観に囲まれた供花村。前任の駐在が行方不明になったことを受け、この村に家族と共に赴任してきた警察官・阿川大悟は、「人が喰われている」という村にまつわる噂の真相に近づいていく。警察も代々、供花村を治めてきた後藤家がなにかを隠してきたと断定、ついに多数の警官隊を派遣する。真相を突き止めるために大悟が奔走する一方、後藤家当主の恵介は呪われたしきたりを続けることに、人知れず葛藤していた。そんな2人がついに面と面を突き合わせ、対峙する時がやってくる。
「シーズン2には“再生”に向けての一歩というイメージを抱いています」(柳楽)
――ディズニープラス「スター」というプラットフォームで世界独占配信されたこともあって、「ガンニバル」シーズン1は国内外で大きな反響を呼びました。その現象をお二方はどう受けとめたのでしょう?
柳楽「僕は純粋にうれしかったです。作品がたくさんの人に届いたんだな、と実感できたことが手応えになりましたし…」
笠松「日本独特の文化性を絡めたエンタテインメント作品だったことが、海外の方の琴線にも触れたのかなと僕は思っていて。一見してわかりやすいテーマじゃないですし、キャスティングも相当練られている。細部に宿る狂気じみたこだわりが興味を引いたんじゃないかなって」
柳楽「確かに、パッと見でわかりやすい作品じゃないよね。でも、『ガンニバル』はそこが魅力だと僕は思っているんです。シーズン1では対立の構図と言いますか、大悟は後藤家をはじめとする供花村の住民に対する『この村はいったいなんなんだ?』という疑念が行動原理になっていて、恵介たちのこともまったく信用していなかった。結果、ある種の“破壊”がテーマになっていったんですけど、シーズン2は図らずも大悟が恵介の気持ちを察するような瞬間が増えてくるんです。それは恵介も然りで、なんとなくお互いに歩み寄るような構図になっていくのがおもしろいなと感じました。そういう意味で言うと、シーズン2には“再生”に向けての一歩というイメージを抱いているんですよね」
笠松「実際、2人で同じ方向を見て歩きだすシーンがあって、そこが僕はすごく好きなんです。恵介からすると、ある種の“覚悟”を決める瞬間だったんじゃないかなと捉えていて。だから、シーズン1の恵介にとって“葛藤”がテーマだったとしたら、シーズン2は“覚悟”だったのかなという気がしているんですよね。それと“子ども”もキーワードとしてあって。大悟は自分の娘である、ましろ(志水心音)をふくめた子どもたちを守りたい、恵介は子どもたちに対して、いままで守ることができなかった後ろめたさがある。それぞれの立場は違っていても、子どもへの想いは共通していたんじゃないかなと」
「片山さんは、ものづくりにおける“違和感”を取りのぞくことに長けていらっしゃる監督」(笠松)
――ちなみにシーズン1の撮影から数えると、「ガンニバル」の現場には1年近く立っていたそうですね。
柳楽「そうですね、シーズン1と今回のシーズン2を、それぞれ4か月ずつぐらいかけて撮っていたことになるのかな?僕にとって初めてのシーズンものを片山(晋三)さん率いる職人集団のチームで作ることができて、自分のなかですごく大きなものになったという手応えがありますね。実際、現場は一体感が強くて、すごく熱量も高かったですし。ただ、誤解を恐れずに言うと、片山さんは“鬼才”といった言葉で語られていたりしますけど、実は自分でコントロールしながら作品づくりをしているクリエイターだと思っています。狂気的な要素に意識を向けがちな作品も、最終的にはエンタテインメントとして世の中にリリースするっていう流儀を貫いているところに、僕はすごく惹かれているんですよね」
笠松「片山さんの現場を経験させてもらって僕が個人的に感じたのは、ものづくりにおける“違和感”を取りのぞくことに、ものすごく長けていらっしゃる監督だなということでした。現場全体を広く見ていらっしゃるからなのか…その場その場でノイズを消していきながら撮り進めていく、と言いますか。だから、演じている側からすると『どこかリアリティーがないな』みたいなことを感じることなく、スムーズに役と芝居に向き合えるんです。そういう環境で阿川大悟という、自分が信じた正義をいっさい妥協することなく追い求めるキャラクター――そんな役柄を宿すに耐えうる、強靭な肉体と精神を持った俳優の柳楽優弥さんと一緒にお芝居をさせてもらえて、本当に心強かったんですよね。シーズン1をご覧になってドキドキ、ワクワクしてくださった視聴者の方がたくさんいらっしゃったと聞いているんですけど、そのワクワクを僕は一番近くで感じられたという感覚がありますし、自分の人生における財産になったなと思っているんです」
