マスメディアやオピニオンリーダーは被災地を扱う際、しばしば「復興の遅れ」を嘆く。背景には、政府・行政への批判や被害者への同情の年賀あるだろう。しかし、その「正義感」や「善意」に憤る人が被災地にはいる。なぜか。それは、災害復興に関わる人々が、自らの歩んできた被災後の時間を否定されたように感じるからだ。
その現場にいる多くの人が、不足点はあるにしても復興が少しずつ着々と進んでいること、自らがその復興を進めてきたプレーヤーの一人であることを自覚している。公務員も土木作業員もコンビニ店員も農家も、その多くが被災者であり、復興の担い手であり、ベストを尽くしてきた。その現場の苦労を知らない外野の人間が、偉そうに評論をし、枝葉末節をあげつらって「何も進んでいない」などと皮相的に結論づける。これは、現場の努力への蔑みであり、これほどの無責任な侮辱はない、と。
この不幸で、埋めがたいズレは昨年の能登半島地震についても、14年前の東日本大震災についても、同様に起こり続けている。「正義」や「善意」をいかに共有し、ズレを解消できるだろうか。Commons(コモンズ)という概念がある。多義的で多様な領域・文脈で使われるが、多くの場合「共有され利用・管理されるもの」という意味は共通している。災害の現場となった土地の現実と未来とを、立場を超えて真に持続的に共有する可能性をいかにひらくことができるか。
そんな問題意識をもとに、私は今年1月、「Fukushima Commons」と名付けた2泊3日のツアーを実施した。企画段階から意識したのは、参加者がツアーを通してその土と水をいかに体感できるか、その現場と人の元を訪問できるかということだった。 訪問先を選択した際の切り口の一つは酒。いま福島では、原発事故により住民が強制避難の対象となり、一度は「無人の土地」となったエリアに、酒造りの文化が芽吹き始めている。
その一つ、「naturadistill」は昨年11月、川内村にオープンしたクラフトジンの蒸留所だ。代表の大島草太は大学進学で県外から福島にやってきた。そこで被災地の土地と人に触れ、その魅力を伝えようと学生ながらキッチンカーで地元産品を生かしたワッフルを売り歩き、フルーツハーブティーを開発し、地域のクラフトビール醸造所で働き、そして、ジンに至った。「ジンには木の実でも草でも何でも、そこに香りを込めることができる。この地域の豊かな水と土地の魅力とを詰め込んで世界中に届けることができるんです」
蒸留設備が入る前の、元は倉庫だった建物を訪れたとき、そう説明してくれた大島はまだ20代。蒸留所のオープニングイベントには村長や地元メディアが勢揃いしていた。会うたびにますます落ち着きと確信とを備えていくように見える。若き求道者の成長もまた、ここでは、見ることができる。
同じく、かつて無人の街になることを余儀なくされた南相馬市小高区では、昨年末、「ぷくぷく醸造」が自社蔵で造った初めてクラフト酒の発売を開始した。この蔵を率いる立川哲之も、震災の翌年に大学に入り、ボランティアとして被災地に通いつめ、東北と酒の魅力を発信するイベントなどに携わった経験をもつ。一度は一般企業に就職したが、かつて出合った酒のもつ魅力が自分を掴んで離さないことに気付き退職。そこから、夏は全国の酒蔵全てを回るべく行脚し、冬は宮城の酒蔵で修行する生活がはじまったという。
「福島の、この土地のコメで世界一うまい酒を造りたい」──そう心に決めた立川の最初の一手は「ファントムブリューワリー」。自前の蔵を持たない酒造りだ。全国10か所以上の蔵に依頼して、福島のコメを持ち込んでの醸造をはじめた。評判は上々。そして昨年、築80年の古民家を改装した自前の蔵でつくったはじめての酒の販売をはじめた。
「Fukushima Commons」ではnaturadistill、ぷくぷく醸造をはじめとする、いまの福島の災害復興の最前線を巡った。「復興が遅れている」。そうかもしれない。だからこそ、彼らの想いと行動は 生まれたのだろう。一度は「永遠の死の町」になる可能性を誰もが想像した場所の、その土や水に相対し、それを再生しようとする彼らのその姿は、上から・外からの無責任な批判のかわりに、このCommons(コモンズ)をどうするのか、と突きつけてくる。
彼らは災害時、その中心にいたわけではない。 ただ、災害復興の、その初期の段階に関わり、人生観が一変するような衝撃を受けたことが原体験となり、自らの目標と使命とを見つけ、たゆまぬ 努力を続けてきた。そして、いま災害復興の中心に立とうとしている。無論、まだはじまったばかりの小さな取り組みでもある。彼らの熱量を伝え拡げ、自らもまた別な化学反応を起こすプレーヤーとなる者がさらにでてくることが今後の課題だ。
断続的に起こり続けている災害は、それぞれに多様な側面・個別性をもつ。ただ、そこからの復興に共通することはある。災害復興は、道路・建物などハード面、ハコモノが整備されればそれで終わるものではないということだ。そのハードの上に、いかにソフトを再生し、あるいは新たに創造できるのか。このソフトパワーこそが持続可能な災害復興の基盤となる。これを育てる力を蓄えておくことこそが、今後想定される大規模災害への備えともなるだろう。
Profile
開沼 博
1984年、福島県いわき市出身。2021年より東京大学大学院情報学環准教授。福島や原発問題を含めた幅広いテーマ で言論活動を行う。著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)ほか多数。 X: @kainumahiroshi
Text: Hiroshi Kainuma Editor: Yaka Matsumoto
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