短歌ブームが続いている。月刊文芸誌『群像』で、2023年7月から開始した短歌投稿欄「群像短歌部」が、『すごい短歌部』(講談社)として書籍化された。選者は短歌ブームを牽引してきた歌人のひとりである木下龍也さんである。当初は木下さんが短歌を作るという企画だったが、「ひとりで作るのもしんどいだろうなと思った。投稿欄なら、送ってきてくださる方がいて、ひとりじゃないので続けられる」という想いで現在の形になった。投稿数は1回あたり1200~1500首にもなるという。そして木下さん自身にも「投稿時代」があった。短歌集のヒットを続ける今の気持ちを聞いた。
――木下さんは過去、「短歌ください」(穂村弘選・ダ・ヴィンチ)や「うたらば」(田中ましろ選・SNS)への投稿時代がありました。
木下龍也さん(以下、木下):投稿は、そこからもらえるモチベーションが大きかったんですよ。採用してもらえるってことがまず嬉しいし、「短歌ください」だったら、穂村さんが評をつけてくださるじゃないですか。それが短歌を続ける理由になっていたんです。自分もそういう場を作れたらなと思っていて。本当に歌を選ぶのは難しいんですけど、採用させていただいた方の短歌を続けるモチベーションのひとつになれたらなと思っています。
載るだけ、とか、短い評がつくだけ、でも僕は嬉しかったのですが、「群像短歌部」ではなるべく短歌の良さを引き出して、かつ短歌というものに慣れていない方が読んだ時に、「こういうふうに分析してみたら面白さが伝わるかも」と思いながら評を書いています。投稿者へのモチベーションを作りつつ、初めてこの欄を読む人の楽しさに貢献できるような連載にしたいなと思ってやっています。
――木下さんの著書は、攻めたタイトルが多いと思います。「すごい短歌部」というタイトルを決めた経緯を教えてください。
木下:タイトルを提案したのは僕ですね。「群像短歌部」という名前でやっていたので、そのまま行くかと思っていたんですけど、本として外に出た時に、「群像ってなんだろう」と壁になるかなということで、じゃあ「◯◯短歌部」にしましょうかと。
これまでの僕のタイトルは、『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房)とか、『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房)とか、いちおう歌集の中の歌をタイトルにしていたりするんですよね。『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)は、やってたイベントの名前まんまのタイトル。『あなたのための短歌集』(ナナロク社)も、「あなたのための短歌1首」が引き継がれていて。連載していたものを本にするからといってタイトルを変えるっていうことがあんまりなかったんです。だからものすごく悩んで、ナナロク社の村井光男さんに相談しながら、僕が案として「ようこそすごい短歌部へ」と言った時に、「すごい短歌部」だけでいいんじゃないですか、とアドバイスをいただいて。これで行こうと思いました。
――「短歌ブーム」で、たくさんの短歌入門書が出ました。『推し短歌入門』(榊原紘/左右社)、『起きられない朝のための短歌入門』(我妻俊樹、平岡直子/書肆侃侃房)、『シン・短歌入門』(笹公人/NHK出版)……。その中で、『すごい短歌部』は、どのような役割を果たそうとしましたか?
木下:短歌入門の本って、短歌ブームより前にもたくさんあったじゃないですか。歴史的な名歌や秀歌を引いて、解説をするような。だから『天才による―』では、それらと同じことをするのではなく、自分が作りながら気づいたコツとか、僕の実体験を書くということをやりました。
『すごい短歌部』も、僕の実作パートはあるんですが、主には投稿作の読み解きに力を入れています。基本的に歌集は歌しか載っていないので、慣れない方にはわかる短歌もあれば、わからない短歌もあると思うんですね。そんな方々に向けて、読みの補助線を引くようなつもりで「なんかいいな」の「なんか」をなるべく詳細に書くようにしています。それによって「こういう感じで読めばいいんだ」というのを知ってもらって、改めて歌集を読んだ時に、わかる歌はより深く、わからない歌はわからないまま味わうことができるといいな、という気持ちで書いています。
――木下さんが過去に読んだ短歌の入門書や指南書は、何かありますか? よく初心者向けに挙げられるのは、『かんたん短歌の作り方』(枡野浩一/ちくま文庫)や、『短歌という爆弾』(穂村弘/小学館文庫)ですが……。
木下:二冊とも短歌を始めたばかりの頃に読みましたね。それを読んだ上で『天才による―』があります。でも、当時は本当に読んだだけでした。一度全部忘れて、一首一首作りながら、理解や実感が追いつくという感じでしたね。
たとえば「助詞を抜かない方がいいんだ」とか、短歌を続けているうちにわかったことで。短歌を作りながら、歌集を読みながら、こういう技術があるんだなあと吸収しつつ結構自己流でやっていました。僕、ギターをやりたいなと思った時に、ギター入門のDVDを買って、ギターを弾く前に観たんです。チューニングとか色々と面倒そうで最初の一音を出してみる頃にはやる気がなくなっていました。だから入門ってまずは楽しそうだな、自分もできそうだな、と思ってもらわないといけない。すごい短歌部がそうなっているといいのですが。
――『すごい短歌部』に入っている歌はどれもすごいのですが、投稿がきた時、どう思いましたか?
引用----
ゴキブリは怖がられてて汚くて 私を大学に入れてくれた/あゆこ
9Fの焼肉屋から降りてくるふたりはガムごと舌をからめて/庄井陽樹
気が付くと枕を優しく撫でていたそれを私はして欲しいのか/小御門優一郎
----
木下:僕、(投稿歌を)エクセルで見ているんですけど、こういう歌は光って見えますね。太字で見えるというか。採用しているのは全てそう。いいなと思った歌は全て抜き出して、そこから採用歌を決めていくんです。選ぶ時は自分が好きな歌を選んでいます。これが短歌界に寄与するだろうっていう、大義のために選ぶことはなく、本当に自分の好きな歌。なんで好きだったのかっていうのをなるべく言葉にして。そうすると、負けていられないと自分のモチベーションにもなります。
――『天才による凡人のための短歌教室』でも、『すごい短歌部』でも、例歌(例として出す、過去の他人の歌)を挙げないのには、何か理由があるんですか?
