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「あのとき投資を始めていたらな」は、たいてい暴落の予兆…作家・林望「銀行を相手にしないほうがいい理由」

  • 2025.2.14

投資とはなんだろうか。『節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由』(朝日新書)を上梓した作家の林望さんは「なけなしの10万を投資に回して、何年後かに10万1000円になったとしても何の意味もない。投資とは結局、金持ちのすることである」という――。

儲けるための売り買いに非ず

そもそも「株の売り買いとはなんだろう?」と、私はいつも思うのです。

信頼する友人で、日本でも指折りの投資アナリストである岡本和久さんに教えてもらったことなのですが、たとえば、世の中のためになる事業をする人間が出てきた。でも、資本がないからお金をみんなから集めたい。そこで、資金を持っている人は「ああ、あれはなかなか見どころがあるし、世のため人のためになる事業だからね。じゃあ、この人にその事業をやらせてみようか」と出資する。で、その人はいいアイデアを以て、世のためになるような事業を続けた結果、10年後には大企業になって莫大な利潤りじゅんが出るようになった。その儲かった分を、お金を出してくれた人に還元してくれるというのが、株の配当金というものです。

そのような状況になれば株価もどんどん上がるから、それを売ると、最初に投資した人は儲かる。株式はそうしたことであって、はなから儲けるために売り買いをするわけではない、と。「株というものはみだりに売り買いしてはいけない」と、彼はこう言うのです。

※写真はイメージです
株の売り買いで一番儲かるのは誰か

どうしてもこの会社を応援したいからお金を投資する、その結果として利益をもらうのは正しいことで資本主義の基本だ、というのが彼の教えです。「どんな会社かもろくに知らず、ただ株式のチャートだけを睨にらんでは、株をせわしなく売ったり買ったりして、日々あぶく銭を儲ける、などというのは、投機であって投資ではない」というのです。

そして、20、30年後に、仮に経営者が変わったりした結果、その企業が潰れてパーになったら、それは自分の目がなかったと諦めるべき、なのだと。「もし投資した人物や会社が優れており、自分にそれを見極める目があって、結果としてお金が儲かったのであればそれはめでたいことだ」とも聞きました。

また、株を売り買いしてあたかも自分が儲かったように人は思うけれど、その裏側では、かならず株で損をした人も存在しているわけであって、一番儲けているのは、両方から手数料を取っている証券会社なのです。だから、NISAなどというのは、もともとどういうところに投資しているのかも知らずに、不見転みずてんで大切な資金を他人に預けてしまうわけだから、まあ私に言わせると、結局庶民からなけなしの金を集めて中間マージンを搾取するための装置だ、というように思わずにはいられません。

銀行が儲けるための金融商品

いわゆる金融商品みたいなものを、あれこれ、あれこれとすすめられるのは、要するに、彼ら銀行が儲けたいからです。しかし、こちらは儲けられたくないわけだから、できるだけ相手にしないことがよいと思っています。

2024年の3月には株価が4万円台まで高騰しました。それが瓦解がかいした折には、「急に株が安くなったので、思ったようにベネフィットが出ませんでした」などと言って、元本割れが起こるのです。そのときのために、最初から「元本割れする場合もあります」と書いてあるので、それに関して誰からも文句は言われない。

株価が最高値の4万円超えをしても、結局は、マネーゲームです。株価にしても投資にしても、すべては結果論。「今、4万円になった。せめて2万円のときに買っておけば倍になったな」と思うじゃありませんか。それではしかし、後の祭りです。それではというので、4万円のときに、「2年後には6万円になるかな」と思って買ったら、だいたい暴落します。

一時、4万円を超えた日経平均株価を示すモニター=2024年3月4日午前、東京都港区の外為どっとコム
少数の莫大な儲けの裏にあるもの

それで、せっかくのお金がみんなパーになるということに……。ですから、そういう悔しい思いをしないためには、はなから手を出さないことです。

「せめてあの時に買っておけば、いま二倍になったのになあ」と、結果から見て思うことはよくあります。それが投資というもので、綿密な調査と相場勘でも持っていれば、そりゃ儲けられる。しかし、少数の人が莫大な儲けを手にするというのは、結局多くの人が損しているということの裏返しだから、そうそう金儲けの話などは転がっていないと思ったほうがよい。

たとえば金地金じがねの相場なんかも、これでもし40年前に100万円分くらい買っておけば、今ごろは200万か300万にでもなったでしょう。しかし、40年前にはそんなこと思いつきもしなかったのだから、まあ後の祭りです。そのころ、たんまりと「お手許てもと金」を持っていて、なおかつ目端めはしのきいた人は、40年後の今時分には、そうとうの儲けを得て、ニコニコしてるでしょう……けれども、それを今から再現しようってわけにはいきません。あくまで結果論であって、遡及性そきゅうせいはないのが、こういう話の根幹ですからね。

