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30年前、日本中を夢中にさせた“カリスマ俳優” 一世を風靡し、国民的スターに登り詰めた“黄金時代”

  • 2025.3.26
(C)SANKEI

1990年代、日本のエンタメ界をけん引した国民的スター

「30年前の今頃、どんな俳優がスクリーンやテレビに出ていたか覚えてる?」

1990年代といえば、テレビドラマは“月9”黄金期を迎え、音楽は小室ファミリーやビーイング系がヒットチャートを独占。バラエティ番組もお笑いブームとともに大盛り上がりを見せ、日本中がメディアの勢いを感じていた時代。

そんな中で、まさに“時代の顔”として絶大な人気を誇った俳優がいた。

織田裕二——クールさと熱さを併せ持つその存在感は、ドラマでも映画でも圧倒的な輝きを放っていた。

その魅力と功績を、時代背景とともに振り返ってみよう。

「月9の顔」として一世を風靡した織田裕二とは?

(C)SANKEI

織田裕二が一躍国民的スターとなったきっかけは、1991年に放送されたフジテレビのドラマ『東京ラブストーリー』。彼が演じた永尾完治、そして鈴木保奈美演じる赤名リカとの切ない恋模様は、当時の若者たちの心を強く揺さぶった。

この作品が“トレンディドラマ”の象徴として記憶されているのも、織田裕二の存在あってこそだ。

その後も、『振り返れば奴がいる』『お金がない!』『恋人よ』『真昼の月』など、次々と話題作に出演。シリアスからコメディ、ヒューマンドラマまで幅広いジャンルで主演を務め、まさに“ヒット請負人”として名を馳せた。

1997年には、ドラマ『踊る大捜査線』がスタート。青島俊作という型破りで情熱的な刑事役は新しいヒーロー像として多くのファンを生み出し、織田裕二の代表作のひとつとなった。

なぜ織田裕二は社会現象になったのか?

織田裕二が時代を象徴する俳優となった理由は、その“親しみやすさ”と“情熱の演技”にあった。

彼の演じるキャラクターはいつも全力で、真っすぐで、どこか不器用。でもだからこそ視聴者は心を打たれ、感情移入せずにはいられなかった。笑わせて、泣かせて、考えさせてくれる。そんなドラマの主人公を、織田裕二は何人も生み出してきた。

また、彼の熱量は演技だけにとどまらなかった。スポーツキャスターとしても活躍し、TBSの世界陸上では長年にわたってメインキャスターを務めるなど、“熱い織田裕二”はメディア全体で愛されたキャラクターでもあった。

そして、歌手としても存在感を放っていたのも忘れてはならない。1997年の『Love Somebody』(※『踊る大捜査線』主題歌)や『歌えなかったラブ・ソング』など、主演ドラマと連動する形で音楽でもヒットを記録した。

織田裕二がエンタメ界に与えた影響とは?

織田裕二の登場は、俳優という存在に“エネルギー”を持ち込んだ出来事だった。

クールでスマートなだけではない。汗をかきながら突き進み、ときに泥臭く、不器用にぶつかる姿は、それまでの“かっこいい”俳優像に新しい解釈を与えた。

特に『踊る大捜査線』の成功は、刑事ドラマのフォーマットを一変させ、映画版『踊る大捜査線 THE MOVIE』は興行収入100億円を超える大ヒットに。シリーズ化され、スピンオフも次々に制作されるなど、日本のテレビドラマと映画の“連動ビジネス”の先駆けにもなった。

また、バラエティや音楽などジャンルをまたいで活躍するマルチタレントの先駆け的存在でもあり、彼のスタイルは後の俳優・タレント像にも少なからず影響を与えたと言える。

今も記憶に残る「時代の顔」

1990年代、織田裕二はまさに“テレビの中心”にいた。

ヒット作を連発し、役ごとに異なる魅力を見せながらも、どの役でも“織田裕二らしさ”が失われなかったのは、彼の持つ唯一無二のエネルギーと情熱があったからこそ。

「織田裕二といえば、あのドラマ」「あの曲が流れると当時を思い出す」——そんな記憶が、世代を超えて今も多くの人の心に残っている。

これからも、彼が駆け抜けた90年代のエンタメ黄金期は、懐かしさと共に語り継がれていくだろう。


※この記事は執筆時点の情報です。