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【発売前重版】くどうれいん新刊試し読み『有休の日のたまご丼』休んだ気がしない日に

  • 2025.3.7

エッセイ、短歌、小説など幅広い分野で活躍する作家・くどうれいんさん。2025年3月に刊行された 『湯気を食べる』(オレンジページ刊)は、ファン待望の「食べること」にまつわるエッセイ集。

暮らしや旅のなかで出会った印象的な「食」や、大切にしている東北の「食」、そして自分の人生に納得するための手段としての「自炊」について。48の作品から、くどうさんのみずみずしい感性に触れられます。

この本より、くどうさんが自分のためのお昼に作り続けている、という「たまご丼」のエッセイをお届けします(本文より一部抜粋) 

たまご丼

ときどき、家でひとりの昼食に無性に食べたくなるものがあって、それをわたしは「たまご丼」と呼んでいる。必要なものは白飯と卵とサラダ油とごま油とお醤油。冷凍ご飯をチンしている間に茶碗を用意して、そこで卵を溶く。卵はほんとうは一個でいいのだけれど、仕事がうまく進まずにむしゃくしゃしているような日は二個でもよい(ただしその場合はご飯も多めに用意したほうがいい)。

卵は白身がざっと切れていればそこまで細かく溶く必要はない。小さめのフライパンに(ちょっと多かったかな)と思うくらいのサラダ油を入れて、そこに(あーあ)と思うくらいのごま油を足す。最初から強火にして、どう考えても熱くなったな、と思うくらいまで熱する。そこに卵液を素早く加える。じゅわ! と思ったより大きな音が鳴って、ごま油の香りが立ってくるから慌てて換気扇のスイッチを入れる。

みるみる卵に火が通るから、熱された油を卵に通すように、丸い輪郭を切って大きく二、三度菜箸で混ぜて火を止める。もうちょっと火を通したいなと思うくらいで触るのをやめて、卵液の残っている茶碗に温まったご飯を盛る。そこにフライパンで熱された油ごと、たまごをのせる。ほんの数十秒余熱が入っただけでたまごは完璧な半熟になり、油で濡れてぎらぎらと光っている。そのたまごの上にお醤油をしっかり回しかける。だし醤油でも最高だけれど、あくまでたまごとお醤油だけ。葱だの鰹節だの、余計な飾りをのせたりはしない。ほかほかの白飯に、油でてらてらになった半熟のたまご、そこにお醤油。それだけ。それだけなのがわたしにとって至高のたまご丼である。いそいで食卓へ持って行って、大口ではふはふと食らいつくのがいい。
 

たまごの甘さ、油の香ばしさ、がつんと来るお醤油の塩味。咀嚼するごとにうまみが増してうっとりする。どんぶりでなく茶碗で食べるというポイントも譲れない。炒飯のような一瞬と、たまごかけご飯のような一瞬が時折ある。むちんとした白身の部分と、とろける黄身の部分それぞれによいところがあって、たまご丼はそういうむらを愛するための料理かもしれない。

あっという間に平らげたら、油と醤油と卵液がこびりついた茶碗に水を入れて洗って乾かす。そこまでがこのたまご丼だ。作ってから食べきって片付けるまで、五分くらいで済んでしまう。それから冷たい水をごくごく飲んで、またデスクに向かう。シンプルで豪快ゆえに、このたまご丼以上に家でなければ食べられない料理はないような気がしてくる。

はじめてこれを作ったのは、会社員の頃、休日出勤をしすぎて平日に代休をとらねばならなくなった日の昼だった。折角だからどこかに行こうかと思っていたが、どうして平日の休みまで活動的に過ごさなければならないのかと腹が立った。家でじっとしていたら仕事の電話が何本も掛かってきて、こんなの休みじゃないんですけど! と頰を膨らませながら作った。適当に作って、行儀が悪いことにシンクの前で立って食べたところ、そのあまりのしっくりくるおいしさに目が開いた。それからというもの、たまご丼は労働の喜びのようなものとして、たまのご褒美のようなお昼ご飯になっている。

(くどうれいん『湯気を食べる』より)

プロフィール

くどうれいん

作家。1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書にエッセイ『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社) 、『うたうおばけ』(講談社文庫) 、『桃を煮るひと』(ミシマ社) など。中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。

エッセイ・写真/くどうれいん プロフィール写真/表萌々花 記事編集/谷本

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