柳楽「いやあ、ありがとうございます(笑)。僕も笠松くんの芝居も人となりも大好きなんですよ。『どうすれば、このシーンをもっとよくできるんだろう?』と監督とも頻繁に話していたんですけど、笠松くんのその真摯な向き合い方を学びましたし、フィクションの世界においても作品をよりおもしろいものにするためにはリアリティーを探るべきだっていう価値観を共有していて、自分が通ってきた道は間違っていなかったんだなと思わせてもらえたところがあって。その想いは片山さんに対しても抱いていますが、笠松くんのようなバイブスを持った人と1年近く同じ作品に関われたことが、僕はうれしかったですね」
笠松「それで言うと、僕は柳楽さんと片山さんと『ガンニバル』に取り組んだスピード感と勢いのまま、その後も何作か一生懸命にやらせてもらったんですけど、いまは少し休憩をしているんです」
柳楽「えっ、なんで!?」
笠松「それぐらい、片山さんと柳楽さんの映像作品に対するこだわりがスゴすぎて、食らっちゃったんですよ。でも、この作品を経験できて本当によかったなと思いますし、その狂気的なこだわりが『ガンニバル』を観てくださる方に少しでも伝わって、楽しんでもらえたらいいなと純粋に思っているんです」
「アクションには片山さんと柳楽さんの執念や狂気が投影されていると思っています」(笠松)
――破壊からの再生を描くシーズン2ですが、前半は供花村と周辺を舞台に警察も巻き込んだ大騒乱が繰り広げられます。この一連のシークエンスもとんでもないスケールになっていますね。
柳楽「シーズン2の前半で言うと、大悟は“あの人(超人的な身体能力を誇る、供花村における畏怖的な存在)”とのアクションが多かったんですが、あの人の独特の動きに合わせられるように回数を重ねながら撮っていったという感じでしたね。シーズン1から積み重ねてきたことを殺陣にも投影した、と言いますか」
笠松「お芝居がうまい俳優さん、アクションがうまい俳優さん、はたくさんいますが、柳楽さんはアクションにお芝居を乗せられる数少ない俳優さんだと、僭越ながら僕は思っていて。『ガンニバル』はアクションの見せ場も多いですけど、それは柳楽さんが基準値を押し上げてくださったからで、僕らもそのラインを目標にやることができたのが、作品にとっても大きかったんじゃないかなと感じているんです」
――しかも「ガンニバル」のアクションは物語の文脈に沿っていて、それこそ“再生”へ向けた“破壊”として描かれているのかな、とお話を聞いていて感じました。
柳楽「片山さんたち監督陣もかっこよく見せるアクションというより、ストーリーに合わせて各キャラクターを自然に動かしてくれたように思います。それでいて、片山さんは映画的なド派手な描写も好きなので、そこのバランス感覚が僕たち役者の気分とシンクロすることが、現場では多かったという記憶がありますね」
笠松「アクションのみならず、お芝居すべてに対するこだわりが『ガンニバル』という作品のすごみになっていると感じているんですけど、特にアクションには片山さんと柳楽さんの執念や狂気が投影されているんじゃないかなと思っています。クリエイティブに対して真正面から向き合って、それこそなにかを壊しに行くような勢いがありましたね」
柳楽「いやいや、そこには笠松くんも入ってるから(笑)」
笠松「いやいや、僕はお2人を見て『なんだ、この人たちは…大変だぞ!』っていう感じで、尻を叩いてもらってお芝居させてもらった感覚があるんです」
柳楽「そうなんだ(笑)。でも、確かに片山さんはきれいごとだけでキャラクターをつくっていくようなことをされないんですよ。『こういう状況下で、こんなことを考える人っているよね』と思わせる人物を群衆のなかにもちゃんと置いて、エキストラの方に細かく演出をされていて。そこがスゴいですよね」
笠松「なんなら、エキストラの方々への演出のほうが割合として多かったですし。『あれっ、監督…僕らは?』みたいな(笑)」
柳楽「確かに(笑)。でも、エキストラの方々のモチベーションは確実に上がっていましたし、『みんなでいいものをつくろうよ!』っていう士気の高さが作用していくのを体感できたことは、現場づくりにおいてもすごく勉強になりましたね」
「大悟と恵介には、意外と似ているところがあるかもしれませんね」(柳楽)
――大雑把な聞き方になってしまいますが、シーズン2の全8話中で大悟と恵介が同じ画角に収まっている場面から、お二方がレコメンドするシーンを挙げるとすると?
