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実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム

  • 2025.2.14
実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム

Text by 石井彰(編集部)

大会から試合の結果を受けて敗北することは通常の経過であるが、参加自体を禁止されるというのはなかなか起こらないものだ。しかし管理上のミスや政治的な理由によって、そのような処罰を受けることもしばしば起こっている。

今回は『FourFourTwo』から「サッカーの大きな大会で起こってきた注目すべき失格処分」をご紹介する。

イングランドのクラブすべて

実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
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失格になった大会:UEFAの大会すべて

期間:1985~1991年

1985年に行われたブリュッセルでのヨーロッパカップ決勝。リヴァプールとユヴェントスが戦った試合の途中、ヘイゼル・スタジアムでファンによる暴動が発生した。

リヴァプールのファンがユヴェントス側を襲撃し、この騒動から逃れようとした観客が将棋倒しとなった。39名が死亡する大惨事となり、イングランドのすべてのクラブに5年間、リヴァプールには10年間の欧州カップ戦出場停止の処分が言い渡されている。

当時イングランドのみならず欧州ではいわゆる「フーリガン」の国際化が問題になっており、この事件はサッカー界全体で暴動への対策を強化する契機になった。

バーンズリー

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失格になった大会:FAカップ

期間:2023年

出場資格のない選手を起用したことで失格になるのは特別貴重なケースではないのだが、プロクラブがそのようなミスを犯すことは珍しい。

バーンズリーは1回戦の再試合でエイデン・マーシュというストライカーを起用したが、その前に彼が貸し出されていた他のクラブでFAカップに出場していたため、規約違反で大会から追い出されてしまった。

後にクラブは「このようなミスは我々のような立場のクラブにとって全く考えられないようなもので、基準を大きく下回ってしまった」と声明を発表している。

ベシクタシュとフェネルバフチェ

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失格になった大会:UEFAの全大会

期間:2013~2015年

トルコの「ビッグ3」の一つであるベシクタシュとフェネルバフチェは、国内での八百長行為に関与した疑いによってUEFAから出場停止処分を受けている。

彼らはスポーツ仲裁裁判所にこの判決を不服として訴えを起こしたものの却下されてしまい、ベシクタシュは1年間、フェネルバフチェは2年間の出場停止処分が言い渡された。

チリ代表

実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
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失格になった大会:FIFAワールドカップ

期間:1994年

1989年に発生した「マラカナン・スキャンダル」。ワールドカップ予選でブラジルと対戦したチリ代表は、突破のために勝利が必要であったため、なりふり構わずの戦いを行った。

ゴールキーパーのロベルト・ロハスはピッチに投げ入れれた発炎筒で負傷したふりをして倒れ、隠し持っていた剃刀で自分を切りつけ、怪我をしたことを装った。

これによって試合は中止になったが、カメラマンの写真によってロハスの行為が発覚。彼は永久追放となり、試合はブラジルの不戦勝に。チリ代表も大会から追放されることになった。

ドイツと日本

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失格になった大会:ワールドカップ

期間:1950年

ドイツ代表は1934年と1938年のワールドカップに出場し、後者では3位という好成績を収めていたが、その後第二次世界大戦が勃発した。

そこで枢軸国側として敗戦したドイツと日本は、戦争終了後の1950年にブラジルで行われたワールドカップで出場禁止処分を受けている。ただ、その次の1954年大会では西ドイツとして優勝を果たしている。

ユヴェントス

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失格になった大会:UEFAの全大会

期間:2023-24

ユヴェントスは2006年にカルチョ・スキャンダルによって2部降格処分を受けたことで知られるが、2023年にもUEFAとのトラブルで大会を追放されてしまった。

欧州のクラブの経営状況を監視するルールであるファイナンシャル・フェアプレーに抵触したことにより、1シーズンの間はヨーロッパのカップ戦に出場できない状況になっていた。

メキシコ代表

実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
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失格になった大会:ワールドカップ

期間:1990年

1970年と1986年のワールドカップを開催した実績を持っていたメキシコ代表であるが、実は1990年のイタリア大会には出場資格が与えられていなかった。

その理由は、1988年に行われた南米U-20選手権において年齢を超過した4名の選手を故意に出場させていたことが明らかになったためだ。この事件の結果、FIFAは2年間の国際大会出場禁止の処分をメキシコに言い渡している。

レアル・マドリー

実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
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失格になった大会:コパ・デル・レイ

期間:2015-16

あらゆるルールを守れるリソースを持つはずのレアル・マドリーでも凡ミスは犯すものだ。コパ・デル・レイのベスト32でカディスを3-1と破ったものの、その試合で問題が起こっていた。

先制点を決めたデニス・チェリシェフは、ビジャレアルへのローン移籍中に出場停止処分を受けており、この試合でプレーする資格がなかったのだ。レアル・マドリーは「それを知らされていなかった」と控訴したが、それは認められなかった。

南アフリカ代表

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失格になった大会:FIFAの全大会

期間:1961~1992年

2002年のワールドカップ日韓大会では本戦でインパクトを残し、2010年にはホスト国も務めた南アフリカ。しかし、60年代から90年代にかけて長くサッカー界から追放されていたという歴史を持っている。

「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策を施行していたことにより、それに反対するFIFAはすべての国際大会から南アフリカを締め出していた。

ユーゴスラヴィア代表

実は日本代表も…大会から「追放や参加禁止」になったチーム
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失格になった大会:EURO

期間:1992年

イヴィチャ・オシムが監督を務め、ドラガン・ストイコヴィッチらがプレーしていたユーゴスラヴィア代表。しかしこの年本格的な内戦がスタートしたことで国連の制裁決議が発動され、FIFAもそれに従って同国を国際大会から締め出すことを決めた。

すでに予選通過を決めていたユーゴスラヴィアが追放されたことにより、大会の枠が一つ空いた。そのために急遽出場することになったデンマーク代表が驚きの優勝を果たしている。

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