『VOGUE JAPAN』は、第97回アカデミー賞を控え、日本人初の長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート監督となった伊藤詩織さんを2月11日に取材しました。その後、13日に東京新聞の望月衣塑子記者に対する(伊藤さんからの)提訴が明らかになり、20日には日本外国特派員協会で元代理人弁護士らが会見を実施。同日には、伊藤さんの記者会見と上映会が予定されていたものの体調不良により中止、代わって伊藤さんの声明が発表されました。これを受け、本記事は伊藤さん側より申し入れがあった一部の内容を再編集し、掲載しています。
第97回アカデミー賞授賞式は、現地時間3月2日に開催予定です。
8年間の記録と向き合う覚悟
──本作の主な素材となった8年間の記録を続けた動機は何だったのでしょうか。
自分の身に起きていることを記録すること自体は、それほどつらい作業ではありませんでした。ただ、約450時間にも及ぶ映像や音声を編集する過程は、サバイバーとしてはとても困難でした。記憶から抜け落ちていることも多く、それらを追体験することは、閉じかけていた傷口を開き洗うようなつらい作業でした。
一方で本を書いたときとは異なり、映画製作には編集者やプロデューサーなど、少人数でもチームがいます。私のプライベートな瞬間をとらえた映像など、個人的には使いたくないものもありましたが、それを残すかどうかの判断をチームで話し合えたのは大きなサポートになりました。本作をチームで作り上げられたことも、私にとって大きな意味をもっています。
──本作の第97回アカデミー賞ノミネーションをどのように受け止めていますか。
この1年間、映画とともに世界中をめぐり、さまざまな観客と繋がり、想像もしなかった素晴らしい評価をいただきました。アカデミー賞がこの映画のゴールではありませんが、多くの人が期待し、また応援してくださっていることを実感しています。フィルムメイカーとして、より多くの観客に作品が届くことを心からうれしく思います。
自分でもここまでの展開は想像もできませんでした。例えば、ノミネーションがどんなふうに発表されるかさえ知らなかったので、本作名が呼ばれた瞬間も「ショートリスト(ノミネート作品候補)の題名がすべて呼ばれているんだな」と、よくわかっていませんでした。やっと自分たちの作品がノミネートされたと認識した瞬間は、過去10年間私のそばにいて支えてくれた親友たちに囲まれていて、「うれしい」というよりは「私たち、よくここまでサバイブしてきたよね」という気持ちでいっぱいになりました。
「公共の利益」という選択──防犯カメラ映像使用の真意
──本作で使用されているホテルの防犯カメラ映像について、「公共の利益」を優先したと話されていますが、その判断に至った経緯を教えていただけますか。
私の受けた被害は刑事事件として不起訴となりました。「証拠が不十分」という理由でしたが、この防犯カメラの映像は唯一残された映像証拠でした。被害届を出したときに警察と検察から、「ブラックボックスのなかで起きたことだから、私たちにはわからない。証拠がない」と何度も言われ続けていたんです。そして逮捕状が出ていたのにもかかわらず、逮捕直前に現場で取りやめになった。何かしらの圧力がかかったんじゃないか──そう思いました。
警察はきちんと捜査をしなかったし、メディアも検証しなかった。そんな背景で、当事者の私自身がしなければいけない調査がいくつかありました。そのなかで唯一映像証拠として残っていたのが、このホテルの防犯カメラの映像です。本映像を裁判でのみ使用すること、私と山口氏以外の顔がわからないように加工する費用として私がホテルに45万円を支払うことを条件に裁判所に提出されたものです。当時はそうしないと得られなかった、私に同意がなかったという証拠の映像です。
今争点となっているのは、本映像を裁判の外で使わないでほしい、というホテルとの約束を破ったことについてです。一方で民事訴訟第一審時には、私がホテルから出てくる映像は勝手にリークされていて、それが私が同意していた証拠とされて、さらなる誹謗中傷を受けました。そのときホテルからは流出を止める何の法的措置もとられませんでした。本作公開にあたり、ホテルに確認をとったものの許諾は得られず、私たちは裁判で使用した映像そのものではなく、ホテルの内装やタクシーの形などにCG加工をして作り直しましたが、一部山口氏が私をタクシーから引っ張りだし、かついで、自力で歩けない私をホテル入り口まで引きずった動きだけは使いました。
