休息の質を上げようとするときの壁になるのは何か。アメリカ・ロサンゼルス在住のジャーナリスト、河原千賀さんは「スマホの使用時間が長くなればなるほど、情報整理のスピードが遅れてしまい、記憶の定着やモチベーションが減退する。カリフォルニアにはそれらをシャットアウトし、質の高い休息を可能にする高級リトリート施設がある」という――。(第2回/全2回)
※本稿は『グーグル社員はなぜ日曜日に山で過ごすのか』(PHPビジネス新書)の一部を再編集したものです。
IT企業のCEOも10日間の「スマホ断ち」休暇
コロナ禍に、セールスフォースのマーク・ベニオフCEOが10日間にわたり、フレンチポリネシアへデジタルデトックスのバケーションに出かけた、と報じられた。
あなたはこのニュースを目にして、何を思うだろうか?
私が住むカリフォルニアには、有名なデジタルデトックスの施設がある。
施設のウエブサイトを見ると、600エーカー(約2.5平方キロメートル)の敷地は日本風のオアシスで、竹林があり、池には鯉が泳ぐ。
チェックインと同時に、スマホやコンピュータ、アップルウオッチなどのデジタルデバイスの保管が奨励される。「気を散らすものを取り除いて、あなたの内なるZenを滞在中に見つけなさい」とのことだ。
スパトリートメント、ヨガやジムなどのアクティビティ、栄養バランスの取れた美味しい食事、瞑想しながら歩く迷路や、自然の中をハイキングできるトレイルもある。
1週間の滞在費は約1万3000ドル。日本円で、ざっと200万円。(2024年5月換金レート、1ドル約154円)。桁けたを間違えてはいけない。20万円ではなく200万円だ。
少し贅沢なリトリート、といったところだろうか。
リトリートとは、いつもの生活環境からいったん離れて自分と向き合い、心身のケアをしながらゆっくり過ごす「癒し」を目的とした休日をいう。
こうしたデジタルデトックスを目的としたリトリート施設は、マリブやサンディエゴなどにもあり、世界的企業の経営者たちがこぞって押し寄せるムーブメントになりつつある。
デジタルデトックスという「新習慣」は高価なものであり、そのリトリートは、裕福なアメリカ人のちょっとしたステータスにもなっているようだ。
短期間のデジタルデトックスでは効果がない
もっと手軽にデジタルデトックスしたければ、スマホもコンピュータもどこかにしまえば良い。これならいっさいの出費は要らない。
しかし、そう簡単にできないのは想像の通りだ。自然の中をハイキングしたり、入念にマッサージをしてもらったり、美味しい料理を楽しんだりでもしていないと、暇な時間、ついスマホに手が伸びてしまう。
では、高価なリトリート施設で1週間過ごせば、本当にデジタルデトックスできるのだろうか。
たしかに心身をゆっくりと休めて、リフレッシュできそうだが、2021年のスタディ(Sage Journals, ‘Digital Detox: An effective solution in the smart phone era?’, 2021)によると、短期間のデジタルデトックスでは、不安の解消やウェルビーイングにはそれほど効果がないようだ。
それより大事なのは毎日のマインドセットだ。
カリフォルニア大学で脳神経学を研究するアダム・ガザリー教授は、「日常における小さな一歩の繰り返し」の大切さを訴える。私たちは、日常生活の中でデジタルデバイスとの適切な距離感を探っていく必要があるのだろう。
スマホ依存は記憶力や意欲を低下させる
そもそも、なぜ、デジタルデトックスが必要なのだろうか。
スマホはとても便利で有益なテクノロジーだが、知らない間に「依存症」になっている。大切な時間が浪費されているだけでなく、身体や心、人間関係に影響が出ているのは間違いない。
象徴的なのが、記憶力や意欲の低下だ。
私たちは普段、ぼんやりする時間を利用して脳の情報整理を行なっている。
ところがスマホの使用時間が長くなればなるほど、情報整理のスピードが遅れてしまい、記憶の定着やモチベーションが減退する。散らかった部屋では、集中できず勉強がはかどらないと言われるのと似ている。
米国精神医学会は、「インターネットゲーム障害」の診断基準は示しているものの、スマホ依存、ネット依存、SNS依存を証明する根拠は定義していない。しかし、それらがアルコール依存症やギャンブル依存症と同じくらい深刻な問題になっているのは明らかである。
「自分は大丈夫だろう」と高を括くくっているあなたも、デジタル依存症になっていないかどうかを確認するために、ここで簡単なチェックをしてみてほしい。
デジタル依存症チェックリスト(Damon Zahariades, Digital Detox を参考に作成)
□ 着信音が鳴ると、本能的にスマホに手がいく
□ 通知サインがあって、すぐにスマホを確認しないと不安になる
□ インターネットに接続できないと、憂鬱ゆううつになる
□ テクノロジーの使用による遅刻、仕事の期限に間に合わないことがよくある
□ ソーシャルメディアをチェックすると、恍惚こうこつ感が得られる
□ 寝室にスマホやコンピュータを持ち込む
□ オンライン使用時間の影響で、睡眠時間が減る
□ 以前は楽しんでいた活動が、楽しく思えない
□ 人間関係がぎこちなくなる
□ デジタルデバイスの使用を制限しようと試みたが、失敗した
