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梅重、撫子。「ピンク」と一括りにしていた色には美しい和名があった

  • 2025.3.6

これは「桃色」である、と教えられていたら、また違ったのかもしれない。

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女の子に生まれた以上、ベビーグッズはどうにもピンクから逃れられないものだった。服も、靴も、小物も、絵本やテレビの登場人物も。自分で選べる年齢になるまでは、そういうものだと受け入れるしかなかったし、別の選択肢があることすら知らなかった。

4、5歳になり、「どれがいい?」と明確に聞かれるようになって以来、わたしはピンクのものを選んだことはほとんどない。青や紫が好きだった。わたしが「これはもう嫌だ」と拒絶したピンク色の服は、5歳下の弟のものになった。かつてのわたしと同じように、まだ選択権も選択肢も知らない弟は、これまた同じように「そういうもの」として受け入れていて、特に抵抗もしなければ、むしろその色を好んでさえいるようだった。

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ピンクは可愛い。わたしはそう思えなかった。「ピンクは可愛い」とされている、という捉え方をしているだけで、自分の感性がそれを可愛いと定義しているわけではない。

私服はずっとモノトーンか青系統、たまに緑、そんなわたしは小学生の頃から日本史オタクだった。小学生の頃は戦国時代にときめき、中学生になって他の時代にも興味が広がった。偉人や出来事だけでは飽き足らず、日本文化にも手を広げた、その頃である。国語の資料集に、平安時代の装束のページがあった。狩衣(かりぎぬ)、直衣(のうし)、指貫(さしぬき)。裳(も)、唐衣(からぎぬ)、単(ひとえ)、表着(うわぎ)に五衣(いつつぎぬ)。「十二単」というぼんやりしたイメージしかなかったわたしの前に広がるのは、あまりにも色鮮やかで華やかな世界。ページを一枚めくると、今度は、日本の色名一覧と、襲(かさね)と呼ばれる配色の一覧が載っていた。桜色、茜色、珊瑚色、紅梅色、鴇色、唐紅。赤とピンクを重ねた「梅重」、ピンクに黄緑を合わせて「撫子」、深い赤にピンクを乗せたら「紅躑躅」。今まで「ピンク」と一括りに認識していた色は細かく分けられ、また組み合わされ、古の人々の繊細な感性で捉えた季節をもとに、美しい和名を持っていた。

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この時初めて、赤の明度を上げて彩度を下げたあの色を、可愛いと思った。源氏物語などに出てくるような幼気な少女が、こういった色の装束を身に纏っていたら、さぞ可愛らしいだろう、と。これなら、わたしも、着てみたいとすら。

とはいえ、中学生から上背は変わらず、高校生まで制服も指定ジャージもあったから、特に服を買い足すことも、服の趣向を変えたりすることもなかった。どうにも、現代の服には興味がなくて困る。時代装束なら、いくらでも思考が回るのに。

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大学生になって一人暮らしを始め、初めて一人で服を買うことになった時、ふと、今まで気にしていなかったピンクのTシャツが視界に入った。まだ、「ピンク」を身につけることには抵抗がある。しかし、これを「薄紅梅色」のTシャツだと思えば、少しだけ気分が上がった。手持ちの、薄萌黄の――薄い黄緑色のパーカーを羽織れば、「杜若(かきつばた)」の襲になる。ことば一つで人の心はこんなにも容易く動いてしまうのかと苦笑しながら、薄紅梅色のTシャツをお迎えした。

家に帰って、想定していたコーディネートを試してみる。やわらかいピンクのインナーに、黄緑色のパーカー。桜餅にしか見えず、笑ってしまった。チャックを首元まで上げて、どうにかその印象を回避する。ちらりと覗く程度になった「ピンク」は、それでもわたしの第一歩としての存在感を持ち、可愛かった。

■わらびのプロフィール
学生時代に時代装束に目覚めた日本史オタク。趣味で狩衣や十二単、奈良時代の朝服などを自作したこともある。好きなタイプは藤原義孝。今のところ、手持ちのピンクの服は一枚。

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