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手は口ほどに #9:縁を繋ぐ名刺をつくる、活版印刷の職人

  • 2025.2.21

銀座の裏通りに「しあわせの名刺」を作る印刷屋さんがある。ブランドの店や百貨店が並ぶ銀座と少し離れたこの界隈は、銀座というよりも木挽町といったほうがピンとくるかもしれない。1910年に創業した「中村活字」の5代目となる中村明久さんが、「ステッキ」と呼ばれる名刺サイズの小箱に文字を組んでいく。

棚に並ぶのは約3,000字、複数の書体や大きさがあるので20万本以上の活字の中から、サッサッと文字を拾い出す。さらには「クワタ」や「インテル」と呼ばれる薄い板を入れて、「これは全角、これは二分アケ、三分アケ」と文字間や行間を調整していく。その作業があまりにもスピーディ過ぎて、写真を撮影するのも難儀するほどだ。

「以前は、この辺りにウチみたいな印刷屋が200軒ほどあった。みんな潰れて、マンションに変わっちゃったけどね」。本や冊子の「ページもの」を印刷する会社は文京区に多く、伝票や名刺など「端もの」を印刷する会社は木挽町に多かったのだそうだ。

「霞が関のお役所も近いし、そのころは都庁も近かった。その他に、小さな会社や個人商店も多くて、伝票や名刺の発注が途切れなかった。そういう注文を取るために、名刺をサービスとして作っていた」

今では都庁は西新宿に移転し、小さな会社や個人商店も減り、活字で組んでいく名刺の印刷の仕事だけが残った。その名刺も、パソコンとプリンターがあればできてしまう時代である。「でも、基本は活版なんだよ、印刷は」。中村さんが、自らに言い聞かせるようにつぶやく。

「この辺りの木挽町界隈には、うちのような印刷屋がいっぱいあった」と語る中村明久さん。活字が納められた箱がびっしりと並ぶ棚は、ちょっとした地震などで箱が崩れ落ちてしまわないように斜めになっていることから、「馬の背」と呼ばれる。
棚から箱を引き出して取り出し、ひとつずつ活字をピックアップしていく。「日本語の文字は基本が5号」。昔の公文書の本文に使われていた文字の大きさが5号であったことに由来し、後にJIS規格でポイントが定められた際に、5号が10.5ポイントに相当すると定められた。「ヨーロッパとアメリカは、12ポイントが基本だけどね」。
「これが、活字組版のときに使うゲラと呼ばれるトレイ」。校正刷りのことを「ゲラ」というのは、これが語源となっている。櫂をこいで進む船(英語の「galley」)に木の箱が似ていることから、「ギャリー」が「ゲラ」と転じたようだ。
「名刺というのは大きいものじゃないけれど、白地スペースが大切なのよ」と、版を組んでいく中村さん。文字と文字の間には「クワタ」、行と行の間には「インテル」という鉛合金の小さな片を挟んでいくことで、名刺のバランスを調整する。
「クワタ」や「インテル」と呼ばれる、余白を調整する「コミ」の鉛片だけが、こちらの棚には並べられている。「活版を組むときに、これを入れていかないと詰まっちゃう。Macを使っている若いデザイナーさんに見せると不思議そうにしている」。
刷り終わった活版は、ひと文字ひと文字の活字に解版されて、何度でも使われる。それでも文字が足りなくなったら、「他の文字の活字を300℃の窯で溶かして、真鍮の母型をもとに文字を作る。そんな機会を何台も使っている時代もあった」。
印刷機メーカー「デルマックス」の担当者が、ちょうど機械のメンテナンスをしているところだった。「この人とも、もう長い付き合い。活版印刷をやっているところなら、日本中どこへでも駆けつけてメンテナンスしているんだから」。

「活字を拾う文選、文字を並べていく植字、版を作る組版、印刷、そして解版。活字を棚に戻してまた使うから、リサイクルです」。15世紀のヨーロッパで生まれた活版印刷は、鉛合金で作られた活字を組んで、インクをのせて圧力をかけて印刷していく。一枚の板に彫る木版印刷と違って活字を何度でも使えて大量に複製できる技術で、長く文化を支えてきた。

