ある日、友人に言われた。「◯◯(私の名前)って思わせぶりだよね」
意味が分からない。だって私は、積極的にアプローチをするタイプではない。その気にさせるような態度を取りたいとも思っていない。それなのに、自分の知らぬ間にあざとい女になっているというのか。
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どういうことかと友人に尋ねると、特に後輩に対する言動が、あなたにしか言ってないよ、"特別"だよというニュアンスを含んでいるのだという。例えば、「君のそういうところ素敵だよ」「芯のある人って魅力的だよね」などが挙げられるらしい。私は本気でそう思っているから伝えているし、ただ人を褒めただけだと訴えたが、友人からは、同性には良いけど異性はダメだと反論された。
それから、ボディタッチも「思わせぶり」に入るようだ。確かに私は、誰かに呼びかける時に相手の肩をポンポンとたたく。だがこれは、私の声が小さくて呼びかけに気づかれないことが多いからボディタッチもしているのであって、決してやましい気持ちはないと伝えたい。
しかし友人の言い分も分かる。たしかに大抵の人はここまで素直に人を褒めたり、体に触れたりしないのかもしれない。だが、男性と女性で対応を変えなくてはならないのは、何とも生きづらい世の中である。多様性は大切だというけれど、衝突した場合は、誰かが折れなくてはならない。こういう時に折れるのは少数派なのではないか。私はおそらく少数派だ。
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今思えば、私は昔から少数派になりやすい人間だった。みんなが嫌いというものを好きと言った。
例えば小学生の時は、皆でトイレや教室に行くのが当たり前だったが、私は自分のタイミングでトイレや教室に行った。教室移動でも、さっさと自分の支度を済ませて他の人を待つことはしないタイプだった。
悪く言えば衝突を好む人間かもしれないが、それも個性だし、周りは優しい人たちばかりだったから、自分があまりにも異質な存在だということにこれまで気がつかなかった。この瞬間、私はこれまで"多様性"が実現されている、恵まれた社会にいたことを実感した。
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子供の頃は知識や経験がないため、自分とは違う意見を聞いても「そうなのかもしれない」と、自然と相手の意見を受容することができる。しかし大人になるにつれて、多くの知識や経験を身に付け、自我を持つようになる。したがって自分と違う意見を聞くと、これまでの経験から「自分が正しい」と思い、他人の意見を受け入れにくくなるのではないか。こうして多様性の実現しにくい社会が作られるのだろうか。
多様性のある社会を目指すためには、個性のある人間たちが友好的な関係を築くことが大切だと思う。人間たちが個性を出しすぎてしまうと対立関係に陥る。そうすると多様性が悪い存在となり、統一することが賞賛される社会になってしまうと考えている。
私は少数派だから折れるのではなく、友好的な人間関係を築くために人への対応を見直すことにした。
2025年私の宣言「思わせぶりな態度を取らない」
■ああ言えばfor youのプロフィール
大学生。言動やしぐさが可愛らしい女の子が好き。特に、好きな人に対して一途にアプローチしている女の子を見ると心が温まる。好きな歌手は松田聖子。