子どもの将来が心配だからこそ、安定した職業についてほしいと望む親は多いことでしょう。
筆者の友人A子さんの親もそうでした。
しかし、A子さんが選んだ道は……。
教師の子どもであるプレッシャー
私の両親は教師で、幼い頃から教育が厳しい家庭に育ちました。
学校帰りに寄り道するのは禁止。
テレビは民放のバラエティ番組を観ようものなら厳しく叱られました。
唯一観ることを許されたのはニュース番組。
学校ではクラスメイトの話題についていけず、友人との間に見えない壁があるような感覚を何度も覚えました。
また、
「両親が教師なのだから、良い子でいなければいけない」
「常に良い成績を取り続けなければいけない」
というプレッシャーがあり、勉強ばかりしていた学生時代でした。
競技ダンスとの運命の出会い
「将来は自分たちのように教師になってほしい」という両親の希望通り、私は国立大学の教育学部に入学しました。
そして入学式の日、在校生が配っていた新入部員の勧誘チラシの中に「競技ダンス部」のものがあったのです。
チラシ配りをしていた先輩の熱心な勧誘で興味が湧き、新入生歓迎のダンスパーティーに参加してみました。
初めて知った自己表現の楽しさ
上級生のデモンストレーションの、優雅なワルツや情熱的なルンバ。
今まで見たこともない華やかな世界に圧倒され、心を奪われてしまった私は、その場で入部を決心。
部活は見た目の華やかさからは想像できないくらい、地道で厳しいものです。
でも今まで自分の気持ちを押し込めて過ごしていた私は、ダンスを通じて自己表現ができる楽しさにのめり込んでいきました。
大学入学を機に家を出ていた私は、思う存分練習に打ち込めたのです。
自分で選んだ道に後悔ありません
やがて私は「プロダンサーになる」という夢を持つようになりました。
大学卒業後に私が教師になるものだと信じて疑わなかった両親とは、進路を巡って大ゲンカ。
大学を中退し、アルバイトをしながらダンス教室に通ってプロダンサーになりました。
その後、長年ペアを組んでいた男性と結婚。
今はダンス教室を開き、子どもから高齢者まで、ダンスを通じて自分を表現する楽しさを伝えています。
両親に自分の夢を理解してもらえなかったのはとても悲しかったですが、反対されたからこそ、それをバネに頑張れました。
両親が望んだ人生を歩んでいませんが、私は自分で選んだ人生にとても満足しています。
【体験者:40代・ダンス講師、回答時期:2025年2月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
Itnライター:K.Sakura
セラピスト・販売員・介護士の職を通じて常に人と関わる職務経験から得た情報を記事化するブロガーを志す。15年ほど専業主婦兼ブロガーとして活動するも、モラハラな夫からから逃げるために50代にして独立。母としては、発達障害のある子どもの育児に奮闘。自分の経験が同じような状況に悩む人の励みになって欲しいと思い、専門ライターに転身。アラフィフでも人生やり直しができることを実感。