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隣国とモメる時代に役立つ不朽の古典…最強の戦略書『実利論』がリアルに説く敵味方のスジ論

  • 2025.3.15

なぜ、国際社会においてインドの存在感が増しているのか。『『実利論』 古代インド「最強の戦略書」』(文春新書)を上梓した笠井亮平さんは「自国の伝統にアイデンティティを求めながらインドは外交戦略を磨いている。とくに『マハーバーラタ』や『実利論』といった不朽の古典に価値を見いだす傾向が見られる」という――。

※写真はイメージです
ビジネスに活かされる古典の特徴

『実利論』に限らず、古今東西の古典を現代に活かそうとする際に大事な点がある。

それは、内容のすべてが適用可能ではないということである。ひとりの人物の手になるものであれ、複数の著者によるものであれ、執筆された時代の政治や社会、そして場所の状態や性格が一定程度反映されている。

21世紀の人間からすると、高度化・複雑化する状況にそぐわなかったり、時代錯誤的、あるいは差別的と感じられたりする点もなくはない。

それでも古典として今日に至るまで読み継がれ、時代や地域、本来のテーマを超えた広がりを見せているのは、物事の本質を鋭く突き、さまざまな場面や状況に応用できる汎用性を持ち、普遍性があることの証左である。

本来は兵法書である『孫子』がビジネスや生活全般に活かされているように、昨今の「戦略的思考」や「戦略本」において、はるか昔に記された古典に範をとるものが少なくないのは、このためにほかならない。

古代インドの国家統治論から何を学ぶか

これは『実利論』にも当てはまる。当然ながらマウリヤ朝の頃と現代とでは、内政であれ外交であれ、状況が大きく異なる。

王制だった古代インドに対して、現代インドは「世界最大の民主主義国」を標榜している(ただし、近年のインドは「民主主義の母」であるとも主張し、その原点を古代の政治体制に求めている)。

経済の多様化、人工知能や通信をはじめとするテクノロジーの驚異的な発達、政府を監視するメディアの存在、グローバリゼーションの進行と相互依存の深まりなど、他にも相違点を挙げればきりがない。

インド政府の指導層や政治家、官僚が『実利論』を参照しながら政策を決めているわけでもないはずだ。こうした背景を踏まえた上で、この古代インドの国家統治論からわたしたちは何を学ぶことができるだろうか。

第一に、『実利論』を通じてインドの伝統的な戦略思考の真髄を知ることができるという点である。

インドの戦略思想を著した叙事詩

S・ジャイシャンカル外相は自著『インド外交の流儀』で、次のように記している。

「……インドの視点を理解するのに困難を感じるとしたら、それはかなりの部分でインドの思考プロセスに対する無知から来ている。(中略)『マハーバーラタ』と言えば一般的なインド人の思考に深い影響を及ぼしている叙事詩だが、インドの戦略思想について記されたアメリカの入門書が同書に触れることすらしていないのは、そのことを如実に示している」
「これは確実に改められなくてはならない。なぜなら、多様な文化に対する理解を促進することが多極世界における特徴の一つだからだ。もう一つの理由は、インドと世界が現在直面する困難の多くは、これまででもっとも壮大な物語の中に類似性を見出すことができるという点にある」(ジャイシャンカル2022)

『インド外交の流儀』を著した第2次モディ内閣の外務大臣スブラマニヤム・ジャイシャンカル氏(写真=IAEA Imagebank/Flickr/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

引用部分でも触れられているように、これは『マハーバーラタ』を念頭に置いたものだが、同じことは『実利論』についても当てはまる。

古典にもとづく隣国との外交観

実際、ジャイシャンカル外相の2冊目の著書『インド外交の新たな戦略』では、もうひとつの叙事詩『ラーマーヤナ』のエピソードが多く紹介されているのが特徴だが、本書でも指摘したように、「マンダラ的世界観」についても論じられており、これが『実利論』を念頭に置いたものであることは明らかだ。

この世界観を通じて今日のインド外交を捉えると、多くの展開が腑に落ちることは本書の第6章で示したとおりである。とりわけ直接国境を接する国々と「拡大近隣」諸国に対する外交は、マンダラ的世界観でかなりの部分を説明することができる。

その先に広がる大国間外交についても、「隣国の隣国」「隣国の隣国の隣国」といった位置づけに厳密なかたちで当てはまらなくとも概念として捉えることで多くの示唆を得ることができるだろう。とくに自国と隣国の関係において域外の「中立国」が担う役割の説明は非常に興味深いものがある。

これ以外にも、インドの外交関係者や軍人、政治家の文章を読んだり話を聴いたりしていると、古典を踏まえた内容が随所に現れることに気づかされる。

現代の政治家を支えるビーシュマの言葉

一例を挙げると、外務次官や国家安全保障担当補佐官の要職を務めたシヴシャンカル・メノンの著書『Choices(選択)』〈未邦訳〉に、「静かなる者は他者から信頼を得、慎ましき者は人生においてすべてを手にする」という言葉が引用されている。