証券会社さえつぶれることもある

ただし、こういうことはある。

もし株式投資をするのであれば、どの分野が伸びていくのか、どの会社が筋のいい会社なのかを、日ごろからよくよく研究しておいて、その会社の株を一発買いする。そして売らずに持っている。それしかないと思います。

証券会社の言いなりになってはいけません。リスク分散をするためには、投資先も分散する、それはセオリーではあっても、そのためには、広く世界を見渡す眼力がなくてはなりません。また知識も必要でしょう。

さあ、そうなると、日々の暮らしに汲々きゅうきゅうとしている私どもが、仕事そっちのけにして投資先の研究なんかしていられません。そこで、証券会社に任せるということになるんですが、証券会社だって常に儲かるわけでない。山一証券のように、大手でもつぶれてしまうこともある。プロのマネージャーがやっていた筈の公的資金運用なども、まったく大損をしたりしている、まあ、疑い出せば切りがないのです。

自分のお金を人任せにするのが間違い

投資というものはそういうものです。だから、投資を人任せにすることが、もう間違っている。リスクを予想して対応できるよう備えるためにいろいろ分散していると言うけれど、でも、大恐慌のようなものが起こったら全てアウトです。

誰だか知らない投資マネージャーみたいな人に自分のお金を任せていて、「あなた、誰に任せているのだ?」と聞いても、誰も知らない。全く知りもしない人に、自分のお金を任せてよいのでしょうか。

現金は、少なくともこの数十年の日本のように、全体としてデフレ的であった社会では、もっとも安全であり、便利でした。それを、政府は、インフレのほうに持っていこうとしている。そうなると、みんな焦って投資をしてインフレヘッジをしなくちゃ、と思う……というか思わせられるのだけれど、さてどうでしょうか。政府のいうことはそんなに無条件に信じていいものとも思えません。

なんでも現金をやめさせて、金融商品に手を出させようとする。しかも、なんでもオンラインで進めさせるような、この行き方というのは日本の国家体制としてすごく危ないことではないかと思うのです。

※写真はイメージです
上昇率2%の物価目標に意味はあるか

投資について言うと、1990年代初頭から日本は経済成長が停滞した「失われた30年」とも言われるデフレ状態に長らくありました。そうすると、この間は金利も付かなかったけれども、貨幣価値も落ちなかった。投資をしていなくても痛くも痒かゆくもなかった。

今は毎年2%ずつ物価が上がっていくことを日本の政官界・経済界は目標として掲げています。けれど、そのようなことに意味があるだろうか、と私は思うわけです。日本が仮に鎖国して江戸時代のように経済が停滞をして値段もあまり変わらず行くのなら、そのほうが幸せなのではなかろうか、と。

無理やり何でもかんでも値上げさせて、「だから投資しろ」と勧めるのは、人を騙しているのではないかという気になります。

投資とは金持ちのすること

実際に投資して得をするのはお金持ちだけです。「500円からでもできます」などという甘言に乗せられて「じゃあ、1000円にします」といっても、結局「1000円ではやはりなんですから、最低10万くらいはなさらないと」とかいうようなことになる。

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たとえば、ワンルームの家賃が10万円以下の所に住んでいる人が、なけなしの10万を投資に回して、何年後かに10万1000円になったとします。そんなことに何の意味がありますか。投資というのは、煎せんじ詰めれば、金持ちのすることなんです。

林望『節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由』(朝日新書)

父祖伝来のお金持ちの人や、都市近郊の金満地主さんたちなどは、可処分所得というものが膨大ぼうだいにあるわけです。一方、大多数の我々庶民は、かつがつの収入の範囲で暮らしている。だから、節約ということをうるさく言うのです。

もし私が仮に億万長者で、月せいぜい50万もあれば十分暮らせるなと思っていて、銀行に置いてある金が10億円くらいあるとします。この10億円をそのまま銀行に置いといても、あまり利子が付かないでつまらないと。それだったらこの10億を、片方は国債や株式を買おう、片方は土地に投資をしようとか、目減りをしないように分散して投資します。そうすれば、これからインフレターゲットで物価が上がっていったときに損をしません。

けれども、どこにどのように投資するか、ということは、言うは易くして、じつは行なうは簡単ではありません。そうそう美味しい話などは、そこらに転がってはいないのです。

林 望(はやし・のぞむ)
作家・書誌学者
1949年、東京生まれ。作家。国文学者。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。専門は日本書誌学、国文学。著書に『イギリスはおいしい』『節約の王道』『「時間」の作法』など多数。『謹訳 源氏物語』は源氏物語の完全現代語訳、全10巻既刊9巻。

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