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サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

  • 2025.2.18
サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

Text by 石井彰(編集部)

サッカーファンはおおよそ自分が応援するクラブに情熱を注ぐものであるが、その一方で敵でありながらも目が向いてしまうような印象的な選手もいる。

今回は『GMS』から「サッカーの歴史上最も風変わりだった選手たち」をご紹介する。

ジミー・ブラード

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:ウィガン、フラム、ハル・シティなど

国籍:イングランド

イングランド・プレミアリーグのファンにはとても印象深いジミー・ブラード。ピッチ内では情熱的なタックルでハードファイトするボランチであった一方、ピッチ外では常に笑いを取りに行く姿勢でファンの心を掴んでいた。

アーロン・マクリーンは、「シャワーを浴びていたらジミーが入ってきて、僕のイチモツを持ちあげて言ったんだ。『うわぁ、なんてこった、すげぇ重いぜ!』とね」というエピソードを明かしていた。しかも、これが初対面の時だというからすごい話である。

ホルヘ・カンポス

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:プーマス、アトランテ、LAギャラクシー

国籍:メキシコ

メキシコの名GKであるホルヘ・カンポスは、身長がわずか168cmしかなかったという貴重な選手だ。自らデザインした派手なジャージを身に着けて、彼にしかできないプレーを見せていた。

1989-90シーズンにはストライカーとしてプレーし14ゴールを奪った経験もあり、GKとして起用されていたとしても自陣を飛び出してドリブルを仕掛けることに恐れを見せることはなかった。

絶頂期の彼は、「コーチはいつも『君はGKであることを忘れてはいけない』と言っていた。当時、僕はチームの得点王だったから笑っていたよ」というコメントを残している。

イェンス・レーマン

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:シャルケ04、アーセナル、ドルトムント、シュトゥットガルト

国籍:ドイツ

ゴールキーパーは奇人が多いと言われるが、その中でも非常に気難しい男だったと評価されているレーマン。ドイツ代表でポジションを争ったオリヴァー・カーンとも犬猿の仲だった。

また、誰もが認める「いい人」であったアーセナルの同僚マヌエル・アルムニアすらも「彼がなぜ僕をあんなに嫌うのかわからないよ」と話したほど強烈な対抗心を見せていたという。

引退後もファンのメガネを奪ったり、隣人の庭の屋根をチェーンソーで破壊して警察を呼ばれたりと、奇行癖はまだ治っていないようだ。

トーマス・ミュラー

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:バイエルン

国籍:ドイツ

ちょっと変わった性格をしているトーマス・ミュラー。その点においてもサッカー史上最も過小評価されている選手の一人かもしれない。

世界トップレベルの場所で競争心を見せつつも、常に遊び心と気楽さを持ち込む姿でファンに愛されている。最近はハリー・ケインのゴールパフォーマンスを真似して話題を集めていた。

エリック・カントナ

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:マルセイユ、マンチェスター・ユナイテッド

国籍:フランス

エリック・カントナは、オールド・トラッフォードでの黄金期でマンチェスター・ユナイテッドに大きな影響力を与えた人物であり、そして風変わりなカリスマでもあった。

尊大不遜な態度、勝利に導くリーダーシップを持ちながら、1996年にはセルハースト・パークのサポーターを飛び蹴りするなど多くの事件も起こした。

その事件に関する記者会見でのコメントは今でも語り草である。「カモメがトロール船を追いかけるのは、イワシが海に投げ込まれると思っているからだ」

マリオ・バロテッリ

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:マンチェスター・シティ、インテル、ミラン、リヴァプール

国籍:イタリア

常に意見が分かれる選手であったマリオ・バロテッリ。彼の才能については誰もが認めているものの、試合に対する姿勢は誰もが疑問を持っている。そのキャリアは常に奇行とともにあった。

部屋の中で花火をしてボヤ騒ぎを起こしてみたり、代理人に借りた高級車を一瞬で事故車にしてみたりと、まるで予測不可能な人物であったと言える。

ポール・ガスコイン

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:ニューカッスル、トッテナム、ラツィオなど

国籍:イングランド

ガスコインはイングランドサッカーの歴史上最も創造性があった選手だ。今もファンの間で絶大な人気を誇っているレジェンドであり、1990年のワールドカップで準決勝進出を導いた英雄でもある。

ただ彼は現役時代から風変わりな人物であり、夜遅くまで見知らぬ人とテニスをやって監督の怒りを買ったこともある。引退後はアルコールに溺れてしまい、健康を取り戻すまで何年もの日々を必要とした。

ホアキン・サンチェス

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:ベティス、マラガ、バレンシア

国籍:スペイン

スペイン代表でも長く活躍した右ウイングのスペシャリスト、ホアキン・サンチェス。キャリアで853試合に出場し、112ゴールを決めた。そしてピッチ外では常にジョークを欠かさず、ベテランになっても何も変わらなかった。

40代までサッカーを続けた鉄人であるが、まるで10代の少年のようにSNSでおもしろ動画をアップし続けた。メディアでもその能力は高く評価され、現役時代からテレビのMCを務めていた。

レネ・イギータ

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:アトレティコ・ナシオナル、ベラクルスなど

国籍:コロンビア

レネ・イギータはサッカーの歴史上最もアクロバティックなゴールキーパーであった。エキセントリックなプレーはまさに諸刃の刃であり、どのような危険に対してもリラックスしすぎていた。

イングランド代表との親善試合では伝説の「スコーピオンキック」でのクリアを見せ、単にボールをキャッチすることすらせず、その一瞬をエンターテインメントに捧げた。

ブルース・グロベラー

サッカーの歴史上「最も風変わりだった選手」TOP10

所属した主なクラブ:リヴァプール、サウサンプトンなど

国籍:ジンバブエ

リヴァプールで長年活躍し、6回もの優勝を果たした名ゴールキーパーのブルース・グロベラー。10代のときに祖国の軍隊で戦った経験が、彼を「今日を生きるのみ」という挑戦的な性格にしたという。

1984年のチャンピオンズカップ決勝戦で見せた彼の仕草は今も語り草だ。PK戦に臨む彼は奇妙なダンスを見せ、「スパゲッティレッグムーブ」と呼ばれた。それが功を奏したのか、相手のローマは4回目で失敗。リヴァプールに欧州タイトルをもたらした。

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