複雑なデザインを高速に刷るオフセット印刷に取って代わられるまでは、日本においても、新聞や書籍も活版で印刷されていた。

中村さんによると、「この近くに活字発祥の碑がある」とのこと。その石碑を調べると、幕末から明治の初めに、オランダ語の通訳をしていたことから活版印刷の日本の先駆者となった本木昌造、その門弟であった平野富二が設立した東京築地活版製造所が日本の印刷文化の源泉となった旨が記されている。活版でオランダ語辞典を印刷したり、官庁の書類を作ったりする時代は既に遠い。それでも、活版印刷の歴史の一端は、ここで作られる名刺が引き継いでいる。

「漢字の活字は、漢和辞典と同じ並びで棚に分類されている。ただ、令和とか平成とか、使う頻度の高い文字はいっぱい作ってあった」。平仮名や片仮名は50音順ではなく「いろはにほへと」で並べられ、昔の職人さんは歌で文字をとっていたという。

「作家さんの手書き原稿の難しい字を読み解いて、活字を拾っていました。そういう文選の職人は、ウンチクのある人が多かった」。素早く正確に文字を並べていく技には、なにか秘訣があるのだろうか。

「日本の文字は真四角の中に納まる。四角い柱のような活字を棚から抜き取って、指がかかるところにネッキと呼ぶ溝がある。それが文字の下と決まっているから、指で触ったら感覚でわかる」。原理は、ゴム印の方向を間違えずに押すのと同じ。

それにしても、指先に目があるほどになるまでには、どれくらいかかるのだろうか。「まぁ、やっているうちにできるようになるけどね」。

名刺サイズの版に組まれた活版を印刷機に取り付ける。「今日名刺を頼んでくれたのは3人ともフォトグラファー。クリエイティブ系のお客さんが圧倒的に多い」。
名刺の用紙をエアで吸い付けて、ガッチャンガッチャンと刷っていく年季の入った活版印刷機。「1分間で50枚くらい刷れる。もう40年近く使っています」。
まずは一枚。片面が刷り上がると、「文字がかすれていないか、逆に滲んでいないか」を入念にチェックする。柔和な中村さんも、このときばかりは厳しい表情。
この辺りは、江戸城の改修に携わった木挽職人が多く住んだことから木挽町と呼ばれていたエリアだ。「お役所や大手の広告会社も近くて、印刷の仕事も多かった」。
「紆余曲折です。とっくになくなってもおかしくない仕事を、若い人が見直してくれた」。だから、活版で作る名刺で若い人たちの仕事を応援できると嬉しいと言う。

「名刺の基本は、縦55の横91ミリ。これは日本のサイズで、欧米の名刺はちょっと小さい」。55と91ミリの「名刺4号」と呼ばれる基本サイズは、人間が美しいと感じる黄金比から導き出された形だと中村さんは言う。

そもそも、名刺のやり取りは、ビジネスパーソンになって最初に教わる大切なマナーである。できれば、美しい名刺を美しい所作で渡したいものだ。

「よく言うんです、名刺は宇宙だと。どんな書体か、名前がどこに置いてあるのか、白地のスペースはどうか」。確かに、渡された名刺でその人の印象が決まったり、名前の字面や配置でその人を記憶にとどめていたりすることがある。職人の手作業で作られた活版印刷の名刺は、文字の輪郭がクッキリと浮き上がり、厚手の紙に刷られたものはふっくらとした手触り感が特徴だ。

「お客さんから、名刺交換をしたときに、あれ、コレって中村活字さんで作られましたよね、と一気に繋がったりすると言われます。それって嬉しいですよ」

いろいろな仕事をしている人が、何百枚も何千枚もの名刺を毎日やり取りしている。そこに文字を組んだ人の名前は、もちろん記されていない。それが、名刺を交換した瞬間に、作った場所や作った人まで共有することができて、温かい縁を感じられるとしたら、それこそは「しあわせの名刺」と呼ばれるにふさわしいと思う。

profile

中村明久(中村活字)

なかむら・あきひさ/1948年生まれ。1910年(明治43)に中村活版製造所として活字の製造販売を始めて以来、115年にわたって活版印刷を守り続ける老舗の5代目。文字がくっきりと美しい活版印刷の名刺が、ビジネスパーソンや多くのクリエイターから支持されている。活版印刷の名刺の料金は、両面印刷は100枚15,000円~、200枚20,000円~、片面印刷は100枚9,000円~、200枚13,000円~が目安。

中村活字
住所:東京都中央区銀座2-13-7
TEL 03-3541-6563
HP:https://nakamura-katsuji.com/

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