防犯カメラは起きうる犯罪を未然に防ぐためだけではなく、被害を証明するためにも多く使われるもの。私にとってはあれが同意がなかった性犯罪の証明になります。ルールを守ることも大事ですが、公益性の観点から、本来そのルールが正しいのか、ホテルが性犯罪の現場の証拠を渡すのにつけた条件が適切だったのか、本作を観て議論してほしいです。そこから考え直す必要も含めて、映像を本作で使用しました。
──映画に登場する「女性記者の会」で自らの性被害を語る女性、タクシー運転手、捜査員からの出演許諾についても説明していただけますでしょうか。
捜査員の方は、最初は捜査を拒みながらも、徐々に色々な情報を教えてくれて捜査を進めてくれた方です。彼には個人的に感謝していますが、同時に逮捕を直前で取り止めた大きな組織に属するひとりであり、第三者ではありません。なので顔は出さず、声を変えて使う決断をしました。
逮捕を取り下げた理由について、私は後日、警視庁と検察庁にも取材を依頼をしましたが、一度も返事が来ませんでした。だから、何が本当に起きたのかを話してくれた捜査官との会話の記録は、絶対的な公益性があると信じています。逮捕状が出ているのにもかかわらず、警察庁トップの独断で逮捕を止める──。法治国家でこのような行為が行われてよいのでしょうか。これは調査報道として公益性があると思います。
2025年1月14日、「性被害を語る女性の映像を許諾なく使用」という望月衣塑子記者による記事が東京新聞デジタル版に掲載されましたが、女性記者が集まる会で性被害を語った女性は出演許可をくださっていますし、応援もしていただいています。東京新聞に訂正を求めたところ2月7日には元の記事に付記する形式で謝罪文が掲載され、記事内容が一部訂正されました。
なお、映像を使うことの承諾が抜け落ちてしまった第三者の方々には、心よりお詫びします。最新バージョンでは個人が特定できないようすべて処理します。今後の海外での上映についても、差し替えなどできる限り対応します。
法改正がもたらした変化、そしてさらなる課題
──伊藤さんの告発後、日本では性暴力に関する法改正がありましたが、これらの変化をどのように評価されていますか。
性的同意年齢が13歳から16歳に引き上げられたことは大きな進展です。また2023年7月には、強制性交等罪と準強制性交等罪が統合され、名称が「不同意性交等罪」に変更されたことも重要な変化でした。以前は被害者が脅迫や暴行の程度を証明しなければなりませんでしたが、今では被害者の同意を基準に判断されるようになりました。
もし私の被害が今起こっていたら、ホテルの防犯カメラ映像を見せることで、違う結果になっていたかもしれません。一方で被害時に体が固まってしまい、同意を表現できない被害者が70%もいるという研究結果もあります。名称は「不同意性交等罪」になりましたが、まだ多くの性犯罪が現実には「同意」に基づいての判決となっていない背景も。本作が同意についてもう一歩踏み出して話すきっかけになればと思いますし、いちサバイバーとして、「私は同意しなかった。私の意思ではなかった」と法的に認められるのことが被害者にとってどれだけ大きなことなのか──これまでの生活に戻れるか否かに影響すると知っています。
私の事件は民事で勝訴したものの、刑事では「不起訴相当」と議決され、今でも法的には山口氏のことを「犯罪者」と呼べません。
──たしかに法改正以降も、性加害が大きな社会問題になり続けています。そんななか加害者側に求めることや、加害者を増やさないために伝えたいメッセージなどはありますか。
本作を通して伝えたかったことの一つが、世間が抱いている“被害者像”を崩すこと。というのも、被害者だったら泣いているべき、被害者らしい服装をしているべき、強い女性でいてはいけない……「被害者はこうあるべき」というさまざまなマスクを、私もかぶされそうになったからです。
そもそも、さまざまな人々が抱く被害者像のマスクをかぶらないと、性被害を信じてもらえないという風潮がおかしいのではないでしょうか。映画には、私が友達とふざけてるところやお酒を飲んでるところなど、個人的には入れたくなかった映像も意図的にすべて入れました。完璧な被害者像なんてない。それを伝えたかったんです。
#MeTooと個人の物語を超えて
──一方著書では、日本の「#MeToo」運動の先駆けと見られることについて抵抗がある、と書かれています。
先駆け、というよりは“「#MeToo」の人”と呼ばれることに抵抗がありました。「#MeToo」は本来一人一人が声を上げ、連帯して広がっていく運動なのに、私だけに注目が集まることでそれがムーブメントではなかったことを表してしまうように感じます。日本の「#MeToo」はムーブメントというよりは、モーメンツだったのかなと思います。また、私への誹謗中傷を見て、ほかの人が声を上げにくくなってしまったのでは、と心配するときもあります。