これは『マハーバーラタ』に登場する主要人物のひとり、ビーシュマの言葉だ。時代は大きく異なるが、日本で言えば、聖徳太子の「十七条憲法」にある「和を以て貴しとなす」や親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という「悪人正機説」を引用するのに似ていると言えるかもしれない。

インドが国力を急速に増大させ、国際社会における地位を高めていくなかで、自国の伝統にアイデンティティを求めようとする傾向が近年強まっている。なかでも、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』、そして『実利論』といった不朽の古典が持つ価値はいっそう高まっていくことになるだろう。

マハーバーラタ叙事詩に記録されている、カウラヴァ族とパーンダヴァ族の間で戦われたクルクシェトラの戦いを描いた写本のイラスト(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
徹底したリアリズムの戦略論

『実利論』から学べることの第二は、徹底したリアリズムの追求である。これは『実利論』全体に通底する特徴であり、他者(他国)や自分(自国)を取り巻く環境に対してつねに警戒を怠らず、厳しい姿勢で臨むことが求められている。

本文には、ややもすると疑いすぎなのではと感じられる記述も散見される。それだけ当時のインドでは、建国すれば安泰というわけではなく、王や王朝が生き長らえるには、その後も熾烈な戦いを勝ち抜かなければならなかったということなのだろう(実際、王が殺害されたり、王朝が転覆されたりというケースは枚挙に暇いとまがない)。

マウリヤ朝第三代の王アショーカは自ら仏教に深く帰依するとともに国内各地にその教えを広め、帝国の最盛期をもたらした。彼が思い描いたであろう理想ダルマが現実に展開されたわけだが、それはリアリズムにもとづいて建国とインド統一を達成し、繁栄の礎を築いたチャンドラグプタとカウティリヤの活躍があってのことだと言える。多数の国が争いを繰り返し、不安定で秩序のない状況であれば、理想を実践したくてもそうはいかなかっただろう。

「永遠の味方」も「永遠の敵」もいない

他者(他国)との関係という点で言えば、それはつねに変わり得るものであり、「永遠の味方もいなければ、永遠の敵もいない」という認識が浮かび上がってくる。マンダラ的世界観に即して言えば、「隣国」は「敵」であり、「隣国の隣国」は「友邦」と位置づけられる。だからこそ「隣国の隣国」、すなわち「敵の敵」との関係が重要だとカウティリヤは説く。

だが、「隣国」を支配することに成功したとして、新しい局面が生じる。それまで「友邦」だった「隣国の隣国」が今度は「隣国」、すなわち「敵」になり得るのである。

現代の国際環境で国が征服されたり国境が変わったりすることは多くはないので、このような事態が簡単に起こるわけではないだろう。とはいえ、マンダラが固定的ではなくダイナミックに変遷するものであるように、国と国の関係も同様であるという視点は重要だ。信頼や友好は大切だが、緊張感を失うことは禁物なのである。

インテリジェンス外交の6つの選択

そうしたダイナミックかつ重層的なマンダラの中で最良の判断をするために必要なのが、徹底したインテリジェンスの収集と分析・評価、それにもとづく「外交六計」の選択だった。

本書で詳述した「和平」「戦争」「静止」「進軍」「依投」「二重制作」の6つである。

笠井亮平『『実利論』 古代インド「最強の戦略書」』(文春新書)

そのいずれが欠けていても、適切な結論を導くことができない。臨機応変な対応が求められるのは平時だけではない。検討の結果、「六計」の中で「戦争」が選択されたとしても、戦況や彼我の力の比較を踏まえながら「進軍」や「静止」、「二重政策」といった他のオプションに転じる余地をつねに残しておくことが大切とされる。

中には「依投」のように第三者への庇護の要請、すなわち亡命を余儀なくされる場合もある。それは苦境であるかもしれないが、戦術的な後退と捉えることによって、再起に向けた可能性を残すことができる。

一か八かの大ばくちに打って出るのではなく、長期的な視座に立ってトータルで事を優位に運ぶことが重要というのがカウティリヤのメッセージだと言える。

笠井 亮平(かさい・りょうへい)
岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員准教授
1976年、愛知県生まれ。専門は南アジアの国際関係、インド・パキスタンの政治、日印関係史。著書に『モディが変えるインド 台頭するアジア巨大国家の「静かな革命」』(白水社)、『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』『第三の大国 インドの思考 激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』『『RRR』で知るインド近現代史』(すべて文春新書)、『インドの食卓 そこに「カレー」はない』(ハヤカワ新書)、訳書に『インド外交の流儀 先行き不透明な世界に向けた戦略』(S・ジャイシャンカル著、白水社)など。

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