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大阪最高峰のグルメを学び味わう!「大阪歴史博物館」と日本料理「伏見町栫山」【上方食文化研究會・Wあさこの大人の社会科見学vol.3】

  • 2025.2.22

お料理教室を通じて上方の家庭の味を伝える日本料理家・吉田麻子先生と、奈良在住の編集者・ふなつあさこの“Wあさこ”がお届けする、上方(関西)の食にまつわる大人の社会科見学。今回は、大阪歴史博物館の特別企画展「発掘!大名たちの蔵屋敷-「天下の台所」に集う米・物・人-」(3月3日まで)で江戸時代の大阪の食文化を学び、麻子先生イチオシの名店・「伏見町 栫山(かこいやま)」で最先端の大阪の美食を味わう、ちょっとリッチなナニワの古今美食比べをお届けします!

 

古代から脈々と続くナニワの歴史を大阪歴史博物館で学ぶ

その名の通り大阪の歴史を調査・発信する博物館である大阪歴史博物館からは、大阪城を望むことができます。現在の大阪城は昭和6年に復興された三代目ですが、最初にこのお城を建てたのは豊臣秀吉。秀吉がこの地にお城を構えたのは、まさにここが交通や交易のど真ん中だったからにほかなりません。

大阪歴史博物館のある一帯には、飛鳥〜奈良時代には「難波宮(なにわのみや)」が置かれていたのだそう。思った以上に昔からアーバンなエリアだったんです! 難波宮跡と大阪のビル群とのコントラストがたまりませんね!

《『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』巻四》

そんなわけで、大阪歴史博物館には大阪で発掘された古代から近代に至るまでの資料がたくさん収蔵されています。今回の展示ではそのなかから、ナニワの町人文化が華やかなりし江戸時代の発掘品が展示されていました。江戸時代の中之島・堂島には、大名たちの蔵屋敷がずらりと並んでいたそう。

江戸時代のナニワセレブたちは何食べてた? アッと驚く超美食!

《『浪花名所図会』堂島米あきない》

蔵に収められていたのは、主にお米。日本では長らくお米が税金の代わりだったので、お米の集まるところというのはつまり経済の中心。ちなみに、お米を運ぶのは重くて大変なので、江戸時代の米市場では小切手ならぬ「米切手」で取引が行われていたそうです。江戸時代の堂島米市場の様子を描いた歌川広重の浮世絵のどこにも米俵は描かれていません。ですから、米市場は今なら証券取引所のようなもの。ここでの米相場が日本全国に伝えられました。米相場が荒れれば、日本全体の経済状態も荒れていました。ここのところお米が高いですから、通ずる部分がありますね。

《川口遊里図屏風(かわぐちゆうりずびょうぶ)》

当時の大阪に集まるセレブたちの暮らしぶりをうかがい知ることができるのが、かつて大阪の木津川河口周辺にあった遊郭を描いた江戸時代前期の屏風絵。今年の大河ドラマの舞台は江戸・吉原が舞台ですが、大阪にも同じようなオトナの社交場が設けられていたんですね。この屏風をよく見てみると、皆さんなんだかおいしそうなものを食べています。いろいろな形の包丁を使い分け、野菜や魚介、鳥まで幅広い食材をさばいていることがわかります。餅のようなものをこねていたり、お菓子も食べていたようです。

そのほか、当時のゴミ捨て場からは、アカニシやアワビの貝殻、タイやスッポンの骨など、食べたものの残骸が見つかっています。結構ええもん食べてはる(ただし金持ちに限る、だったとは思いますが)。

日本国内の地方はもとより、ヨーロッパを含む海外からの食器(江戸時代後期になるとワインも!)や沖縄から運ばれてきた泡盛の容器なんかも出土しているので、幅広い地域と交易が行われていたこと、そしておそらくそれらはみんな高価だったことを考えると、このエリアにどれほどのモノと富が集まっていたのか……! 妄想は膨らみますが、おなかは減りますね。

大名も羨む!? 大阪の美食の現在地を「伏見町 栫山」で味わう

お勉強を兼ねて、時折あちこちの名店を訪れているという麻子先生のお誘いで、船場の名店「伏見町 栫山」さんに伺いました。お店の周辺は落ち着いたビジネス街ですが、お店に一歩入れば美しい内装と心づくしのしつらいが行き届いた非日常空間。それでいてリラックスして過ごせるのは、ご主人・栫山一希さんのお人柄ゆえでしょう。ちなみに栫山さんが焼いているのはフグです。私は“上腕二頭筋”をいただきました(もちろんジョークですよ!)。

2月ということで「立春大吉」の札をかけた柊を添えた薬膳と花豆。ふっくらした大きなお豆を頰張って、福は内! 車海老やこごみなどを盛り合わせたひと皿や椀物で春の味覚をひと足早く堪能したかと思えば……

……冬の味覚を代表するカニさんの登場です。茹でたり、焼いたり、アレしたりして(雑でスイマセン、食べるのに忙しかったです)とにかく全てが感動のおいしさでございました。お料理をいただいたらスッとお皿が消えていて、そして次のひと皿がテンポよく供される。そのリズム感も大阪らしい気がします(言い訳)。そして全然言及できていませんが、魯山人写し(偉大な文化人・北大路魯山人作品の模作)など器もひとつひとつとても素敵です。

「お水取り」という通称でよく知られている東大寺・二月堂の修二会(しゅにえ。旧暦2月に営まれる大きな法要)でご本尊にお供えされる「糊こぼし」を模した椿の造花をあしらった八寸なんて、奈良LOVEな私にとってはサプライズギフトのように嬉しい♡ 五感とインテリジェンスで味わう八寸には、日本料理をいただく楽しみがギュッと詰まっている気がします。そんなこと思いつつも、フグおいしいよフグ! と、あっという間に食べ尽くしておりました……!

お料理の〆は、栫山流の「船場汁」のだし茶漬け。本来の船場汁とは、身を食べた残りの塩サバのアラと大根の汁物で、堺を訪れた際に教えていただいた“始末の料理”、つまり魚のアラまで余すところなくおいしくいただく大阪らしいお料理だそうです。栫山さんの場合、その日供した食材から引いただしなので、とても上品な“始末の料理”となっておりました。「あさちゃん、今度ほんまの船場汁作るわ〜」と麻子先生がゆうてくれはったので、その際にはまたレポートいたします!

この記事を書いた人

編集者 ふなつあさこ

ふなつあさこ

生まれも育ちも東京ながら、幼少の頃より関西(とくに奈良)に憧れ、奈良女子大学に進学。卒業後、宝島社にて編集職に就き『LOVE! 京都』はじめ関西ブランドのムックなどを手がける。2022年、結婚を機に奈良へ“Nターン”。現在はフリーランスの編集者として奈良と東京を行き来しながら働きつつ、ほんのり梵妻業もこなす日々。

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