適切な付き合い方を探る
デジタルデバイスとの付き合い方を根本から変えるのは容易ではない。
自己嫌悪に陥ってしまうかもしれないが、安心してほしい(それは決して、あなたの意志が弱いせいではない)。
テクノロジー企業は、人間の心理を熟知したうえで製品やサービスを開発し続けており、その流れには抗えないからだ。
だから先に述べたように、デジタルデバイスとの適切な付き合い方を探っていかないといけないのである。
テクノロジーは私たちを操っている
ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでマーケティング学を研究するアダム・オルターは『僕らはそれに抵抗できない――「依存症ビジネス」のつくられかた』(ダイヤモンド社)のなかで「大量消費のために、行動依存を流行らせる企業の企みがある」と主張する。
私たちが毎日、スマホやパソコンで多くの「アテンション」を払い、より長く「時間」を費やすこと。私たちの時間が、企業にとっては利益に変わる。注目すること、関心を払うことにお金が集まる構造になっているのだ。
検索傾向からあなたの好みや関心は把握され、気を引きそうな商品や話題を次々に提供し続けるのだ。
消費者はそういった広告に買わされるものかと警戒をするようになったものの、SNSでインフルエンサーが使っていると、つい欲しくなってしまう。
フォローしているインフルエンサーが、ジューサーを使って野菜ジュースを作るのを見ると、自分もそのジューサーを使えば、そのインフルエンサーのように健康で活発になれる気がする。
このようにネットを介した広告は、あの手この手で私たちの興味・関心を引こうと躍起やっきになる。
何気なく見ている情報は自覚していなくても潜在意識にどんどん取り込まれるから、この消費習慣を食い止めるのは容易ではない。
操られるのは、消費を促す行動だけでない。思考も無意識に操られている。
じつは、「意見」はとても影響されやすく、頼りにならないものなのだ。普段から周りに合わせて、意見をコロコロ変えたりしていないだろうか。有名な人が意見していると、そうなのかな、と鵜呑うのみにしていないだろうか。
フェイクニュースは、新たな社会問題になっている。脳は馴染なじみがあるものに、真実性を付加させる特徴があるので、正しくないニュースでも、繰り返されると真実に思えてきてしまう。
一度、情報が脳内に取り入れられると、それが真実であろうがなかろうが、その影響を取り除くのは難しい。そのニュースが感情を大きく動かす刺激的なものなら、なおさらだ。わざと、大げさに騒ぎ立てるのには、目論見があるのだ。
もう、おわかりだろう。
私たちは娯楽に満ちたソーシャルメディアを通して、ペットのおもちゃからワクチン接種の可否まで、あらゆる選択の影響を受けてしまっている。
スマホは認知バイアスを助長する
ソーシャルメディアの出現によって、自分に都合の良い情報や、自分の意見をサポートするような情報ばかりを集める傾向も出てくる。これを行動経済学では、「確証バイアス」と呼ぶ。
確証バイアスは、興味のある情報ばかりが提供されるアルゴリズムによって、増幅される。そうした情報を見ては、「やっぱり自分は間違っていない」と確証してしまう。
また、ソーシャルメディアやオンライン・コミュニティは、同じ興味を持つ人たちと出会えるし、つながっている感覚や、受け入れられている安心感が得られる。
その反面、自分と違う意見を持つ人や、自分の価値観に合わない人との交流を、避けることもできるので、やりとりしていない人たちの存在を受け入れにくくなってしまう。
同じ価値観を持つ人や、自分が受け入れられる情報のバブルの中にいると、それが全世界だと信じてしまうのだ。
このような「認知バイアス」に陥らず正しい判断をするためには、何をすればよいだろうか。ぜひ、「自分軸」を鍛えてほしい。
「自分軸」とは、自分勝手でわがままになったり、物事を感情や気分で判断したりせず、あらゆる価値観を受け入れるために必要な冷静で公正な判断軸のことだ。
「投資の神様」がガラケーを愛用していた理由
氾濫する情報は、いとも簡単に私たちの選択や行動を揺るがす。
投資の神様として知られるウォーレン・バフェットが、投資をする際の判断がブレないように、ガラケーの携帯電話を長年使っていたことは有名な話だ(最近、ついに貰い物のiPhoneに替えたが、電話をかけるくらいで他の機能は使っていないそうだ)。
巷ちまたに溢れる情報に翻弄されない強固な「自分軸」を持っていないと、投資の神様にはなれないのだろう。
言い換えれば、ウォーレン・バフェットですらバイアスにとらわれてしまうのだ。
河原 千賀(かわはら・ちか)
アメリカ在住ジャーナリスト
大阪生まれ。1988年よりアメリカ在住。大谷大学短期大学部幼児教育学科、カリフォルニア州立大学心理学部卒業、同大学院教育心理学部修士課程修了。アメリカ人と結婚し、3児の母となる。ロサンゼルスの幼稚園教師として勤務後、フルコミッション制の不動産エージェントに転職。離婚後、2018年より、ロス・パドレス国立森林公園内の、山々に囲まれたプライべートコミュニティに在住。星空の美しい自然の中で、人間として最高な人生とは何かを研究し、人間力を回復するための数々の活動を行なっている。著書に『グーグル社員はなぜ日曜日に山で過ごすのか』(PHPビジネス新書)