映画やドラマのロケ地としても知られている埼玉県春日部市の通称「地下神殿」は、正式な名前を「首都圏外郭放水路」といいます。
首都圏を水害から守る役割を担う、世界最大級の地下放水路を紹介します。
首都圏外郭放水路とは?
首都圏外郭放水路は、埼玉県春日部市を通る国道16号に沿うようにして、地下約50mに築かれた地下放水路です。
関東平野には多摩川、荒川、江戸川、利根川などの大きな川がいくつも流れています。荒川と江戸川の間を流れている中川も、周囲の小さな河川を集めながら関東平野を南下して、東京都葛飾区で綾瀬川と合流する一級河川です。
川に雨水が流れ込む範囲を「流域」といいます。中川・綾瀬川の流域は、荒川と江戸川という大河川に囲まれた地盤の低い地域です。川の勾配がゆるやかで、大雨が降ると水が溜まりやすく、過去には繰り返し洪水の被害に見舞われてきました。
洪水被害の軽減を目指して様々な対策が講じられてきましたが、その大きな柱となっているのが首都圏外郭放水路です。
中川と、中川に合流する大落古利根川、幸松川、倉松川の水が一定の高さを超えると、それぞれの川に設置された流入施設から、地下の巨大な立杭(竪穴)へと水が流れ込む仕組みです。流れ込んだ水は、立杭と立杭をつなぐ全長約6.3 kmのトンネルを通って江戸川まで運ばれ、排水されます。
トンネルの先には、溜まった水を巨大なポンプで江戸川に排水する、排水機場という施設があります。ポンプの手前で、水の勢いを調節する役割を担っているのが、長さ177m×幅78m×高さ18mもある調圧水槽です。天井にサッカーコートがのるほどの巨大な水槽を支える太い柱が59本も立っていて、古代ギリシャの神殿を思わせることから「地下神殿」と呼ばれています。
首都圏外郭放水路の治水効果
首都圏外郭放水路は2006年(平成18年)の完成以降、毎年平均して7回程度稼働しています。
調節した洪水の量が最も多かったのは、鬼怒川の堤防が決壊して大きな水害となった2015年(平成27年)の台風第17号・第18号で、約1,900万㎥の水を貯留・排水しました。
最近では、ゆっくりとした速度で西日本から東日本へと進み、広い範囲に浸水や停電などの被害をもたらした2024年(令和6年)の台風第10号で、約850万㎥の洪水を調節しています。
首都圏外郭放水路ができてから、中川・綾瀬川流域の浸水面積や浸水戸数は大きく減り、浸水被害軽減額は1千億円以上にのぼると試算されています。
首都圏で水害リスクが高いエリア
首都圏には中川・綾瀬川流域以外にも、河川氾濫や高潮による水害が警戒されている地域があります。首都圏には人口が集中しているため、大規模な水害が発生すると、多くの人が巻き込まれる恐れがあります。
そのため、国では水害リスクの高い地域ごとに様々なシナリオを検討し、首都圏大規模水害の対策を推進しています。
利根川
1947年(昭和22年)9月のカスリーン台風では、上流の山間部、特に赤城山ろくで斜面崩壊と土石流災害が発生したほか、支流である渡良瀬川では越水氾濫、さらに現在の埼玉県加須市では堤防が決壊し、利根川流域の1都5県(群馬、埼玉、栃木、茨城、千葉、東京)の広い範囲に甚大な被害をもたらしました。
洪水や土石流などによって亡くなった人は約1,100人、家屋の浸水は約30万戸と記録されています。
内閣府が2008年(平成20年)に発表した「利根川首都圏広域氾濫の被害想定」によると、流域平均雨量が約320mm/3日で、カスリーン台風と同じ埼玉県加須市で堤防が決壊し、200年に1度の確率で発生する大規模な洪水となった場合、埼玉県春日部市、越谷市、三郷市、東京都足立区、葛飾区、江戸川区などの約530㎢が浸水します。浸水区域の人口は約230万人、孤立者は最大約110 万人、最悪の場合の死者数は約2,600人にのぼると想定されています。
ただしこの被害想定は排水施設が稼働せず、避難率が0%の場合です。排水施設の稼働率や避難率が高くなるにつれて死者数は減っていくと考えられます。
荒川
内閣府が2008年(平成20年)に発表した「荒川右岸低地氾濫の被害想定」によると、流域平均雨量が約550mm/3日で東京都北区にある荒川の堤防が決壊した場合、東京都板橋区、荒川区、台東区、千代田区などの約110㎢が浸水します。浸水区域の人口は約120万人、孤立者は最大約86万人、最悪の場合の死者数は約2,000人にのぼると想定されています。
地下鉄の被害はさらに遠くまで広がり、中央区、新宿区、渋谷区などの駅でも水深2m以上の浸水になると予想されています。
東京湾
内閣府が2010年(平成22年)に発表した「大規模水害対策に関する専門調査会報告 首都圏水没〜被害軽減のために取るべき対策とは〜 」の中に記載されている「東京湾高潮氾濫の被害想定」によると、もし室戸台風級(911hPa)の台風で東京湾に最大の高潮が発生した場合、東京都、神奈川県、千葉県の湾岸約280㎢が浸水し、最悪の場合の死者は約7,600人にのぼると想定されています。なおこの被害想定には、川を遡上した高潮による浸水被害は含まれていません。
