龍崎翔子<連載コラム>HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど複数のホテルを運営するホテルプロデューサー龍崎翔子がホテルの構想へ着地するまでを公開!
エイジングする建築/龍崎翔子のクリップボード Vol.69
汚れた床は貼り替える。ひび割れた壁は補修する。北欧風の家具と照明を新たに買って、ここぞとばかりに置く。新しくて綺麗、豪華で立派、それが正しいのだと思っていた。
北海道の山奥の温泉街にある、築50年の温泉旅館。広間と、廊下、客室、1部屋ずつくまなく見て回りながら、傷んだ箇所を見つけてメモし、新しく買うべき備品をリストに書き足していた。数年間の休業期間に、壁紙は破けているし、姿見は割れている。畳は薄汚れ、浴場のタイルは温泉成分で変色していた。数年前に改修した部分はあれ、建物の古さや構造上の課題はどうしたって隠しきれない。限られた予算をにらみながら、私は途方に暮れていた。
建物は竣工した瞬間から劣化が始まる。壁紙も、じゅうたんも、タイルも、洗面台も、水道管も、ちょっとずつ傷んでいくのを見て見ぬふりしながら、あるいはなだめすかして誤魔化しながら、通帳残高と施工業者の見積もりとを見比べる。ホテルプロデューサー、と華やかなのは名ばかりで、ほとんどはこんな日々である。
新しい建物が生まれるたびに、嬉しく思う気持ちと同時に、恐ろしさも込み上げる。新しいものはいずれ古くなり、流行り物はいずれ時代遅れになる。やがて朽ちていくものを、命をかけて生み出している。夏しか生きられない蝉が、本当の意味では夏を知らないように、大きな波に乗っている時には波の後ろ側は見えない。果たして経年優化するのか、魔法が解けて陳腐で凡庸な空間になるのかは、誰にもわからない。祈るように、魔法が解けないように、メンテナンスをし続ける、そんなカルマを生きている。
時に、中世ヨーロッパの職人を想う。千年以上昔の古代人による失われた技術で作られ、メンテナンスを放棄されて朽ちていった古代ローマの遺跡を、ありがたがりながらちまちまと補修して使うのである。数十年前の古びた建物を見て、鉄筋コンクリート造の佇まいはやはり美しい、現代ではつくれない贅沢だ〜、などとのたまいながら、せかせかと内装をいじっている私たちの姿と重なるようで、なんだが滑稽ですらある。
住民が減り、異民族が押し寄せ、技術は失われ、世は乱れる。歴史の教科書で習ったことが現実にも起きていて、世界が少しずつ中世へと移り変わっていくのを現在進行形で目撃しているのだから、あながち的外れな印象ではないような気がしている。
三国峠を越えて、白い雪に覆われた白樺の森を抜けた先に、裏寂れた温泉街があった。その一角にある宿は、朽ちかけた観光ホテルのような佇まいをしていた。外壁はひびわれ、くすみ、どことなく物悲しさを漂わせている。中に入るとお香の煙が立ち込め、火鉢の炭がぱちぱちと弾ける音がした。
この宿は、北海道で行く先々の人が熱弁して勧める宿だった。「すごくいい」と皆口々に言うが、どういいのかはなかなか形容されない。ならば、訪れてこの目で確かめてみようと思ったのだった。そして、そんな期待感の斜め上を行くかように、建物はどうしようもなくくたびれていた。壁紙はところどころ破れているし、洗面台は数十年前からそこにあるかのようで、冷蔵庫もケトルも実家の倉庫に長らく眠っていたかのようなデザイン。貼り紙はラミネートされているし、フォントは創英角ポップ体で、もちろんデザインは統一されていない。廊下の随所にある本棚には、およそ誰かに選書されたとは思えないような、さまざまな本や漫画が雑多に並べられていた。
でもなぜか、それが良かった。古い建物も、隙だらけのデザインも、どことなく宿る美意識も、全てが絶妙に調和して、裏寂れた、それでいてなんとも魅力的な旅情を醸し出していた。
雪の降る北海道の侘しい山道を数時間運転した先に、豪華で立派な建物は、別にいらない。灯油の香りが漂う暖かいストーブと、電球色のランプに照らされた薄暗い部屋と、素朴な味わいの食事と、硫黄の香りの立ち込める小さな温泉があればいい。
古いものを無理に新しくする必要も、みすぼらしいものを無理に立派にする必要もなくて、古くなるに任せて、みすぼらしい姿を慈しんだ先に、どうしようもなく愛しい空間ができると知った。そこにはデザインガイドラインも、ワインペアリングも、別に必要ないのかもしれない。
鏡を見て、自分の顔をまじまじと眺めるたびに、ボトックスが切れてきたとか、顔脱毛に行かなくちゃとか、今度ホクロを取りに行こうとか、クマ除去のカウセを予約しようとか、いつも考えていた。カバー力の高いファンデにコンシーラー、パックにアイクリーム。老いに向かって暴力的に突き進んでいく時間の中で、シワひとつシミひとつ許せない、賽の河原の完璧主義。
メンテナンスを手放して、古びていくことに任せていく。そんな選択肢もあるのだとようやく知った。
綺麗で新しいものもいいけれど、身の丈にあっていてなんだか愛しいものも素敵じゃないかと思い始めた、そんな29歳の冬の終わり。
プロフィール
龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。
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