本作は、「日本へのラブレター」のつもりで作りました。日本を貶める意図は全くありません。私は日本を、日本の人々を、自分が育ったところを愛しています。ただ、女性たちはもう痛みを我慢しなくてもいいと思うんです。本作のキャンペーンでいろいろな場所へ旅し、そこで才能にあふれ、多言語を話す、たくさんの日本人女性たちに出会いました。彼女たちが、性加害でなくても何かしらの痛みを感じて、日本を去っていることを日本の社会は認識すべきです。社会の資産となる多くの女性を日本は失っています。
──本作内でも映される脅迫やハラスメントにより、イギリスへの移住を余儀なくされたそうですね。
性被害を告発した2017年、私に対する誹謗中傷がひどくなり身の危険を感じるほどでした。ただ、「みんなが黒と言っても私たちは絶対にあなたを信じる」と支えてくれる親友たちがいました。また、イギリス在住のふたりの女性が、見ず知らずの私に対し「うちに逃げておいで」と助けてくれたんです。
もし私が日本から逃げられなかったら、日本にしか自分のアイデンティティがなかったら、私は告発できなかったと思います。「ここでしか生きていけない」と思う被害者の方に、私と同じように声をあげて告発しなさい、とは絶対に言えません。まずは生き延びることが最優先だからです。それほど日本のなかで声を上げることのは、すごく難しいことだと思います。
たまたま英語を話すことができて、国外に繋がれる人がいたからこそ、日本に住めなくなっても「違う場所で生きていける」と思えた。だから告発できたので、私はとても幸運だったと思います。ここじゃない世界がある、自分が生きるための場所があると信じることができたから生きてこれました。それはすごく特権的ですね。
トラウマと創作。映画製作が教えてくれたこと
──映画製作は伊藤さんご自身にどのような影響を与えましたか。
セルフドキュメンタリーを撮って思ったのは、どんな人にもトラウマはあるということ。そのトラウマとの向き合い方は人それぞれですが、私にとって何かを製作することは、とても重要な作業でした。映画でも、音楽でも、本でも……それらを公にしなくとも、何かを創作することで傷と向き合い、癒していくプロセスは素晴らしいものだと感じています。
私自身、本作を作るにあたり多くの作品からインスピレーションを受けました。例えば、『娘は戦場で生まれた』というシリアのジャーナリストによる作品など、監督自身が自分にカメラを向けるドキュメンタリーから多くを学びました。そういった作品に触れられたからこそ、この映画を作ることができたので、私もその物語を紡ぐ連鎖の一部になりたいと思います。
──クラウドファンディングで製作中のプロジェクト『ユーパロのミチ』も控えていますね。
『ユーパロのミチ』は北海道夕張市を舞台にしたドキュメンタリーです。最初は高齢化の問題で注目されていた夕張市で、孤独死の取材を始めたのがきっかけでした。しかし実際に取材を進めると、炭鉱文化の繋がりから、近所同士で助け合って生きている姿が見えてきました。東京では隣に誰が住んでいるかも分からない状況なのに、夕張では気づいたらドアノブにおかずが掛けられているような、助け合いの文化があったのです。
当初は数年で完成させる予定でしたが、夕張市は日本で唯一の財政破綻をした町で、借金返済の期限も近づいています。まだまだ夕張の「これから」を見届けたいという思いがあり、撮影を続けています。応援してくださっている方には先に『Black Box Diaries』の製作を終わらせてしまい申し訳ないと思っていますが、完成させる予定です。
日本公開への希望と葛藤
──最後に、『Black Box Diaries』の日本での公開についてお聞かせください。
日本での公開目処は現在のところ立っていません。アカデミー賞にノミネートされたことについてのインタビューも、日本のメディアからはありませんでした。日本人監督として初めてこのカテゴリーでノミネートされたことは、私にとって誇りにしたい出来事なのに日本のメディアが沈黙を守り続け、取材自体がなかったことが一番悲しかったですね。
他方、多くの助言をいただいた支援者の方々に、心から感謝します。適切な対応をした上で、映画を日本でも公開したいと思っています。
海外に移住したまま自分に起きたことに対して背を向ける選択もあったと思います。妹や友人たち、そしてこれから日本で生きていく次世代の存在がなければ、本作を作ることはなかったかもしれません。だからこそ、本作を通じて日本の社会に向き合い続けたいと考えています。
Photos: Courtesy of Black Box Diaries Text: Waka Ikeda Editors: Nanami Kobayashi, Yaka Matsumoto
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