ハザードマップで水害リスクを確認しよう
最悪の場合の被害想定は、排水施設が稼働せず、避難率が0%というシナリオで計算されています。ひとりひとりが適切な避難行動をとれば、被害を減らすことができます。
一例として東京湾で高潮が発生した場合に想定されている最悪の場合の死者約7,600人は、避難率が40%になると約4,600人となり、避難率が80%になると約1,500人まで減少します。
ひとりひとりが適切な避難行動をとるための第一歩は、暮らしている地域の浸水リスクを知ることです。自治体などが発表しているハザードマップで確認しましょう。
ハザードマップには想定される浸水の深さや、避難場所なども記されています。
一般の住宅で床上浸水がはじまる目安は、水の深さが50㎝を超えてからです。ただし、浸水が50㎝以上になると大人でも歩行が困難になるので、早めに避難を検討することが重要です。
市や区のほとんどが浸水する地域では、自治体を超えた広域避難が必要かもしれません。状況に応じて、親戚の家などに事前避難を行ってもよいでしょう。
ひとりひとりがいつ、どのような避難行動をとるかリストアップした「マイ・タイムライン」を作っておきましょう。
水害に備える防災グッズや避難行動を紹介
ここからは、水害の危険が高まったときや、孤立した場合に役立つ防災グッズを紹介します。
土のう、水のう、止水板
1階の玄関や、ガレージなどからの浸水を防ぐために、土のうや水のう、止水板が役立つことがあります。
土のうは、普段はそれほどかさばらず、緊急時に水でふくらませて使うタイプをホームセンターなどで購入できます。水のうはゴミ袋などに水を入れて作ることも可能です。大雨で下水があふれたときに、1階の浴室やトイレなどから水が逆流するのを防ぐためにも役立ちます。
止水板は土のうや水のうに比べると高価ですが、効果も高いです。テーブルのような板状のもので代用する方法もあります。
水と食品
水害の影響で、電気、ガス、水道などのライフラインが停止することがあります。水が引くまで孤立することも想定して、1週間×家族の人数分の水と食品を備蓄しておきましょう。
食品はすべてを災害用の非常食で揃えると、保管場所や賞味期限の管理が負担となるかもしれません。普段からよく食べている食品で、常温で保管できるもの、日持ちのするものを多めに買い置きし、日常的に使いながら災害時の備えとする「ローリングストック」を併用するのがおすすめです。
ポータブル電源
天気予報や避難情報を定期的に確認するために、また家族に安否を知らせるためにも、携帯電話・スマートフォンの電池を切らさないようにしましょう。
複数の携帯電話を繰り返し充電できるような、大容量のポータブル電源もあります。出力が大きいものであれば、冷蔵庫や電子レンジ、扇風機などの家電も利用できます。
懐中電灯
停電に備えて、懐中電灯は一人にひとつ用意しましょう。部屋の中で過ごすときは、部屋全体を照らせるランタンがあると便利です。
携帯ラジオ
情報を得るための手段として、携帯ラジオも用意しておきたい防災グッズです。替えの電池を忘れずに用意しておきましょう。手回しで発電できる防災用のラジオもあります。
カセットコンロ
カセットコンロがあると、電気やガスが止まっていても温かい食事をとることができます。家族の人数や食事の内容にもよりますが、ガスボンベは1日1~2本程度を目安に用意しておきましょう。
携帯トイレ
断水に備えて、携帯トイレを用意しておきましょう。
断水していなくても、停電時にはパネル型リモコンのボタンで水を流すことができなくなります。バケツの水で流す方法もありますが、トイレ本体の側面などに水を流すための停電用ハンドルがついている場合もあるので、確認しておきましょう。
非常用持ち出し袋(防災バッグ)
持てる範囲の水と食品、レインウェア、着替えとタオル、防寒用のアルミ毛布、歯みがきセットなどの衛生用品、ばんそうこうや包帯などの救急用品、その他常備薬や生理用品など、生活に必要な最低限の荷物をリュックなどにまとめておきましょう。
パスポートなどの身分証明書や、通帳、現金などの貴重品を持ち出すことも大切ですが、荷物をまとめているうちに浸水が深くなり、逃げ遅れる危険もあります。非常用持ち出し袋には、身分証明書のコピー、銀行の口座番号や家族の電話番号を書いたメモなども入れておくとよいでしょう。
まとめ
地球温暖化の影響でゲリラ豪雨などが増え、水害のリスクが増しています。
特に首都圏では、水害が起こってから大勢の人が一斉に避難を開始すると、道路渋滞などが生じる恐れもあります。
余裕をもって落ち着いた避難行動がとれるよう、暮らしている地域の浸水リスクを知り、備えておきましょう。
<執筆者プロフィル>
山見美穂子
フリーライター
岩手県釜石市生まれ。幼いころ両親から聞いた「津波てんでんこ」の場所は、高台の神社でした。