3月21日(金)に放送される津田健次郎主演のSPドラマ「1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~」(夜9:00-10:52、フジテレビ系)。日本のみならず世界に衝撃を与えた同時無差別テロ事件をドキュメンタリードラマ化し、津田は被害者の救命に“決死の献身”であたった救命救急センター長の剣木達彦を熱演。そんな彼にインタビューを実施し、ドラマの見どころだけでなく、事件発生当時の記憶や、今だからこそ感じる“事件に対する思い”について語ってもらった。
地下鉄サリン事件当時を振り返り「衝撃を受けました」
――主演のオファーを受けたときの感想を教えてください。
地下鉄サリン事件が起きた1995年は、僕は23歳で養成所に通っている時代でした。個人的にもすごく衝撃を受けましたし、いまだに「あの事件はいったい何だったのか」と考えるほどの大事件だったと思います。そこから30年という大きな節目となるタイミングで、この事件を題材にした作品に主演させていただくことは、緊張する部分もありましたが、とても光栄なことだと思いました。
――事件発生当時、ご自身の記憶に残っていることはありますか?
当時、丸ノ内沿線に住んでいたのですが、朝稽古場に行こうとしたら、駅が閉鎖されていたんです。空を見上げると何機ものヘリコプターが飛んでいて、これは何かとんでもないことが起きているのではないかと思い、家に帰ってテレビをつけたらすごい事件が起きていたので、衝撃を受けたことを覚えています。
資料映像を繰り返し見て撮影に挑む
――今回演じられた剣木達彦は、実際に患者の救急救命対応に当たった医師がモデルになっています。実在の人物を演じるにあたり、どのような準備をされましたか?
いくつか資料映像をいただいたので、それを繰り返し見ました。あとは撮影現場に医療監修の先生がいてくださったので「この場合はどうでしょう?」と、とにかく質問をしていました。
――資料映像というのは、どのくらいの分量があったのでしょうか?
全部でトータルして4~5時間はあったと思います。1時間のものもあれば、12~13分のものもありましたし、2時間の特別番組もありました。その中には、どういう状況なのかをまだつかめていない報道の映像や、原因が神経ガスのサリンだと分かってからの映像もありました。
――その資料映像の中で、特に注視されたのは?
僕が演じる剣木達彦は救命救急センターの医師なので、患者さんがストレッチャーで運ばれてくるときに医師がどういう動きをしているか、どんな声掛けをしているかを中心に見ました。なので、役作りにおいては資料映像に助けられた感じではあるのですが、ほぼ意識がない患者さんが運び込まれてくる映像は見ていてもつらいものがありました。
――実在の人物を演じることの難しさはありましたか?
監督やプロデューサーさんから先生に関するお話はたくさん伺いました。ただ、その先生はあくまでもモデルとなった方であり、僕たちがやっているのはドキュメンタリードラマなので、事件当時に戦ってくださっていたお医者様たちの代表みたいな感覚でいました。
――架空のキャラクターを演じるのとは、また違った感覚なのでしょうか?
同じことのほうが多いのですが、僕が演じるのは医療パートでしたので、心構えとしては「なるべくウソがないように」と思っていました。とくに今回は実際の事件を題材にしているので、できるだけ丁寧に医療的なシーンを撮っていたように思います。
舞台は30年前…時代を感じるシーンも
――医療用語のセリフもたくさんあったと思いますが、覚えにくさや言いにくさを感じるものはありましたか?
“硫酸アトロピン”とか。ほかの医療用語もそうですが、普段は使わない言葉なので、覚えにくいものはいくつかありました。ですが、それよりも医療行為をしながら会話するのが難しくて。しかも、基本的には緊急事態がずっと続いているので、そこでの会話はハードルが高かったです。
――そのほか演じる上で意識したことはありますか?
僕が演じた剣木は救命救急センターのリーダーなので、人がお亡くなりになる瞬間にたくさん立ち会っているでしょうし、ある意味、緊急事態にも慣れている人だと思うんですよね。でも、そんな剣木でも地下鉄サリン事件のような状況に遭遇するのは初めての体験だった。
それも当然の話で、日本では前例のない事件ですし、事件発生当初は情報がほとんどなかったので。そんな中でも剣木はセンター長として冷静でいないといけなかったので、そこのバランスは演じていても難しかったですし、監督と相談しながら進めていきました。
――事件が起きた30年前というのは、それほど遠くない過去だと思います。そのぶん逆に時代感を出すのが難しいのではないかと思ったのですが、そのあたりはいかがですか?
脚本を読んでいて「そうか!」と思ったのは、剣木は一緒に働いている看護師長さんを「婦長」と呼ぶんですね。当時はそれが当たり前だったんだと思い、時代を感じました。あと、救命救急の医師はTシャツを着ていることが多いのですが、当時の映像を観ると、Yシャツにネクタイをされているんですね。それは衣装合わせのときに監督ともお話させていただきましたが、これも時代的なものかもしれないなと思いました。
「フィクションではないドキュメンタリーの要素がある作品」
――地下鉄サリン事件をドキュメンタリードラマ化した作品に出演したことで、新たな気付きみたいなものはありましたか?
事件が起きた当時もそうですが、その後にも村上春樹さんの「アンダーグラウンド」というノンフィクション作品を読んだりして、事件のことを知ろうとしていました。ですが、医療現場の話はそれほど情報として出ていなかったので、今回、剣木を演じさせていただいて、当時の状況を含めて、新たに知ることがたくさんありました。
――30年前の事件ということで、若い人の中には事件そのものを知らない人もいるかもしれませんね。
そうですね。事件自体も衝撃的なものでしたが、日本の社会全体が抱えている根本的問題は何だったのか。そして、その問題ははたして今現在解消されているのかどうか、など、今回の作品に参加させていただくことで、僕自身、改めてさまざまなことを考えさせられました。
――具体的には、どのようなことを考えましたか。
1995年といえば、バブルが崩壊して間もなくで、みんなの中である種の虚無感みたいなものが生まれていたのではないかと思いました。僕もその時代を生きてきた人間なので、同じような虚無感を抱えているところがありましたし、それは2025年の今も解消されるどころか、より根深い問題として社会に存在しているような気がしました。
だからこそ、当時を知らない若い世代の方はもちろん、当時を知っている方々にも、このドキュメンタリードラマをお届けするのは、とても意義のあることだと感じました。
――最後に、視聴者の方へのメッセージをお願いします。
地下鉄サリン事件から30年になります。この作品では報道の観点とドラマの観点がミックスされているので、いわゆる報道の映像で観るよりも、皆さまの心に届きやすい作品になっているのかなと思います。また、フィクションではないドキュメンタリーの要素がある作品ですので、あの事件のバックヤードで命をかけて働いてくださった方々がいたことを知っていただきたいですし、改めて「あの事件は何だったんだ」と考えていただく機会になれるといいなと思っています。
◆取材・文=馬場英美