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年を重ねて気がついた、「桃を剥く」という長い長い愛情表現

  • 2025.3.9

うちは父、母、私、妹2人の5人家族だった。

子供が3人いる家庭で全員にくだものを食べさせることの偉大さを、一人暮らしをする今とても痛感する。

◎ ◎

桃は高い。1人暮らしを始めてからは買っていない。

自分が小学4年の頃、唐突に私は食卓に並ぶこの桃という存在が好きだ、と感じた。当時はまだ1番下の妹は生まれておらず私と真ん中の妹との2人だった。

桃はいつも、私たちで食べなさいとフォークは2本しか出ず、末っ子が生まれてからも3本以上出ることはなかった。母が皮を剥き始めるとクーラーの効いた部屋に桃の香りが漂って、桃の存在が意識されてワクワクした。

いつもよく冷えた一口サイズに切られた桃たちが皿に乗って出された。真ん中の妹は桃が好きで、本当に飲むように食べた。大人の一口サイズに切られたモモを小さな口いっぱいに押し込み、押し込まれたモモの分、鼻からふすーっと息を吐く。口に桃が入ってわずか2秒、もはや噛まずに口内で桃の柔らかい果肉は押しつぶされ、頬の膨らみは消えて喉をつたい、お腹に桃が落ちるのを待つよりも早く次の桃をフォークに刺して食べていた。

比喩ではない言葉の表現というものを初めて私は体験した。

私と妹は静かな争奪戦を桃が出るたび繰り広げていたのだが、あまりの鮮やかな食べっぷりにもはや見惚れていた。敵ながらあっぱれ、というかそんな好きならいっぱい食べな、という気持ちになり、わざと自分はゆっくりと食べたりしていた。

この飲むような食べ方は彼女が高校生になっても変わらなかったが、末っ子に皿の最後の桃を譲るようになったのを見て、なんだか感動したのを覚えている。

◎ ◎

桃が出る時の嬉しさの本当の理由に気がついたのは、自分が高校2年の時だった。

この頃、父の経営する会社が一層忙しくなった。母も会社の事務を担っていたため両親の帰宅はいつも遅く、元々家事が得意でない母に代わり私が家事をするようになった。両親は閉店間際のスーパーに駆け込み色々と食材を買ってくれてたので、私は作るのを担当していた。

ある初夏の日に冷蔵庫に桃が入っているのに気がついた。正しく言えば気がついたのは真ん中の妹だが。剥いてほしいとねだられ、その日初めて自分で桃をむいた。貼られたラベルの値段に驚きながら包装を剥ぎ、冷たくなった桃を水で洗って産毛を手でこそぐ。

普段、私は野菜の皮はピーラーで剥いていた。りんごも私は皮のまま食べるのが好きだったし、妹たちのブーイングを無視して皮つきのリンゴを提供していた。つまり、私は包丁であまり皮を剥いたことがなかったし、避けていた。慣れない包丁の角度といい、桃の肌感といい、なんだか生き物を切るようで緊張した。

薄い皮をできるだけ薄く、指を切らないように、桃を落とさないように、包丁を進めつつ皮を剥く……。なんと繊細な作業だろうか、桃はヌルヌルと滑り安定させようと強く握ると柔らかい果肉は指の形に凹んでしまう。

慎重に桃を剥いている私は完全にゾーンに入り、剥き終えたときは小説を読む途中で顔を上げた時のような、戻ってきた感覚になった。シンクにはまばらな長さと厚さの皮が散らばり、左手には初めてにしては綺麗に皮を剥かれ照らされる桃があった。

良い香りが漂っていた。

真ん中の妹に皿を、末っ子にフォークを準備させ、桃を切り出していく。当時私は桃にぐるっと刃を入れて捻ってタネを抜くという技を知らなかったので、タネを避けるように刃を入れて大小さまざまに桃を切り出した後一口サイズになるよう切り揃えた。

桃は食卓へ運び出され、きらきらとした目で食べるのを待つ妹2人はさながら犬のようだった。私は先に食べるように促し、ワッと2人は桃を頬張った。それを眺めながら、冷たさの残る桃のタネに残った実を頬張った。

タネの筋張った感覚を感じながら歯で実をこそいで食べる。昔、母がよくシンクでこうして食べていた。皿に乗った実をひとつフォークに刺して母に差し出したが、母は笑って「ここが1番おいしいねん、剥いた人の特別」と言ってタネのまわりを食べた。

とても懐かしかった。

妹たちが、私の分が無くなるよと声をかける。私は「この美味しいところ貰ったから」と母と同じ言葉を返した。

タネのまわりも甘いが、桃の繊維がスジっぽく、実自体は少なかった。1番おいしいとは私は思わなかった。でも、美味しくなかったことがとても嬉しかった。

シンクに落ちた皮を拾いタネと一緒に生ゴミへ捨てる。桃の値段、皮剥きの手間、私たちに食べさせるために桃を冷やし、剥く。あの頃、私が桃が食卓に並ぶのが嬉しかった理由は、それよりも前の長い時間をかけられた愛情だった。

その愛情を汲み取れる自分が誇らしく、そして、私も妹たちにその愛情を与えられたことが嬉しかった。

◎ ◎

今も私の愛情表現には「桃を剥くこと」が堂々と鎮座している。スーパーで桃を見るたびに、その愛情を思い出す。

■高良のプロフィール
誰に話すでもない、でも誰かに聞いてほしい昔の話を書きました。

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