柳楽「僕は大悟と恵介が対峙するシーンですね。それまでは別々のところにいて、無線を通したり、人を介してコミュニケーションをしていた2人が対面を果たすことで、物語が加速していくのを感じてもらえるんじゃないかなと思います。でも、本音を言えばどの場面も…全編を通じて没入していただけたら(笑)」
笠松「確かに。でも、強いて選ぶなら物語の最後に恵介が迎える佳境の場面ですね、やっぱり。あのシーンには『ガンニバル』という作品そのものをはじめ、柳楽さんや片山さんが僕に与えてくれたものがすべて凝縮されているように感じたからなんです。撮影自体が終盤だったこともありますし、お互いに向き合った時…阿川大悟として目の前にいながらも、ひとつひとつの仕草や表情だったり声が柳楽さんご自身のものとして伝わってきた、と言いますか。そんな感じで個人的な理由になってはしまうんですが、僕にとってとても大切なシーンになりました」
――あのシーンで恵介が最後に口にするひと言から感じられる余白に、個人的にはすごみを感じました。あれは台本通りだったのでしょうか?
笠松「いや、あのくだりは本番ギリギリまで片山さんと探っていったんです。『恵介として、ここでなにを言うと思う?』って、いろいろな言葉を考えてみたんですけど、すぐには言葉が出てこなくて。で、模索して、あのひと言にたどり着きました。ただ、よくよく考えてみると芝居のことについて片山さんとガッツリ話したのって、あの時が初めてだったなと。あんまり細かく演出されるというよりも、周りの人たちを動かしてくださることで恵介のキャラクターを浮き立たせてくださっていたので、そういう意味でも思い出深いシーンになったな、と」
柳楽「僕も片山さんとたくさん話したという感じではなかったんですけど、自分が芝居をしたあとに『事前に話したほうがよかったな』と思いたくないタイプなので、その都度思ったことや感じたことは言葉にして伝えてはいたんです。監督を信頼しているからこそ伝えさせてもらっていたので、どういうリアクションをされたとしても受け入れようとは考えていました」
――ちなみに大悟と恵介って、もしも違う世界線で出会っていたとしたら、結構気の合う仲間同士になれたんじゃないかと思ったりもするんですが、お二方はどう解釈されますか?
柳楽「意外と似ているところがあるかもしれませんね。ただ、プラス極同士みたいな感じで、近づこうとすると反発する力が働いてしまうという…。そのぶん、力を合わせるとものすごく強くなる」
笠松「大悟と恵介の関係性って、僕自身がふだん送っている日常生活ではなかなか気づきづらいものでつながっていると言いますか、一歩踏み込んでみないとわからないような感覚なのかなと思いました。それを自分自身に置き換えてみて、ご一緒する監督さんや俳優さんに対して一歩踏み込んでいく勇気を持て、といったアドバイスを与えてもらったような気もしているんですよね」
柳楽「クライマックスで、それこそ“覚悟”を表明するようなセリフを恵介が言うんですけれど、僕はその言葉がすごく好きなんです。いまの時代って、いろいろなことがニュースタンダードになっていっているように僕は感じていて、これまで“よし”とされてきたことも、これからは変わっていくのかもしれないなと、ふだん生活していて思うことが結構あるんですよ。いったいなにが正しいのか探りながら生きているような感覚が、多かれ少なかれ誰しもあると思うんですが、『ガンニバル』は供花村という地域を舞台にいまの日本を縮図的に描いているようにも捉えていて。わりとセンセーショナルなテーマや描写を話題にしていただいている作品ですが、普遍的なテーマを描いている作品なんじゃないかって、改めて感じさせられました」
取材・文/平田真人