木下:たまにやるんです。それは、本当にこれは類想歌だなとか、これに触れないのは不自然だなという時。読んだ人が、この歌あるなと思い浮かびそうな時は書くんですけど。そうじゃない時は、投稿してもらった歌の良さを極力引き出すということをやりたいので。そちらに文字数を割きたいので基本引かないかなあと思いますね。
――投稿歌の添削もされていないですね。
木下:以前はしていましたが、個人的にはもう短歌の添削は時代錯誤かなと思っています。頼まれたらやりますけど。基本的には、投稿してもらったものをそのまま掲載して、書かれてあることの良さを引き出すっていう方に舵を切りました。
人の歌を添削しても、結局それは自分の歌にしかならない。文語の文法的な間違いを指摘するっていうのは全然いいと思うんですけど、口語は文法的な間違いがないだろうし。あっても、それが詩になっている場合があるじゃないですか。てにをはが違うだけで、普段の言葉とは違う、短歌の中で詩になっていたりする。口語短歌は、こう見せたらもっと伝わるよ、っていう添削しかできないと思うんです。
でも、「もっと伝わるよ」って、自分が思っていることであって。自分の味になっちゃうんですよね。その人の良さを引き出せはしないというか、その人の気持ちごと添削してしまう可能性がある。かつ、その歌を添削されたことで、次の歌に何かが活きるかって言われたら、そうではないと思うんです。その人をその人のまま尊重したいというか。だから添削はやめています。
――短歌の投稿欄において、作者の意図をここまで丁寧に汲み取って評をしたものはなかったと思います。選をする際、また評を書く際に、心掛けていたことを教えてください。
木下:書かれてあることだけ、テキストだけ読む、ということはやるようにしていて。「こういうこと書いてるからこういう作者なんだろう」というのはナシ。それは最初から決めていました。作品=作者ではない、ということを常に意識しています。作者に言及するときは、歌の内容ではなく、言葉の配置や選択、アイデアについて褒めるときだけですね。
あと、評って断言した方がいいのかなとも思うんです。読者を引っ張っていきたい時は特に。でも短歌って、読みのパターンがいく通りもあるので。何パターンかある時は僕が思い付く限りを書いて、こうかもしれないし、こうかもしれないというふうに、それが答えにならないように書いているつもりではあります。僕はこう考えたけど、あなたはどうですか、という余白は残すように心掛けています。
――過去の短歌入門書は、筆者の手の内を明かすのをよしとしていなかった印象があります。木下さんは、なぜ徹底して自分の「手の内を明かす」のでしょうか。
木下:自分は「こう読んでいますよ」とか「こう作っていますよ」は、書けるところはなるべく書きたいなと思っていて。当然全部は言葉にできていないと思うんです。自分の中でも。短歌を作る時も、理路整然と考えているわけではなく、急にジャンプしたりする時があるじゃないですか。
じゃあ「なんでこの言葉が出てきたんだろう」というのは、自分のブラックボックスの部分というか。今までの経験とか、読んできたものとかが、混ぜ合わさって「この言葉」が出てきたということだと思う。そのブラックボックス以外のところは、全部言語化して伝えたいと思っています。
短歌ってセンスでやっているんじゃないかって思われがちだと思うんですよ。そうなると、これから短歌やろうかな、と考えている人にとっては怖いと思うんですよね。
みんな面白い短歌が作れると思っているんです。一首は必ず。その人が生まれて、今日に至るまでの道筋とか、経験してきたことや考えてきたことが、まったく同じ人はいないじゃないですか。似たような人生があっても、詳細は違うと思うんですね。その詳細こそが面白い短歌になりうるので。それを出してほしいと思っているんですよ。
そのためには、短歌は自分に近いもの、遠いものではないと思ってもらうことが大事で。「短歌ってこういうふうに読み解けばいいんだ、じゃあ自分も作ってみよう」と思ってもらって、その人が作れるであろう、その人の詳細が書けている短歌を読ませてほしいという。結局は「面白い短歌が読みたい」という、自分のために明かせるところは明かしています。
――「あなたのための短歌」を含め、ハイペースで短歌を発表されていますが、どの歌を読んでも新鮮に感じられます。木下さんは、なぜ短歌が好きなのですか?
木下:僕、別に短歌を作るのは好きじゃないですよ。読むのは好きですけど、ホラー作品を鑑賞したりボクシングをしたりする方がもっと好きです。短歌は仕事です。好き嫌いでやってない。自分で短歌を作っていても、評を書いている時も、つらいなあとしか思ってないです。仕事にすればやめないだろうなあと思って、仕事にしたんですよね。趣味だったら明日やめてもいいだろうけど、仕事にして、これをやめたら自分は路頭に迷うことになるっていうふうにしているから、今でも続けられているんだと思います。
――なぜそこまで自分を追い詰めたんですか?
木下:趣味だとやめるだろうなと思ったからです。作っていて、「あなたのための短歌1首」とか、本当にしんどいんですよ。時間もかかるし、心が消耗しているなと思うんです。けど、自分の中で、苦しいからやりがいがあるっていうか。自分がやれることの中で、一番人の役に立てて、かつ、やりがいがある、それが自分でなければならなかっただろうなと思える、それが僕にとっての短歌ですね。
取材・文=高松霞、撮影=桐山来久